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元社畜令嬢、辺境で無自覚に冷徹公爵を魔導具依存に落とす  作者: 綾瀬蒼
2章

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第10話 公爵夫人の初仕事は「離れ」の増築と「究極のキッチン」作り

「リゼット、またこんなところにいたのか」


 背後から伸びてきた逞しい腕に、すっぽりと包み込まれる。

 私の背中に預けられた額から、銀色の髪がさらりと流れた。辺境の守護龍――もとい、我が夫、ジークフリート様だ。


「あ、旦那様。お仕事終わったんですか?」

「終わらせてきた。……君がいないと、執務室の空気が薄くて死にそうになる」


(いや、どんな肺活量ですか。前世のブラック上司みたいなこと言わないでください)


 第1部で実家との縁も切れ、私は正式にこのルンドベリ公爵家の主となった。

 ……はずなのだが、私は未だに本館の豪華な寝室ではなく、最初にあてがわれた「離れ」を拠点にしている。


 理由は単純。ここが世界で一番、私の【付与魔法】でカスタマイズされた「ホワイト職場」だからだ。

 寝具は最高、空調は自動、お湯は無限。しかも誰にも邪魔されない――と言いたいところだが、最近は邪魔ではなく「常駐」がいる。


「それで、今日は何をしていたんだ? 庭に妙な鉄の箱が並んでいるが」

「ふふふ、よくぞ聞いてくれました! これが私の新作【全自動乾燥機能付き・洗濯魔導具】と、奥にあるのが【超伝導・三口魔石コンロ】を完備した究極のシステムキッチンです!」


 私が指差した先には、現代日本の家電を模した、けれど魔石で動くオーパーツのような調理場が鎮座していた。

 離れの横に増築した、私の新しい「職場」――いや、生活基盤。究極のキッチン棟である。


「キッチン……? 料理なら料理人が作るだろう」

「旦那様、分かってませんね。自分で夜食にラーメン……じゃなくて、ちょっとした軽食を作りたい時、火起こしから始めるのはもはや重労働、いえ、サービス残業です! 私は『食べたいと思った瞬間に食べられる』世界を作りたいんです!」


