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元社畜令嬢、辺境で無自覚に冷徹公爵を魔導具依存に落とす  作者: 綾瀬蒼
1章

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第7話 手紙を見た最強公爵様が、笑顔でブチギレました

 その日の夜も、鈴は鳴った。


 ちりん、という音に、私は反射で背筋を伸ばす。

 もう慣れたはずなのに、心臓だけは毎回きちんと驚く。訪問者が公爵様だと分かっていても、だ。


「失礼する」


 扉から現れたジークフリート様は、いつも通り無駄のない動きで部屋に入ってきた。

 ただ、最近の彼は――目の下の影が薄い。足取りが安定している。顔色も良い。

 私の魔導具が、仕事をしている証拠だ。


(回復してる。よしよし。そろそろ自室に帰って……)


 私の希望は、そこで途切れた。


 彼は私を見るなり、いつもより一歩近くに来て、短く言う。


「……今日は、顔が硬い」


「え?」


「何かあった」


 胸がきゅっと縮む。

 しまった。隠したつもりだったのに。私は前世から、メンタルが削れている時ほど表情の制御が下手になる。


「何もないです」


「ある」


「ないです」


「……ある」


 断言が強い。

 私は観念して、適当な言い訳を探した。


「肩が凝っただけです。寝具を奪われた恨みで」


 我ながら雑な理由だ。

 でも公爵様は、それを否定しなかった。


「……では揉むか」


「いりません」


「……では温めるか」


「いりません」


「……では抱く」


「話が飛躍しましたね」


 私が即座にツッコむと、ジークフリート様は少しだけ口角を上げた。

 笑った。最近、彼はよく笑う。屋敷の人たちが見たら卒倒しそうなほどの小さな笑みだけれど。


 そして、その笑みのまま――視線が、ふと私の机ではなく、足元のゴミ箱へ落ちた。


 私は背中が冷えるのを感じた。


(だめ。そこは見ないで)


 ゴミ箱の中には、昼間捨てた封筒がある。

 オズボーン伯爵家の家紋。私の過去。私の“案件”。


 私は身体をずらして、さりげなくゴミ箱を死角にしようとした。

 だが、相手は辺境の領主で、剣を握る人だ。動きの意図を見抜くのが早い。


「……それは何だ」


「ただの紙くずです」


「紙くずにしては、封蝋がある」


 もう見えてる。

 私は苦笑いで押し切ろうとした。


「迷惑メールです」


「紙の迷惑メールは、誰から来た」


「だーかーらー、迷惑メールです」


 私が一歩前に出て遮ろうとした瞬間、ジークフリート様が私の肩を軽く押さえた。

 強くない。けれど、抵抗する気が起きない重み。


「リゼット」


 名前を呼ばれる。

 その声が、いつもより低い。


「隠すな。君の顔が硬くなる原因は、俺が把握する」


(把握するって何。上司かなにかなの?)


 ツッコミが喉まで出かかったが、出せなかった。

 彼の目が、笑っていない。


 ジークフリート様はゴミ箱に手を伸ばし、ためらいなく封筒を引き上げた。

 私は反射で手を伸ばしたが――遅い。


「返してください」


「だめだ」


「私のです」


「君は、俺の妻だ」


「論理が飛躍しましたね(二回目)」


 封筒が、指先でひらりと回る。

 彼は封蝋を割り、紙を取り出した。


「読まないでください」


「読む」


「読むなら、せめて“寝るだけ”の規約違反です」


「……規約は更新する」


「勝手に更新しないでください」


 私の抗議を背中に受けながら、ジークフリート様は手紙に目を落とした。

 そして――最初の数行で、表情が変わった。


 笑っている。


 いや、正確には“笑顔の形”をしているだけだ。

 口角は上がっているのに、目の奥の温度が落ちていく。氷ではない。もっと硬い何か。


 紙が、微かに震えた。

 彼の指先ではない。空気が震えている。


(やめて。怒ってるの、分かる。分かりやすすぎる)


 ジークフリート様は淡々と、最後まで読み切った。

 読み終えた瞬間、手紙を折りたたみ、封筒に戻す。


 そして――にこやかに言った。


「なるほど」


 その一言が、怖かった。


「オズボーン伯爵家は、随分と……厚かましい」


 声は穏やか。

 でも、部屋の温度が一段下がった気がした。エアコン魔石のせいではない。


「……公爵様、これは私の過去の案件で」


「過去?」


 ジークフリート様が私に視線を向ける。

 その目が、鋭いのに、優しい。


「君の過去は、今の君を傷つけるものだろう。なら、それはもう“俺の案件”だ」


(案件化された)


