第5話 魔導具への依存が、いつの間にか私へのヤバすぎる執着に変わっていた件
結論から言うと、私の「段階的撤退計画」は初日で破綻した。
原因は、公爵様が想像以上に頑固だったから――ではない。
もっと厄介で、もっと根が深い理由だった。
私は公爵様のために、二つ目の【安眠マットレス】を作った。
材料も付与も、前回より丁寧に。公爵様の体格に合わせて反発を強め、呪いで冷えやすい末端を温める調整も入れてある。ついでに、呼吸が浅くなった時にだけ胸郭をゆるめる微弱な補助まで入れた。過保護? いいえ、これは“出禁”のための投資だ。
「完成しました。これで公爵様は、ご自分のお部屋で眠れます」
私は離れの隣室――元々物置だった部屋を整えて、そこに公爵様用の寝床一式を設置した。
空調魔石も、湯のシステムも、同等のものを「公爵様用」に増設。費用? 知らない。公爵様が許可証をくれたので、私は合法的に文明を増殖させているだけだ。
夜。鈴が鳴る。
いつものように現れた銀髪の公爵に、私は胸を張って案内した。
「こちらです。どうぞ。今日からここが公爵様の快眠ルームです」
ジークフリート様は扉の前で立ち止まり、部屋の中を一瞥した。
寝具の質、空気の温度、湿度、照明の暗さ。全部、完璧のはず。私が作ったのだから。
なのに彼は、眉一つ動かさずに言った。
「嫌だ」
「即答!?」
「ここは、君の部屋ではない」
「はい。公爵様の部屋です」
「君がいない」
その一言が、妙に重く響いた。
私の脳は一瞬フリーズし、次の瞬間、全力で合理化を始めた。
(あっ、なるほど。魔導具って、使用者の魔力に馴染むまでタイムラグがあるやつだ)
あり得る。私はそういう設定を“なんとなく”で作ってしまいがちだ。
便利を追求すると、たまに初期不良が混ざる。前世でもよくあった。
「分かりました。初期設定ですね。では私が――」
そう言って部屋に入ろうとした瞬間、手首が掴まれた。
熱い手。
公爵様の手は剣を握る人の硬さがあるのに、今は不思議と震えていた。
「君は、ここに来なくていい」
「え、でも初期設定が」
「いらない」
公爵様は私の手首を離さないまま、まっすぐ私を見る。
視線が、寝具を求める飢えではない。もっと別の、もっと個人的な渇きだ。
「……君が、あっちの部屋にいるのが嫌だ」
私の喉が、こくりと鳴った。
(え? これ、魔導具の話じゃない?)
いや、待て。落ち着け。これはきっと、極度の睡眠不足がもたらす“環境依存”だ。人は回復すると、慣れた場所でしか眠れなくなることがある。
ここは公爵様にとって、回復できた唯一の場所。だから――
「では、こちらに戻りましょう。いつもの部屋で」
私は穏便に収束させようとした。
すると公爵様の表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……あぁ」
安堵が混じった声。
その反応の速度が、もうアウトの匂いしかしない。
いつものようにベッドへ向かう公爵様。
いつものように横になり――る直前で、彼が私を見た。
「リゼット」
「はい」
「そこにいろ」
「……そこ?」
私は椅子を指差したのかと思い、素直に机の椅子へ座った。
公爵様はベッドに横たわる。呼吸が整い始める――はずだった。
整わない。
彼は目を閉じているのに、眉間に皺が寄る。
指先がシーツを掴み、離す。掴み、離す。落ち着かない人の癖だ。
(え、初期設定いるじゃん)
私は椅子から立ち上がり、ベッドの脇へ寄った。
「何か調整しますか? 反発が強すぎました? 温度が」
「違う」
公爵様は目を開けた。
そして、私の指先を掴む。
「近い」
「え?」
「もっと」
短い命令。
冷徹公爵の“仕事モード”の口調なのに、内容が子どもみたいだった。
私は一瞬、完全に理解できず――次に、あり得ない推測に辿り着いた。
(あっ。筋肉緩和の付与、接触距離で効きが変わるのかも)
私の付与魔法は私自身の魔力を基準にしている。なら「私が近いほど効く」という仕様でも、まあ、あり得る。
仕様なら仕方ない。私は仕様には従う。前世からそうだ。
「分かりました。近くにいますね」
私はベッドの端に腰掛けた。
その瞬間、公爵様の呼吸がすっと深くなった。
(やっぱり仕様だ)
私は一人で納得する。
しかし、公爵様はそこで満足しなかった。
次の瞬間、強い腕が私の腰を引き寄せた。
