第12話 隣国の皇太子、リゼットの「全自動エアコン魔石」を魔法兵器と勘違いする
翌日、公爵領を訪れたのは、黄金の髪をこれ見よがしに輝かせた男――隣国の第一皇太子、エドワードだった。
門をくぐるなり、彼は鼻で笑う。
「辺境は砂埃がひどいな。……服が汚れる」
見上げるほどの背丈。煌びやかな外套。取り巻きは十数名、護衛も魔導師も揃えている。
わざわざ“偉い”を見せつけに来たみたいだ。
出迎えの列の先頭に立つジークフリート様は、いつもと変わらぬ無表情で一礼した。
「遠路ご苦労。歓迎する、エドワード殿下」
「ふん。形式はいい」
皇太子は返礼すら適当に済ませ、視線を屋敷へ、庭へ、そして――人の列へ流す。
値踏みするように。
「……で、ジークフリート。君の『愛玩動物』はどこだ? 挨拶にも来ないとは、辺境の礼儀作法はどうなっている」
空気が一瞬で冷えた。
ジークフリート様の周囲の気温が、氷点下まで落ちたのが肌で分かる。
皇太子の喉元に氷の礫が刺さらなかったのは、隣にいた私が、彼の服の裾をぎゅっと掴んで制止したからだ。
(だめ、だめ。床が汚れる。外交も汚れる)
私は深呼吸して、顔に“公爵夫人の笑顔(業務用)”を貼り付けた。
「申し訳ありません、エドワード様。私が妻のリゼットです。少し……いえ、かなり手が離せない作業をしておりまして」
皇太子の視線が、私を上から下までなぞる。
その目は、人を見ているというより、物品の査定票を眺めている目だった。
「ほう。噂よりずいぶん普通だな」
(普通で結構です。私は普通に引きこもりたいだけなので)
ジークフリート様の腕が、私の背に回る。
抱き寄せるというより、“壁”を作るみたいに。
「妻への無礼は控えろ」
「無礼? 事実だろう。辺境伯の妻など、所詮は飾りだ」
皇太子は笑って言い切った。
その瞬間、ジークフリート様の魔力が、目に見えない刃になったのが分かった。
(ここで刺したらダメ!)
私は裾をさらに強く引っ張り、今度は小声で囁く。
「旦那様。冷房効きすぎです。外なのに氷が出ます」
「……」
ジークフリート様が一拍置いて、殺気を引っ込めた。
えらい。食品と温度の話になると素直だ。
私はその隙に、二人を本館へ案内した。
いや、正確には“本館の応接室(改造済み)”へ。
外は照りつけるような陽射しで、石畳が焼ける。
なのに一歩室内へ入った瞬間――皇太子が、息を呑んで足を止めた。
「なっ……なんだ、この清涼な空気は!?」
窓は閉まっている。
カーテンも厚い。
それなのに、室内は高原のように涼しく、空気が乾きすぎず、肌にまとわりつく熱がない。
「なぜだ……? 風がないのに、涼しい。しかも均一だ。……魔力の揺らぎが、ほとんどない……」
皇太子の随行魔導師が、半歩遅れて呆然と呟いた。
魔導師が呆然としている時点で、だいたい面倒が始まる。
皇太子の視線が、棚の上に置かれた小さな青い魔石に釘付けになる。
複雑な魔法陣――というより、細密な“付与の網目”が刻まれたそれは、私の快適の象徴。
通称『リゼット式・全自動エアコン魔石』。
「あぁ、それはただの温度調節用の魔石です。私が昨日、少し魔力を込めて調整したばかりなんですよ」
私がのんきに説明した途端、皇太子の顔色が劇的に変わった。
彼は青い魔石へ詰め寄り、舐めるように観察し始める。
「馬鹿な……! 室内の広範囲の熱を、これほど精密に、かつ持続的に制御しているだと? 術式の密度、変換効率、安定性……これは『冷却魔法』の極致ではないか!」
「いえ、ただ冷房を――」
「黙れ。言い訳は要らぬ」
(言い訳じゃないんですけど。用途説明なんですけど)
随行魔導師が、震える声で続けた。
「殿下……この魔石は熱を“生む”のではなく、周囲の魔力を吸い上げて変換しています。つまり……魔力の流れを一点に集束させ、瞬間的に放出すれば――」
皇太子が、子供みたいに目を輝かせた。
