第4話 「あのベッドがない夜など考えられない」冷徹公爵の通い妻(?)生活スタート
その日の夕方、私は自分の判断ミスを悟った。
ジークフリート様に「詳しく話がしたい」と言われた時点で、私はもっと強く拒否すべきだったのだ。
なぜなら、領主というのは基本的に「必要だ」と判断したら、手段を選ばない。
……ただし、彼が選んだ手段は想像の斜め上だった。
夜。
離れの入口の鈴が、ちりん、と鳴る。
(来た)
私はベッドの上で毛布を握りしめた。
すでに嫌な予感はしていた。昨日の「命綱」宣言は、ただの比喩ではない。あれは本気の、切実な、睡眠難民の叫びだった。
扉が開き、銀髪の公爵が入ってくる。
昼間の彼はいつもの冷徹仕様に戻っていたが、夜の彼は――どこかおかしい。視線が、私ではなくベッドに吸い寄せられている。
「……失礼する」
「失礼するの自覚、あるんですね」
「ある。だが――」
彼は一歩、また一歩とベッドへ近づき、まるで神殿に詣でる信徒のような顔をした。
「――あれが必要だ」
(必要なのはベッドじゃなくて睡眠でしょうに)
ツッコミを飲み込み、私は腕を組む。
ここは交渉だ。相手は公爵。こちらは追放同然の令嬢。立場は弱いが、カードは握っている。睡眠というカードを。
「条件があります」
私が言うと、ジークフリート様はぴたりと止まった。
獲物を前にした狼が、罠の匂いを嗅いだ時の動きだ。
「言え」
「無断侵入は禁止。鈴が鳴ったら止まってください。あと、寝るだけです。寝る以外の用事は持ち込まないでください。私の平穏が最優先です」
私は真顔で言い切った。
社畜時代、理不尽な仕様変更に対して仕様凍結を宣言する時の顔だ。
ジークフリート様は少しだけ眉を動かし、そして――頷いた。
「分かった」
「え、即答?」
「俺は交渉が長いのは嫌いだ。必要なのは眠りだ」
迷いがなさすぎて逆に怖い。
でも、この人は嘘をつけないタイプなのだろう。必要なもののためなら、頭も下げる。たぶん。
「では、どうぞ。……ただし、私のマットレスの上で倒れ込むのは一回までです。二回目からはちゃんと靴を脱いでください。衛生」
「善処する」
「善処じゃなくて遵守でお願いします」
そんなやり取りののち、ジークフリート様は昨日と同じように、私のベッドへ横たわった。
そして、数分も経たずに落ちた。
(早っ)
人間が寝る速度ではない。
溺れていた人が息継ぎに成功した瞬間みたいに、彼の呼吸が深く沈んでいく。
私は溜息をつき、床に布団を敷こうとして――やめた。
(いや、私が床はおかしい)
ここは私の部屋だ。私のベッドだ。
寝床を奪われたら、私のホワイト生活がブラック化する。
私は静かに椅子を引き、机へ向かった。
そしてペンを取る。
(改善策:寝床の複線化)
要するに、二つ目のマットレスを作ればいい。
公爵用。私は私用。そうすれば平穏は守られる。
ただし――材料はタダではない。
翌朝、目を覚ましたジークフリート様は、私の机の上のメモを見て、無言で紙を一枚置いていった。
「……許可証?」
「倉庫の物を自由に使えるよう、俺の名で通す」
さらっと言う。
さらっと、私の生活の難易度をさらに下げる。
「あと、人手が必要なら付ける」
「人手はいりません。邪魔なので」
「……邪魔?」
「集中が途切れます。あと、見られると落ち着かないです」
私の言葉に、ジークフリート様は少しだけ目を細めた。
不機嫌かと思ったら、違った。
「……分かった。誰も近づけない」
(権力の使い方が極端)
こうして、冷徹公爵の“通い寝”生活が始まった。
毎晩、鈴が鳴る。
私が「止まってください」と言う。
彼が「失礼する」と言う。
そして彼は、寝る。
噂は当然、屋敷中に広まった。
「公爵様が離れに……?」
「奥様の元へ毎晩……?」
「ついにご夫婦の仲が……!」
廊下ですれ違う侍女たちが、妙に目を輝かせている。
だが現実は違う。
(ご夫婦の仲じゃない。睡眠とマットレスの仲だ)
私としては、むしろ困っていた。
公爵様が来ることで、私の引きこもり計画に“他人の流入”というノイズが発生する。
