第17話 二度目のハネムーン? 今度はキャンピングカーで異世界旅行へ!
「リゼット……これは、本当に『馬車』なのか?」
公爵邸の中庭で、ジークフリート様が呆然とそれを見上げていた。
視線の先にあるのは、六頭立ての巨大な馬車――のはずなのに、見た目が明らかに“馬車”ではない。
外装は漆黒の強化木材と魔銀で覆われ、角という角に補強が入っている。
窓はガラスではなく、薄く青みがかった「防魔法ガラス」。
扉の蝶番は通常の倍の厚み。
しかも、側面には私が付けた紋章が誇らしげに刻まれていた。
――【キャンピング・フォートレス一号】。
名前だけは可愛いのに、だいぶ物騒だ。
「いいえ、旦那様。これは私の最新作、移動式最高級拠点――【キャンピング・フォートレス一号】です!」
私が自慢げに宣言すると、ジークフリート様が眉間を押さえた。
「……拠点」
「はい。旅行って、移動と宿が面倒じゃないですか。なら、宿を持ち運べば解決です」
「発想が極端だな」
「面倒の排除に妥協は不要です」
私は扉を開けた。
するとそこには、外観からは想像もつかない空間が広がっていた。
まず、リビング。
ふかふかのソファ。揺れない床。壁には収納棚。
次にキッチン。究極のキッチンの縮小版。常に適温、煙は出ない。洗い物は自動。
さらに寝室。
例のマットレスの“旅仕様”。振動を相殺する【衝撃吸収】と、移動中でも快適な【姿勢補正】が入っている。
ジークフリート様が一歩踏み込み、床を踏んで確かめる。
「……揺れがない」
「底部に【衝撃吸収魔法】と、車輪に【軌道補正】を入れました。穴ぼこでも平気です」
彼の視線が奥へ向かう。
そして、止まった。
「……露天風呂までついているのか」
車内の奥。天井が開閉する仕様の浴室。
夜には星が見える。昼は遮光できる。湯は無限、温度も一定。
「はい! 走行中の振動を完全にシャットアウトしているので、お湯がこぼれる心配もありません。夜は星空を眺めながら入浴できます」
「……君は本当に、快適のためなら世界を歪めるな」
「歪めてません。最適化です」
前世の社畜時代、唯一の癒やしだった旅番組の記憶が、異世界の技術で結実した瞬間だった。
移動中に寝られて、食べられて、風呂に入れて、しかも誰にも邪魔されない。
(最高)
ジークフリート様が私の腰を抱き寄せ、耳元で低く笑った。
「これなら、視察という名の旅も……ただの密月になりそうだ」
「視察じゃありません。休暇です。休暇扱いでお願いします」
「休暇だ」
即答が嬉しい。
最近の旦那様は、“休暇”と“定時”という単語に敏感だ。私の教育の成果である。
こうして私たちは、二人きりの旅に出た。
……と言いたいところだが。
「閣下! 奥様! 護衛を――!」
背後から、泣きそうな声が聞こえる。
公爵家の騎士団が、必死の形相で馬を飛ばして追いかけてきていた。
私は窓から顔を出し、にこやかに手を振った。
「大丈夫です! この車、侵入者は自動でゴミ判定して排出されます!」
「それが一番怖いのです、奥様ぁぁ!」
騎士団長が叫んだ。
うちの騎士団は優秀だが、私の家電の挙動にはまだ慣れていない。
車内に戻ると、ジークフリート様が当然のようにソファへ座り、当然のように私を膝に乗せた。
「ちょっと」
「揺れる。危ない」
「揺れない仕様です」
「揺れるかもしれない」
(言い訳の精度が低い)
私は諦めて座った。
彼の腕が回り、体温が背中に伝わる。
パジャマの上から外套を羽織っているのに、安心の温度だ。
車は進む。
御者はいない。
操縦はゴーレム制御の自動運転。前世で言うオートパイロット。
窓の外には、辺境の森が流れていく。
湖が見え、崖が見え、遠くに雪を頂いた山脈が見えた。
「旦那様、見てください。あの崖、絶景です」
「あぁ」
「走行中でも全自動湯沸かし器でお茶が淹れられるなんて最高じゃないですか?」
「最高だな」
彼の声は穏やかだ。
でも、視線は景色ではなく私に落ちている。
「……俺は景色より、ここが気に入った」
「どこがですか」
ジークフリート様は私の髪を指で梳きながら言った。
「閉じた空間で、君を独り占めできる」
(出た、独占領域)
キャンピングカー特有の“適度な閉鎖感”は、彼にとって究極の縄張りらしい。
しかも御者がいないので、本当に二人きり。騎士団は外。物理的距離がある。
彼の独占欲が、嬉しそうに膨らんでいるのが分かった。
「リゼット。この旅が終わっても、俺は君を離さない」
「困ります。定期的に新しい素材を買い付けないと、メンテナンスが捗りません」
「買い付けは俺がする」
「それはそれで困ります。旦那様、値段交渉で氷を出すでしょ」
「出さない」
「絶対出します」
言い合いながら、私は窓の外を見た。
日差しが柔らかい。
湖面が光っている。
水鳥が飛び立つ。
ブラック実家で、泥水を啜るように働いていた頃には想像もできない景色だ。
こんな時間が、自分の人生にあるなんて。
車は国境へ近づく。
関所が見えたが、すぐに開いた。
公爵家の紋章と、隣国との新しい契約が効いているのだろう。門番の顔が引きつりつつも、頭を下げた。
(ライセンス契約、便利)
国境を越えると、風の匂いが変わった。
森の色も少しだけ違う。
道の石の質感が変わり、馬の蹄の音が軽くなる。
私はふと、胸の奥がくすぐったくなった。
幸せだ。
快適だ。
守られている。
でも――守られている、という事実が、少しだけ怖い。
私はずっと一人で頑張ってきたから、守られることに慣れていない。
ジークフリート様が、私の頬に指先を当てる。
「疲れたか」
「いいえ。快適です」
「そうか」
彼は短く頷き、静かに言った。
「君が快適なら、俺はそれでいい」
その言葉が、やけに真っ直ぐで、胸に刺さった。
私は答えられず、代わりに彼の外套の裾をつまんだ。
車は湖畔へ入った。
草の匂い。水の匂い。
夕方の光が、車内へ斜めに差し込む。
「今夜はここで泊まろう」
私が言うと、ジークフリート様が小さく笑った。
「あぁ。……星が見えるな」
夜。
露天風呂の天井を開けると、空が丸ごと降りてくるような星空だった。
湯の中で私は息を吐く。
温度は完璧。湯気は柔らかい。
まるで世界が、私のために調整されたみたいだ。
隣でジークフリート様が、私の肩へ手を置いた。
その手は温かい。
でも、震えている。
「リゼット」
「はい」
「……俺は」
言葉が途中で止まる。
いつもの冷徹さがない。
代わりにあるのは、怖がっているみたいな躊躇。
私は首を傾げた。
「旦那様、のぼせました?」
「違う」
ジークフリート様が、湯の中で私を引き寄せた。
額が触れる距離。
「……君に、言わなければならないことがある」
星明かりが、彼の銀髪を淡く光らせる。
その目が真剣すぎて、私はようやく気づいた。
(これ、次回の空気だ)
この旅の果てに、彼はきっと――
私がずっと背負ってきた言葉を、塗り替える。
私は湯の中で、そっと息を吸った。
逃げる気はない。
でも、心の準備は必要だ。
「……はい。聞きます」
ジークフリート様の指が、私の手を強く握った。
離さない、という誓いみたいに。