「わっ」
私は抵抗する暇もなく、彼の膝の上に座らされる。
背中が胸板に当たり、熱が伝わる。心臓の音が、やけに近い。
「こ、公爵様? あの、寝るだけって」
「寝る」
「……膝の上で?」
「君の体温が必要だ」
必要。
その言葉が怖いくらい真っ直ぐで、私は言い返せなくなった。
(体温調整の付与が、公爵様の呪いに対して足りないのかも……)
私は全力で合理化し、仕事として受け止めることにした。
そうしないと、頬が熱くなる理由を説明できなかったから。
公爵様は私の肩に顎を乗せ、目を閉じた。
さっきまでの緊張が嘘みたいにほどけていく。
「……落ち着く」
低い声。
氷みたいだったはずの人が、焚き火の前で溶けていく音がした。
「よかったです。仕様通りに動いてますね」
「仕様?」
「魔導具……というか、付与の」
私が言うと、公爵様が小さく息を吐いた。
笑った、のだと思う。ほんの微かに。
「……君は、本当にそう思っているのか」
「え?」
「いや、いい」
いい、で済ませないでほしい。
でも彼の腕は緩まない。むしろ、指が私の手を絡め取る。
その夜、公爵様は私を膝に乗せたまま眠りに落ちた。
私は動けなくなり、結果として“寝るだけ”という条件が、別の意味で守られた。
(私の平穏、どこ行った)
そして問題は、それが一晩で終わらなかったことだ。
翌日も。翌々日も。
公爵様は「寝に来る」だけのはずなのに、私が部屋にいないと機嫌が悪くなる。
私が浴室へ行こうとすると腕を掴む。
私が机に向かうと背後から覗き込む。
ミレイユが食事を運んでくると、なぜか無言で視線を刺す。
「公爵様、侍女さんを睨まないでください。業務委託先です」
「……君に触れるな」
「触れてません。配膳です」
「……近い」
「配膳は近いです」
論理で殴っても通じない類のやつだ。
私はじわじわと危機感を覚え始めていた。
しかも彼は、どんどん甘くなる。
「リゼット、寒くないか」
「リゼット、これを飲め」
「リゼット、今日は外に出るな。風が強い」
「リゼット、髪が……ほどけている」
名前を呼ぶ回数が増え、距離が勝手に縮まり、気づけば私は毎晩、公爵様の腕の中で“回復補助装置”みたいな扱いをされている。
冷徹公爵の面影が、寝室(というか私の部屋)限定で消失していた。
(……これ、依存の方向がズレてきてない?)
魔導具への依存のはずが、いつの間にか私そのものへ――という可能性が、頭をよぎる。
だが、私はすぐに打ち消した。
(いやいや。まさか。公爵様が私に執着するわけない)
私は加護なし。実家では無能扱い。
それに、恋愛に自信がある人生を送っていない。前世は会社、今世は実家。いずれも“使われる側”だった。
だから私は、もっと安全な答えに逃げる。
(たぶん、私の付与魔法が“私に近いほど効く”仕様になってるだけ。うん)
そう結論づけた私に、公爵様は追い打ちをかけるように、あるものを差し出した。
銀の鍵。
そして、重みのある小さな印章。
「これを持て」
「……鍵?」
「屋敷のどこへでも入れる。倉庫も工房も、俺の執務室もだ。印章は、俺の名で命令を通せる」
「え、そんな権限、私に渡して大丈夫ですか?」
「大丈夫だ」
「どうして?」
私が尋ねた瞬間、公爵様は迷わず言った。
「君の快適さは、俺の命に直結する」
真顔。
あまりに真顔で、冗談にできなかった。
(えっ、ここまで?)
鍵と印章を握った手が、妙に熱く感じる。
公爵様は私の手の甲に口づける――ような動きをして、寸前で止めた。代わりに、指先でそっと撫でる。
「……俺は、君がいないと眠れない」
依存宣言。
寝具ではなく、私に対する。
私の脳は結論を出せず、ただ現実逃避の一言を口にした。
「よかったです。仕様……じゃなくて、効果が出てますね」
公爵様の目が細まる。
その笑みは優しくて、でもどこか危うかった。
「リゼット」
「はい」
「分からないままでいい。今は」
何が“今は”なのか。
怖いのに、なぜか逃げられない。
その時、離れの入口の鈴が鳴った。
夜の訪問者ではない。昼間の、きちんとしたノック。
「奥様。お手紙が届いております」
ミレイユの声。
差し出された封筒には、見慣れた家紋が押されていた。
オズボーン伯爵家。
私の背中を抱く公爵様の腕が、ぴくりと固くなる。
そして、封筒を見た瞬間――彼の笑みが、音もなく消えた。