しかも彼は激務の人だ。睡眠だけでなく、生活環境も改善しないと根本が解決しない。
(睡眠だけ回復しても、寝落ち先がここ固定になったら意味ない)
つまり私は、寝具だけでなく、空間そのものを快適にしてしまえばいいのだ。
そうすれば公爵様は快適に回復し、そして――自室へ帰ってくれる。たぶん。
私は倉庫で集めた材料を並べ、次の制作に取りかかった。
第一弾。
【全自動エアコン魔石】。
魔石は魔力を溜め、一定の働きをする便利な石だと聞いた。
ならば、温度と湿度を感知して、最適化してくれるよう付与すればいい。
(温度センサー、湿度センサー、制御ループ、出力は風と熱交換)
前世の脳内で、勝手に設計図が組み上がる。
私は魔石に指を当て、条件を刻む。
暑すぎれば冷やす。寒すぎれば温める。乾きすぎれば潤す。
ただし音は最小。風は直接当てない。
眠りを邪魔する要素は排除。
試運転。
魔石を置いた瞬間、部屋の冷えがすっと和らぎ、空気がほどよく柔らかくなった。
「……天才では?」
自分で言って自分で頷く。
謙遜は、私の人生で何一つ得を生まなかった。
その夜、ジークフリート様が来て、部屋に入った瞬間に足を止めた。
「……空気が、違う」
「エアコンです」
「えあ……こん?」
「室温調整装置です。寝る時、寒いと眠りが浅くなるので」
彼は無言で魔石を見つめ、そして私を見る。
その目が、またしても“飢えた人間”の目になっている。
(やめて。私を設備担当者を見る目で見ないで)
第二弾。
【無限お湯出しシステムバス】。
辺境の離れの風呂は、正直言って修行だった。
湯がぬるい。量が少ない。追い焚きが面倒。
快適な引きこもり生活に、温浴は必須だ。
私は給湯管に相当する部分へ、熱を生む付与と水量を安定させる付与を重ねた。
水の魔石と火の魔石を組み合わせ、必要な分だけ、必要な温度で出す。
(無限といっても、魔石の供給が切れたら終わるけど。言い方は大事)
湯が勢いよく出た時、私は一人で拍手した。
これだ。これが文明。
前世の私が求めていた“帰宅後の救い”が、ここにある。
そして当然、その夜。
ジークフリート様は、ベッドに吸い寄せられる前に、浴室の前で止まった。
「……湯の匂いがする」
「システムバスです」
「しす……?」
「いつでも適温のお湯が出ます。疲労回復に有効です」
彼は数秒沈黙し、低い声で言った。
「……使っていいのか」
「どうぞ。寝るだけって言いましたけど、例外です。回復は仕事の一部です」
公爵様は頷き、浴室へ消えた。
しばらくして戻ってきた彼は、明らかに顔色が違った。血色が戻り、肩の力が抜けている。
「……君は、何者だ」
「引きこもりになりたいだけの人です」
「引きこもり……」
彼は何か言いたげだったが、結局言葉を飲み込み、いつものようにベッドへ向かった。
そして、落ちる。
私は机に向かいながら、ふと気づく。
公爵様がこの部屋で眠る時間が、日に日に長くなっている。
最初は数時間。次は夜明けまで。最近では、朝食の時間まで粘る。
(……帰る気、あります?)
問いかけても、返事はない。
彼はベッドの端を掴んで眠り、時々、子どもみたいに毛布へ顔を埋める。
冷徹公爵。
帝国の刃。
呪いに蝕まれ、不眠に削られた男。
その男が今、私の作った快適空間に、少しずつ、確実に――沈んでいっている。
(まあ、回復するならいいか)
そう思ったのに、胸の奥が、ほんの少しだけざわついた。
これは、私の平穏を守るための設備投資だったはずだ。
なのに、どうしてだろう。
鈴が鳴るたびに、私は「また来た」と思う。
そして同時に――「来なかったらどうしよう」とも思い始めている。
(……いやいや。依存するのは公爵様の方でしょ)
私は自分に言い聞かせ、ペンを走らせた。
次の改善案のメモに、こう書き足す。
【課題:公爵の滞在時間が増加】
【対策:公爵用寝具を別室へ設置し、離れからの段階的撤退を促す】
完璧だ。論理的。合理的。
なのに、その文字がなぜか、少しだけ寂しく見えた。




