第13話 「君のような才能が辺境の女に収まる必要はない」という余計なお世話
翌日。
私は離れの増築棟――「究極のキッチン」の一角にある小さな談話スペースで、紅茶を淹れていた。
正確には、淹れているのは私ではない。
新作の【全自動茶葉抽出機】である。
抽出温度、蒸らし時間、二杯目以降の渋み補正、香りの立ち上がり――全部自動。
私はカップを置くだけでいい。最高。
(私の快適は、まず飲み物から始まる)
その時、扉の外が静かに騒がしくなった。
騎士の足音が一瞬増えて、次に引く。
わざと道を開けたような気配。
嫌な予感がした。
そして扉が、ノックもなく開いた。
「リゼット」
甘い声。
キラキラした、こちらの都合を無視する声。
黄金の髪をこれ見よがしに輝かせ、バラの花束を抱えた男――隣国の第一皇太子、エドワードが、当然のように私の空間へ踏み込んできた。
(うわ、侵入)
私は反射で机の端に置いていた「私邸規約(暫定版)」を見た。
まだ国賓対応が甘い。反省。
「勝手に入らないでください。ここは私邸です」
「国賓の訪問だ。許される」
許されない。
でもこの人は「許される」と言えば許される人生を歩いてきた顔をしている。
私は深呼吸し、紅茶をカップに注いだ。抽出は完璧。香りも綺麗。
「ジークフリートは?」
「視察の立ち会いで席を外しています」
エドワードは、狙い通りだと言わんばかりに微笑んだ。
花束を差し出してくる。
「君に贈ろう。辺境の空気は湿っぽいと聞く。花で少しは華やぐだろう」
(湿っぽいのはあなたの価値観です)
私は花束を受け取らず、代わりにカップを差し出した。
「紅茶にしますか。今、ちょうどいい温度です」
「……ふん、気が利くじゃないか」
彼は花束を持ったままカップを取った。
その瞬間、私の【茶葉抽出機】の魔力波形が一瞬だけ揺れた。
私のものを他人が触ると、空気が荒れる。私の心も荒れる。
エドワードは一口飲み、目を細める。
「渋みがない。二杯目なのに香りも落ちていない……また君の魔導具か」
「生活改善です」
「生活改善? 君の才能は、そんな些末なものに使うべきではない」
来た。
この人は褒めると同時に、奪う準備を始める。
「昨日の返事を聞かせてもらおう。こんな辺境で、野蛮な公爵の機嫌を伺いながら魔導具を作るなど、君の才能の浪費だ」
私は冷めた目で彼を見た。
機嫌を伺っているのは私ではなく、周囲が勝手にジークフリート様の地雷を避けているだけだ。
「浪費、ですか?」
「そうだ。我が国に来れば、宮廷魔導師の地位と専用の巨大工房を与えよう。最新の魔石も、予算も使い放題だ。どうだ? 今の公爵家よりずっと“やりがい”があるだろう」
(やりがい)
前世の私が、胃の奥で呻いた。
やりがいと言った瞬間に労働環境が黒くなるのは、世界共通なのかもしれない。
私はカップを置き、穏やかな声で尋ねた。
「エドワード様。一つ伺ってもよろしいですか」
「望みがあるなら何でも言いたまえ」
皇太子は勝ち誇った。
私は笑顔のまま、容赦なく踏み込む。
「その“宮廷魔導師”は、週休二日ですか」
「……しゅうきゅう?」
「有給休暇の取得率は」
「ゆうきゅう?」
「深夜の緊急呼び出しは発生しませんか。皇帝陛下の『ちょっとこれ直して』が、夜中に飛んできたり」
「……何を言っている」
エドワードは、見たこともない生き物を見る目になった。
「国のために才能を捧げるのだ。寝食を忘れて研究に没頭するのが誉れだろう。光栄なことに、我が国の魔導師は皆、月単位で家に帰らず働いている」
(うわぁ、真っ黒。漆黒)
私は紅茶を一口飲み、深くため息をついた。
この紅茶の香りだけが救いだ。
「お断りします」
「なっ……!」
皇太子の眉が跳ね上がる。
「私は今、この公爵家で“実質労働時間:一日三時間(気分次第)”という完璧なホワイトライフを送っているんです。やりがいなんて、お腹が膨れない言葉はいりません」
「才能ある者が、そんな怠惰を誇るな!」
「怠惰じゃありません。効率化です。生活を楽にして余白を作るのが目的です」
私は淡々と続けた。
