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元社畜令嬢、辺境で無自覚に冷徹公爵を魔導具依存に落とす  作者: 綾瀬蒼
1章

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第2話 とりあえず、自分が快適に寝るために【安眠マットレス】を作ってみた

 翌朝。

 鳥の声で目が覚めた瞬間、私は自分の耳を疑った。


(……静かだ)


 王都の屋敷では、朝は使用人の足音と義妹の金切り声と、父の怒鳴り声で始まっていた。眠気が残っていようが関係ない。「起きろ」「早くしろ」「まだ終わってないの?」が三点セット。

 なのにここは、雪と風の音と、遠くの森の気配だけ。


 寝返りを打つ。背中が痛い。


(静かなのは最高。ベッドは最低)


 硬い。とにかく硬い。

 これはもう寝具じゃない。睡眠を妨害するための拷問器具だ。


 私はもそもそと起き上がり、昨日書いた改善提案メモを机の上に広げた。


【最優先:睡眠環境】

【目的:肩こり・腰痛の根絶】

【手段:クッション性/体圧分散/温度・湿度】

【制約:材料は屋敷内調達、加工は自力】


 前世の私はシステムエンジニアだったけれど、なぜか「寝具」と「空調」には詳しい。

 理由は簡単だ。ブラック企業で生き残るには、限られた睡眠の質を上げるしかなかったから。枕、マットレス、耳栓、加湿器。ありとあらゆる手段を試した。

 その執念が、異世界で役立つ日が来るなんて。


「リゼット様。お持ちしました」


 控えめなノックのあと、昨日の侍女――ミレイユが、掃除道具と毛布、そして布と綿のサンプルを抱えて入ってきた。

 私が頼んだものが、きちんと揃っている。


「ありがとう。助かります。えっと……綿って、圧縮できます?」


「……圧縮、でしょうか。詰めて固くする、ということですか?」


「そうそう。ぎゅっと。あと、羊毛とか馬毛とか、弾力がある素材はある?」


 ミレイユは少し驚きつつも、仕事のできる人の顔で頷いた。


「倉庫にございます。寝具用の羊毛と、古いソファの詰め物に馬毛が使われていたかと。ご案内いたします」


 私は心の中で拍手した。

 こちらの常識を疑われても、否定されない。質問には答えてくれる。最高の職場だ。


 離れから本館へ続く渡り廊下は冷える。けれど、歩いているだけで気分が軽い。

 誰にも「それは令嬢の仕事ではない」と言われない。

 言われたとしても、私はもう聞く気がない。


 倉庫は広く、整頓されていた。

 棚のラベルは読みやすく、在庫は記録され、埃がない。私は思わず唸った。


(物品管理がちゃんとしてる……。この屋敷、運用が強い)


 前世の現場で、これがどれほど尊いか。

 私は一瞬泣きそうになった。


「こちらが羊毛です。こちらが馬毛。あと、亜麻布と綿布……」


 見せられた素材を触る。羊毛はふわりと軽く、馬毛は弾む。亜麻布は丈夫で通気性が良い。

 選択肢は十分だった。


(よし。三層構造にしよう)


 底は馬毛で反発。中間は羊毛で体圧分散。上は綿で肌触り。

 問題は「沈みすぎないこと」と「熱がこもらないこと」。人間の体は、温度が上がりすぎると眠りが浅くなる。逆に冷えすぎてもダメ。

 そこを魔法で調整できるのが、この世界の強みだ。


「リゼット様、まさか……新しい寝具をお作りに?」


 ミレイユが半信半疑の声を出す。

 私は、できるだけあっさり頷いた。


「ええ。硬すぎて眠れなくて。睡眠は重要です」


「……公爵家の寝具職人を呼びましょうか?」


「大丈夫。自分でやります」


 口にした瞬間、胸の奥で何かがくすぐったくなる。

 “自分で決めて、自分でやる”。

 それが当たり前なのに、私にとっては贅沢だった。


 材料をいくつか借り、離れに戻る。

 床に布を広げ、まずはサイズを測って裁断する。

 ここまでは、裁縫ができる人間なら誰でもできる。


 問題は次だ。


 私は目を閉じて、体の奥を探った。

 魔力――この世界では、呼吸のように身近なものらしい。けれど私は、昨日までそれを意識したことがなかった。

 実家では「加護なしの無能」に魔法の教育は不要だと切り捨てられ、まともに教本すら触らせてもらえなかったから。


(でも、できる)