 私の力説に、ジークフリート様は呆れたように笑いながらも、私の首筋に顔を埋めて深く息を吸い込んだ。


「……君が作るものは、どれも人をダメにするな。あのマットレスも、パジャマも。俺はもう、君の作ったものがないと夜を越せない体になった」

「それは良かったです。福利厚生の充実は、生産性の向上に繋がりますからね」


 私の社畜染みた返しを無視して、ジークフリート様は私の手をとり、指先に愛おしそうにキスをした。

 その瞳には、かつての冷酷さなど微塵もない。むしろ、お気に入りの玩具を絶対に離したくない子供のような、昏い独占欲が揺らめいている。


「だが、あまり根を詰めるなよ。離れの増築もいいが、明日は隣国の皇太子が視察に来る。……正直、君を奴の目に触れさせたくないのだが」

「隣国の皇太子様? 大丈夫ですよ。私はただの『引きこもり公爵夫人』として、このキッチンで新作のポテトチップスでも揚げてますから」


「……ポテトチップス?」


 ジークフリート様が首を傾げる。


 この時、私はまだ知らなかった。

 私が「自分が楽をするため」に作ったこのキッチンや便利グッズが、隣国の傲慢な皇太子の目に留まり、国家規模の「嫁略奪騒動」に発展するなんて。


「リゼット。明日の視察が終わったら、またあのマットレスで一緒に寝てくれるか」

「はいはい、有給休暇の申請ならいつでも通りますよ」


 甘える旦那様を適当にあしらいながら、私は新開発のコンロに火を灯した。

 青白い魔力の炎が、私の快適な未来を照らしている気がした。


 ――そして、その未来の中心にあるのは。


「食です」


 私は真顔で呟いた。


 社畜は、まず食べることが難しい。

 忙しい、疲れている、やる気がない。

 なのに腹は減る。減るのに作る気力がない。最悪だ。


 だからこそ、私は決めたのだ。

 この世界でこそ、食事を“労働”から解放する、と。


「奥様、よろしいのでしょうか……本当に、こちらをお使いになるおつもりで……?」


 増築したキッチン棟の入り口で、屋敷の料理長――バルドが蒼白な顔で立っていた。

 厳つい体格の中年男性なのに、震えが隠しきれていない。隣には若い料理人たちが並び、全員が私の魔導具を見て息を呑んでいる。


 彼らにとって台所は戦場だ。

 炎、油、煙、熱、刃物。

 その戦場に、今、未知の兵器が並んでいる。


「使いますよ。私が」

「奥様が、ですか……!」

「はい。もちろん料理長の仕事を奪うつもりはありません。私は“夜食を最短で供給する環境”が欲しいだけなので」


「夜食……」

 バルドが深刻そうに繰り返す。

「公爵家の夜食は……確かに、深夜に要求されることが……」


 その視線が、私の背後に向いた。

 ジークフリート様が、悪びれもせず頷く。


「必要だ。俺は眠るために栄養が要る」

「睡眠のために食べるの、初めて聞きました」


 私は即座にツッコミつつ、台所の中央にある銀色の箱を叩いた。


「まずはこちら。【全自動調理魔石・一号】。温度、時間、撹拌、火加減――全部これがやります。鍋を見張る必要なし。焦げ付きなし。吹きこぼれもなし」

「鍋を……見張らない……?」

「見張りません。見張るのはブラックです」


 次に、壁際の奇妙な板状の装置を指差す。


「こっちは【無煙ロースター】です。煙が出ない。油跳ねが少ない。匂いが残らない。焼肉が台所に染み付かない」

「……焼肉、を?」

「ええ。快適に食べるために必要です」


 料理人たちの目が、揺れた。

 焼肉という単語の威力が思った以上に強い。

 この世界にも、肉は正義らしい。


 そして最後に、私の自信作――コンロへ手を伸ばす。


「【超伝導・三口魔石コンロ】。火力調整が即応。鍋底を均一に加熱。あと、火を消し忘れても三分で自動停止。安全第一です」

「自動停止……!」


 バルドが、とうとう膝をつきそうな顔になった。

 料理人にとって火の消し忘れは悪夢だ。

 悪夢が仕様で防げるなら、それはもう革命である。


「奥様……これほどの設備があれば、我々の仕事は……」

「増えます」


「……増えます?」

「だってこれ、楽なんですよ。楽になると人は、もっと作りたくなるんです。料理長、今まで作れなかったもの、作ってみたくありません?」


 バルドの口が、微かに開いた。

 そこに浮かぶのは恐怖ではない。

 職人の目だ。試したくて仕方ない目。


 私はにっこり笑って、最終兵器を出した。


「あと、片付けも楽にします。こっちの流し台に【自動洗浄付与】入れました。洗い物を置くだけで油汚れが落ちます。拭き上げまで自動です」


 沈黙。

 次の瞬間。


「奥様ァ……!」

 バルドが、感極まったように両手で顔を覆った。

「神よ……いえ、奥様……!」


(神じゃないです。私はただの引きこもりです)


 しかし、料理人たちの反応はそれ以上だった。

 若い料理人が、震える声で言う。


「……これなら、熱で手が荒れない」

「鍋を見張らなくていいなら、失敗が減る」

「夜中に呼ばれても、辛くない……」


 なるほど。

 私の快適だけじゃなかった。

 彼らの労働環境までホワイト化してしまった。


(やばい。意図せず改革した)