「ここでは、私が作った魔導具を旦那様が全力で評価してくれます。睡眠も確保されます。食も整います。安全もある。福利厚生が手厚すぎるんです」
「福利厚生……?」
皇太子が眉間に皺を寄せた。
理解できない顔。理解できないのは結構だ。
エドワードは、声の温度を下げた。
「君は“辺境の女”で終わるつもりか? 国に仕えれば、歴史に名が残る。君一人で軍事も産業も底上げできる。その価値が分からないのか」
「分かります」
私は即答した。
「分かるから断ります。私がやったら、働かされます」
「……!」
「私は、もう過労死したくないんです」
言い切った瞬間、室内の空気がほんの少しだけ静まった。
皇太子は一瞬、言葉を失ったように見えたが、すぐに苛立ちで塗り潰した。
「くだらん。才能を持つ者は、国のために使われるべき道具だ」
道具。
その単語が、耳に刺さった。
前世の私は、何度もそれに近い扱いをされた。
今世でも、実家でそれをやられた。
私はカップを持つ手に、少しだけ力が入った。
エドワードは苛立ちを隠さず、私の方へ手を伸ばす。
今度は花束ではない。
手首を掴もうとしてくる動きだ。
(触るな)
その瞬間。
「道具?」
地を這うような低い声が背後から響いた。
同時に、室内の観葉植物が一斉に白い霜をまとった。
窓際の水差しの表面に、薄い氷の膜が張る。
振り返らなくても分かる。
ジークフリート様だ。
皇太子が、ぎくりと肩を跳ねさせた。
「ジ、ジークフリート……! 貴様、いつからそこに――」
「お前が“やりがい”を語り始めた辺りからだ」
ジークフリート様の声は静かだった。
静かすぎて、逆に恐ろしい。
「エドワード。お前は今、俺の妻を道具と呼んだ」
「比喩だ。国に仕えるとは――」
「比喩でも同じだ」
ジークフリート様が一歩踏み出す。
床がきしむ。温度が下がる。
私は反射で、彼の袖を掴んだ。
「旦那様、冷房効きすぎです。茶葉抽出機の温度制御が乱れます」
一拍。
ジークフリート様の魔力が、ぎりぎりで抑え込まれる。
本当に、食品系のワードが効く。
ジークフリート様は視線だけを私に向け、短く言った。
「……すまない」
次に、皇太子へ戻す。
その目は、氷より冷たい。
「国賓だろうが何だろうが関係ない。妻に触れるな」
「公爵。君は感情で動くのか? 国益を考えろ」
「国益?」
ジークフリート様が笑った。笑っていない笑い。
「俺の国益は、ここにある」
私の肩を抱き、明確に示す。
「妻だ」
皇太子の顔が歪む。
プライドが削れた顔。
「……辺境伯が、そこまで執着するとはな。ならばなおさらだ。君のような才能が、この男の所有物で終わる必要はない」
所有物。
またその言い方。
ジークフリート様の周囲の空気が、今度こそ限界まで冷えた。
「口を慎め」
短い言葉。
でも、その言葉の奥に“殺す”がいる。
皇太子は一歩引いた。
引いたが、負けた顔はしない。
「よかろう。今日は退く」
そして、私を見て言った。
「リゼット。君は自分の価値を知らない。だが私は知っている。……拒んでも、迎えに来る」
迎えに来る。
その言葉の意味は、招待ではない。
皇太子が去った後もしばらく、室内は冷えたままだった。
私は袖を掴んだまま、ため息を吐く。
「……面倒が増えましたね」
ジークフリート様は私を強く抱き、低い声で言った。
「怖かったか」
「怖いというより、侵入が嫌です。規約違反なので」
「規約?」
「私邸規約です。国賓対応を強化します。次からは予約が一年待ちになります」
ジークフリート様が、ほんの少しだけ口角を上げた。
「……いい」
そして、さっきまでの冷たさを残したまま、囁く。
「リゼット。あいつは次、言葉では来ない」
私は紅茶の残りを見つめ、静かに頷いた。
「分かってます。だから、次は私も“言葉”じゃなくて“仕様”で止めます」
その返事に、ジークフリート様の腕の力が少し強くなる。
守る、というより、囲う力。
そして私は気づいた。
皇太子に会ってしまったことで――ジークフリート様の中の“冷徹”が、また別の形に変わり始めている。
(次回、絶対に凍る)