 根拠はない。だけど、妙な確信があった。

 前世で、何も教わらなくても現場の火消しをさせられてきたからだろうか。

 「できない」を許されない環境で、私はいつも“やり方を作る”しかなかった。


 指先に魔力を集める。

 温かいというより、静電気みたいな感覚が走った。


(これが、付与……)


 私は布の端をつまみ、魔力を糸のように織り込むイメージで流し込む。

 付与魔法は、物に性質を足す技術だと聞いた。剣を切れ味よくする、盾を硬くする、ランプを明るくする。

 私はそこを、生活に全振りする。


 まずは【体圧分散】。

 寝返りを打った時、負担が一点に集中しないように、内部の反発を場所ごとに変える。人間の肩と腰は沈みやすく、背中は支えたい。

 魔力で“弾力の地図”を描く。


 次に【温度調整】。

 外気が冷えても表面が冷たくなりすぎないように、体温を逃がしにくくする。ただし、熱がこもると蒸れるから、一定以上で放熱する。

 やることは多い。でも、仕組みは単純だ。


(条件分岐。閾値。入力は温度と湿度)


 前世の脳が勝手に翻訳してくれる。

 私は思わず笑いそうになった。


 最後に【筋肉緩和】。

 これは、ほとんど反則だ。

 微弱な魔力振動で、凝り固まった筋肉をほどく。マッサージの常時微弱版。

 やりすぎるとだるくなるから、あくまで“眠りに落ちる直前だけ”強く効くようにする。


 魔力を流し終えた瞬間、ふっと指先が軽くなった。

 息を吐くと、腕が少し震えている。集中しすぎたらしい。


(……できた?)


 布を縫い合わせて中身を詰め、三層を重ねて固定し、簡易のカバーをかける。

 見た目は、ちょっと分厚い敷き布団。だけど、触った瞬間に違いがわかった。

 押すと沈み、押し返してくる。妙に“生きている”みたいな感触。


 私は恐る恐る、その上に横になった。


 ふわり。


 体が落ちるのではなく、受け止められて、必要なところだけ沈む。

 肩が沈み、腰が沈み、背中は支えられる。

 そして、冷え切っていた離れの空気の中でも、背中に触れる面だけがほんのり温かい。


「……なにこれ」


 声が漏れた。

 良すぎて、逆に怖い。


 目を閉じる。

 普段なら、「眠らなきゃ」と焦って目が冴える。前世の癖だ。睡眠は義務、休息は贅沢。

 でも今は、焦りが湧く前に、筋肉の奥がほどけていくのがわかった。肩の硬さが溶ける。顎の力が抜ける。


(あ、これ……)


 思考が薄くなる。

 雪の音が遠くなる。


 次に目を開けた時、窓の外が夕焼け色になっていた。

 私は一瞬、自分が死んだのかと思った。あまりに深く眠っていたから。


「……昼?」


 時計代わりの小さな砂時計を見て、私は呆然とする。

 半日以上、寝ていた。


(やった)


 胸の奥で、勝利の鐘が鳴った。

 私が欲しかったのはこれだ。何にも追われず、罪悪感もなく、眠って、起きて、また眠れる生活。


 その夜、私は食事を運んできたミレイユに、淡々と告げた。


「今日から、このベッドは私の命綱です。触ったら怒ります」


「……命綱」


「睡眠が取れないと人は死にます。私は前世で死にました」


 ミレイユは固まった。

 私は慌てて付け足す。


「冗談です。半分」


「……は、はい。誰にも触れさせません」


 彼女は真剣な顔でそう言い、離れを出ていった。

 私は新しいマットレスに潜り込み、天井を見上げる。


(次は、室温だな)


 寝具が最高になったら、今度は空気が気になる。人間の快適欲は際限がない。

 でもいい。私はもう、誰の顔色も見なくていいのだから。


 目を閉じる。

 ふかふかの闇が、すぐに私を飲み込んだ。


 ――その同じ夜。

 本館の執務室では、銀髪の公爵がまたひとり、書類の山と格闘していたことを、私はまだ知らない。


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