第11話 冷徹公爵様、今度はリゼット特製「湯上がりパジャマ」に依存する
「……リゼット。これは、いったい何を着せた」
湯気をまとったまま離れのリビングに入ってきたジークフリート様が、自分の袖口をつまんで固まっていた。
濡れた銀髪をタオルで拭きながら、信じられないものを見る顔で、何度も布を指で撫でている。
彼の身に着けているのは、私が昨夜のうちに仕上げた試作品――湯上がり用の新作パジャマ。
ふかふか、なのに熱がこもらず、肌に張り付かない。着た瞬間に「はぁ……」と息が抜けるように、布の側で勝手に温度と湿度を整える仕様だ。
「魔法ですか?」
「いや……魔法だろう。着た瞬間、肩の力が抜けた。……体が、戦う理由を忘れた気がする」
(戦う理由を忘れた、って言い方が物騒すぎる)
「ただのパジャマです。まあ、布の繊維に【水気を逃がす付与】と【体温の揺れを抑える付与】は入れてありますけど」
「……付与が“入っている”という規模ではない」
ジークフリート様は渋い顔のまま、ゆっくりとソファに沈んだ。
沈んだ、というより落ちた。重力に負けた。
かつて戦場で恐れられた冷徹公爵は今、パジャマに敗北している。
「そんなに良かったですか」
「あぁ。王都の献上品の絹も、最上級の毛皮も……今となってはただの硬い布だ。……君は俺の感覚を壊す」
「壊してません。整えてます。休息の質って大事なんですよ」
私は冷静に言い切った。
前世で散々壊された私の睡眠が、そう言っている。
「旦那様は働きすぎです。ちゃんと休んで、明日も元気に……いえ、ほどほどに働いてください。ホワイトな運用は、まず寝具と部屋着から始まります」
「……君の“ほどほど”は信用ならない」
「それは私も同意します」
自分で言っておいて悲しくなる。
でも実際、私の“ほどほど”はだいたい行き過ぎる。付与が強く出るから。
ジークフリート様は、ソファから体を起こし――次の瞬間、私の腰を抱えて引き寄せた。
抵抗する暇もなく、私は彼の膝の上に座らされる。
「ちょっと」
「座れ」
命令の形をしているのに、声はやけに低くて、弱い。
そして彼は、私の肩口に顔を埋めて深く息を吸った。
「……落ち着く」
「匂いを確認しないでください」
返したのに、彼は止めない。
むしろ、さらに抱く腕が強くなる。
「君の匂いと、この布の感触……これが俺の安全圏だ」
「安全圏って言い方が重いです」
私が軽く身を捩ると、ジークフリート様の指がパジャマの袖を撫でる。
「……もう一つ確認がある」
「何ですか」
彼は真顔で言った。
「これを、他の者に作るな」
「えっ」
「俺だけだ」
冗談の温度ではない。
目が、本気で独占している。
「いやでも、量産できたら公爵領の名産に――」
「却下」
「即答が早い」
「許さない」
(うわあ、ガチ)
私は頭の中で計算を始めた。
パジャマの量産は確かに儲かる。労働環境改善にもなる。
ただし、旦那様の機嫌が終わる。
(利益と平穏、どっちを取るか……)
答えは出ている。平穏だ。私は引きこもりだから。
「分かりました。じゃあ“完全版”は旦那様専用。一般向けはスペックを落とします」
「一般向け?」
「肌触りは良いけど、温度調節と癒しの付与は弱め。依存を生まない健全仕様です」
「……健全」
ジークフリート様が納得しかけた顔を、途中で止めた。
「誰が着る」
「料理人さんとか、夜勤の使用人さんとか。眠れないと困りますし」
「……」
沈黙。
彼は“良いことだ”と理解しているのに、“嫌だ”が勝っている顔をしている。面倒な人だ。
私はため息をつき、最終調整を入れた。
「じゃあ、使用人には付与前の布だけ。裁縫だけ頼んで、付与は私が最後にします。これなら“私の魔力が入った完成品”は管理できます」
「……それでいい」
即答。
結局、管理という言葉で落ち着くあたり、領主気質が抜けない。
そこへ、ミレイユが控えめにやって来た。
一礼してから、視線がジークフリート様のパジャマに吸い込まれている。
「……公爵様、そのお召し物は」
「夫人の作だ」
「……なるほど」
ミレイユは何かを悟った顔で、私に小声で言った。
「奥様、本館の皆が、朝から騒然としております。公爵様が“ずっと柔らかい”と……」
「言ってない」
「言ってます」
私が即答すると、ジークフリート様が咳払いをした。
否定しない。つまり言った。
私は視線を逸らし、仕事モードに切り替える。
「それで、何か用ですか?」
「はい……隣国の皇太子殿下の件で」
その単語が出た瞬間、ジークフリート様の腕が硬くなる。
空気の温度が、ほんの少し下がる。
「殿下が本日、『昨日見た空調魔石について詳しく説明を』と、強く求めております」
「断れ」
「すでに断っておりますが……『国賓としての視察』を理由に、引き下がりません」
引き下がらない。
私は心の中で「ほらね」と呟いた。
ジークフリート様は私の頬に指先を当て、低い声で言った。
「君は出るな。視線に触れさせない」
「分かってます。私はここで芋を揚げます」
「……芋はいい」
「良くないです。重要です」
私が真顔で返すと、ジークフリート様がほんの少しだけ口角を上げた。
そして、私の耳元に顔を寄せる。
「今夜もこれを着る。……確認が必要だ」
「何の確認ですか」
「君が作ったものが、どこまで俺を駄目にするか」
(やめて、言い方が危険)
私は思わず、社畜の反射で言ってしまった。
「……それ、定時退社できないやつですか」
「定時などない」
「あります。私の睡眠が定時です」
言い合いながらも、彼の指が私の指を絡め取る。
離さない、という意思が伝わってくる。
その瞬間、扉の外から再びミレイユの声がした。今度は少し急いでいる。
「公爵様。皇太子殿下が、『夫人にも直接礼を述べたい』と……離れの位置を尋ねております」
空気が、凍る。
ジークフリート様の目が細くなり、声音が一段低く落ちた。
「……近づけるな」
私は毛布ではなく、パジャマの袖をぎゅっと握った。
旦那様が依存したのは布だけじゃない。
その依存を嗅ぎ取る相手が来たら、面倒が増える。
(次、絶対に“説得”しに来る)
私は心の中で、迷惑客フィルタの更新手順を組み立て始めた。
外交用。国賓対応版。
そして、何より――私とこのパジャマを守るための、最小で最大の防御。
隣でジークフリート様が、私の肩に額を寄せて短く囁く。
「俺のものだ」
「布です」
「君だ」
即答が、怖いほど真っ直ぐだった。