「砲撃だな」
(やめて。快適グッズを砲撃に変換しないで)
皇太子は、私ではなく魔石に向かって言った。
「この技術があれば、戦場において敵軍の熱源を奪い、凍土に変えることすら可能だ。……ジークフリート、貴様! 辺境で密かに恐ろしい『魔法兵器』を開発していたな!?」
ジークフリート様が、冷えた瞳で皇太子を見下ろす。
「兵器ではない」
彼は私の肩を抱き寄せ、明確に“線”を引いた。
「これは妻が我々の安らぎのために作ったものだ。他国に譲るつもりはない」
皇太子は鼻で笑った。
「安らぎ? 宝の持ち腐れだ。公爵にこれほどの物は過ぎた玩具だろう」
言葉の刃が、わざとらしく鋭い。
挑発して、折らせて、奪う。そういう手つき。
皇太子の視線が、今度は私に向いた。
「……リゼットと言ったか。その才能、帝国ではなく我が国でこそ活かされるべきだ」
嫌な予感がする。
こういう人は、物を見たら次に人を見る。
「どうだ、俺の側妃になれば、この千倍の予算と研究室を与えてやろう」
(はい出た。福利厚生で釣るやつ)
しかも“予算”と“研究室”を餌にする人は、たいてい現場をブラックにする。前世の経験則だ。
皇太子は自信満々に、私の手を取ろうとした。
その瞬間。
ぱき、ぱき、と音がした。
皇太子の足元から床が凍りつき、薄い氷が蜘蛛の巣のように広がっていく。
応接室の温度が、体感で一気に落ちた。
ジークフリート様の声が、これまで聞いたことがないほど低い。
「手を離せ、エドワード。次はその腕を二度と使い物にならない氷像にしてやる」
(やばい。氷像は掃除が大変)
私は反射でジークフリート様の袖を掴み、短く言った。
「旦那様、床」
「……」
その一言で、氷の広がりが止まった。
止まったが、空気の圧は止まらない。
皇太子は一瞬だけ顔を引きつらせた。
だがすぐに、薄く笑う。
「ほう。噂の『冷徹公爵』は、妻の前だと狂犬になるのか」
ジークフリート様が一歩出かけたので、私は今度は裾を全力で引っ張った。
裾は大事。裾は命綱。
「……フン。今日のところは引こう」
皇太子は肩をすくめ、氷の床を踏み割らないよう器用に後退する。
「だが覚えておけ。あの魔力変換効率は国の力になる。才能も同じだ。……宝は、いずれ手に入れる」
捨て台詞が、まるで宣戦布告だった。
皇太子は踵を返し、随行を引き連れて部屋を出た。
扉が開き、熱気が流れ込む。
(せっかくいい温度設定だったのに)
私は逃げ出した皇太子より、開け放たれた扉と、入ってくる熱い空気のほうが気になっていた。
「……閉めてください」
護衛が慌てて扉を閉める。
空調魔石が働き、室内はすぐに快適へ戻った。さすが私。
しかし、隣に立つジークフリート様の“魔圧”だけは戻らない。
熱いのに冷たい、矛盾した圧。
彼は私の頬に触れ、確かめるように低く言った。
「触られたか」
「触られてません。裾を掴んでました」
「……よくやった」
褒め方が、戦場の評価だ。
私はため息をつき、魔石を棚の奥へ少し押し込んだ。
見える場所に置いた私が悪い。私は反省し、即座に仕様を変えるタイプだ。
(対国賓用:表示板を隠す。魔力波形を散らす。説明は“既製品”で統一)
頭の中で箇条書きが走る。
その横で、ジークフリート様の腕が私の肩を強く抱いた。
「リゼット。あいつは次も来る」
「来ますね」
「次は、もっと露骨だ」
「露骨は迷惑です」
私が真顔で言うと、ジークフリート様の目が細くなった。
笑っていない笑顔。危険なやつ。
「……迷惑なら、排除する」
「床は汚さないでください」
「汚さない」
汚さない排除って何。怖い。
その夜、私はキッチン棟で湯たんぽを錬成しながら、確信していた。
皇太子は引かない。
便利なものを見つけた権力者は、必ず手を伸ばす。
そして――ジークフリート様は、その手を叩き落とす。
つまり。
(次回、説得という名の勧誘が来る)