 私は変なところで冷静になった。

 前世の癖だ。怖いほど、頭が白くなる。現実逃避の一種かもしれない。


「……大げさです。呼び戻しの脅し文句なんて、テンプレなので」


「テンプレ?」


「はい。退職届を出した社員に送るやつです。脅して戻させる。よくある」


 言ってから、しまったと思った。

 公爵様の眉が、ほんの少しだけ動く。理解したというより、“許せない”の方向へ。


「君は、伯爵家の“社員”だったのか」


「えっと……はい? たぶん。無給の」


 次の瞬間、ジークフリート様の笑顔が、さらに整った。

 整いすぎて、不気味なほどに。


「……分かった。矯正しよう」


「何をですか」


「伯爵家の認識をだ」


 ジークフリート様は手紙を片手に、扉へ向かった。

 寝るために来たはずの人の歩き方ではない。戦場へ向かう人の背中だ。


「待ってください。あの、私、別に――実家がどうなってもいいとか思ってないわけじゃないですけど、派手にやると私の平穏が」


 途中から自分でも何を言っているのか分からなくなった。

 でも言わずにはいられなかった。


 ジークフリート様は立ち止まり、振り返った。

 その目は、さっきより少しだけ柔らかい。


「リゼット。君の平穏を守るのが、俺の最優先だ」


「……じゃあ、静かに」


「静かに終わらせる」


 “終わらせる”という言葉が重い。

 私はそれ以上、止められなかった。


 彼は扉の外へ出ると、廊下を巡回していた騎士に声をかけた。

 声量は大きくない。なのに、屋敷全体に通る。


「近衛隊長を呼べ。今すぐだ」


 騎士が一礼して駆けていく。

 ジークフリート様は続けて、執事にも指示を飛ばした。


「オズボーン伯爵家の帳簿、税の流れ、過去三年の取引記録。帝都の監査局と繋げ。こちらから正式に“確認”する」


「かしこまりました」


 執事の顔色が変わった。

 “確認”という言葉の意味が、私にも分かる。


(社会的に潰すやつだ)


 ジークフリート様は、まだ笑っている。

 笑顔のまま、さらに言った。


「門に通達。明日以降、オズボーン伯爵家の使者が来たら――通すな。追い返せ。無理に入ろうとするなら拘束していい」


「拘束!?」


 私は思わず声を上げた。

 ジークフリート様が私の方を見て、穏やかに首を傾げる。


「君の平穏のためだ」


「平穏って、物理力で作るものなんですね」


「作れる」


 言い切った。

 この人、最強だ。


 その時、近衛隊長らしき屈強な男が現れ、膝をついた。

 ジークフリート様は手紙を一度だけ見せた。


「これを読め」


 隊長はざっと目を走らせ――次の瞬間、顔から血の気が引いた。


「……奥様に、このような不敬を」


「そうだ」


 ジークフリート様の声は、最後まで落ち着いている。

 怖いのは、そこだ。


「伯爵家は、俺の妻を“物”として扱った。俺の領地に干渉しようとした。なら、対価を払わせる」


(領地扱いされた)


 私が口を挟もうとした瞬間、ジークフリート様がこちらへ戻ってきて、私の前に立った。

 そして、指先で私の髪を一房すくう。


「リゼット」


「はい」


「二度と、君に触れさせない」


 その声には、確かな怒りがあった。

 でもそれ以上に――執着に近い守りの強さがあった。


 私は言葉を失った。

 怖いのに、胸の奥が変に熱い。


「……公爵様」


「君は何も考えなくていい。君は――ここで快適に眠れ」


「結局そこに戻るんですね」


「戻る。君の快適は、俺の命だ」


 またそれだ。

 私はもう反論する気力がなくなっていた。


 ジークフリート様は笑顔のまま、隊長に命じた。


「明朝、伯爵家へ“丁寧な”返書を出す。内容はこうだ。“我が妻を呼び戻す権利はない”。そして――使者を寄越すなら、歓迎する、と」


「歓迎……でございますか」


「歓迎する。門前で」


 隊長がごくりと息を飲む。

 私も飲んだ。


(明日、来る。絶対来る。うちの実家は、空気を読めない)


 そして、来たら――この公爵様が、笑顔で、静かに、徹底的に潰す。


 ジークフリート様は、手紙を握ったまま私の部屋へ戻り、何事もなかったかのようにベッドへ向かった。


「……寝る」


「寝られるんですか、その状態で」


「寝る。君がここにいるから」


「はいはい」


 私は半分投げやりに椅子へ座った。

 公爵様はすぐに眠りに落ちた。さっきまでの殺気が嘘みたいに、穏やかな呼吸になる。


 私は天井を見上げる。


(最強公爵様が、睡眠のためにブチギレた)


 笑えないのに、少し笑える。

 でも、その夜の終わり際――屋敷の門番が走ってきて、ミレイユに耳打ちした。


「……明日、オズボーン伯爵家から使者が来るそうです」


 私の心臓が、またきゅっと縮んだ。

 そして同時に、隣で眠る公爵様の腕が、夢の中でも私を抱き寄せるみたいに動いた。


 逃げ道はもう、ない。


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