 私は目立ちたくないのに。

 目立ちたくないのに、生活を楽にすると勝手に革命が起きる。


 ジークフリート様が、私の肩に手を置く。


「……君は本当に、何も考えずに世界を変えるな」

「考えてます。私は自分の夜食のことしか考えてません」


 彼は小さく息を吐き、笑った。

 それから料理長たちに向け、落ち着いた声で言う。


「これは夫人の私邸だ。許可なく触れるな。だが、夫人が使わせると言うなら使え。……礼なら言葉で済ませろ。騒ぐな」


「は、はい!」


 命令の形をしているが、内容は優しい。

 料理人たちは背筋を伸ばしながら、でも目は涙ぐんでいる。


 私は早速、実演に入った。

 まずは“ポテトチップス”だ。


 薄く切った芋を、全自動調理魔石の鍋へ。

 油の温度は自動で維持。時間が来たら引き上げ、余熱でカリッと仕上げる。


 私は塩と、少量の乾燥ハーブを混ぜる。

 前世で好きだった、あの素朴な味を思い出しながら。


「……できました」


 皿に盛ると、料理人たちが恐る恐る覗き込む。

 バルドが一枚つまみ、口に入れた。


 ぱり。


 その音が、台所に響いた瞬間。

 彼の目が見開かれる。


「……軽い。なのに、香りが濃い」

「でしょう? 揚げ温度が一定だと、油が重くならないんです」


「なんと……」


 若い料理人が次々に手を伸ばし、皆が同じ顔をする。

 驚きと幸福の顔。


 その顔を見て、私は妙な満足感を覚えた。

 前世で見たかったのは、これだったのかもしれない。


 そこへ、ミレイユが控えめに入ってきた。

 表情が、少し硬い。


「奥様、公爵様。明日の視察について、隣国より正式な到着時刻の連絡が……」

「ありがとう。置いておいて」


 ジークフリート様の声が冷える。

 料理人たちも、空気の変化を察して背筋を正した。


 私は皿を抱えたまま、ジークフリート様を見上げる。


「旦那様、そんなに警戒しなくても。視察なら台所は見せませんよ。私邸ですし」

「……視察の名で来る者ほど、線を越える」


 低い声。

 昨夜までの不眠の名残ではない。領主としての警戒だ。


「君の作るものは、便利すぎる。便利は、欲望を呼ぶ」

「じゃあ、見せなければいいです。私は引きこもるので」


「それでも、嗅ぎつける」


 ジークフリート様は私の頬に触れて、確かめるように言った。


「明日、君は離れから出るな。俺の許可があるまで、誰とも会うな」

「分かりました。ポテトチップスを量産して引きこもります」


「……量産はするな。胃が危険だ」


 その心配は不要ではない。

 私は芋を揚げすぎるタイプだ。


 料理長バルドが、咳払いをして言った。


「奥様……もしよろしければ、その“ぽてとちっぷす”……明日の昼食の前菜として……」

「いいですよ。みんなで作れるように、工程を標準化します」


「標準化……!」


 また変なところで刺さった。

 料理人たちの目が輝く。

 私は慌てて付け足した。


「ただし、味付けは現場裁量で。私は現場の自由を尊重します」

「奥様……!」


 感動するな。

 私はただ楽をしたいだけなのに。


 その日の夜。

 私はキッチン棟の端で、明日のための“静音モード”をいくつか仕込んでいた。

 視察が来るなら、余計な音も匂いも情報も漏らしたくない。

 引きこもりは、情報統制が命だ。


 ジークフリート様はいつも通り、離れのベッドへ。

 そしていつも通り、私の手を取る。


「……明日が終わったら、君とだけ過ごす」


「はいはい。申請は通します」


「通せ」


「もう通ってます」


 彼の指が、少しだけ強く絡む。


「リゼット。もし明日、何かあれば――」


「迷惑客フィルタを発動します」


「……俺が発動する」


「物理は床が汚れるのでやめてください」


 小さく言い合って、私はようやく目を閉じた。

 魔導具の音は静か。空気は暖かい。

 ポテトチップスの塩の香りが、まだ少しだけ残っている。


 快適。

 完璧。


 ――なのに。


 眠りに落ちる直前、廊下の向こうで、控えめな足音が止まり、誰かが囁く声がした。


「……噂通りだな。公爵夫人の“私邸”には、帝都でも見ぬ魔力の匂いがする」


 私は目を開けた。

 ジークフリート様も、同時に目を開けた。

 空気が、一瞬で氷の温度へ変わる。


(もう来たの? 明日じゃなくて?)


 扉の外で、ミレイユの緊張した声が続く。


「公爵様。隣国の一行が……予定より早く到着したと。……皇太子殿下が『今すぐご挨拶を』と」


 最悪の単語が揃った。


 私の手を握るジークフリート様の力が、強くなる。

 そして、静かな声で言った。


「……会わせない」


 私は毛布を握りしめ、心の中で叫んだ。


(お願いだから、私の快適キッチンに触らないで)


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