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元社畜令嬢、辺境で無自覚に冷徹公爵を魔導具依存に落とす  作者: 綾瀬蒼
1章

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第1話 「君を愛することはない」⇒「やったー!残業なしのホワイト生活確定ですね!」

 馬車の窓から見える景色が、どんどん白くなっていった。

 雪。針みたいに細い粉雪が、辺境の空気に溶ける前に頬へ突き刺さる。王都からここまで、何日かかっただろう。舗装の甘い道で車輪が跳ねるたび、身体の奥に残る疲労が、前世の徹夜明けみたいにじわりと疼いた。


(でも、もう終わった……)


 胸の内でそう繰り返す。

 オズボーン伯爵家の屋敷。終わらない書類。父の嘲笑。義妹の「無能のくせに手が遅いわね」。睡眠は三時間、食事は立ったまま、風呂は贅沢。私は伯爵令嬢のはずなのに、どう見ても都合のいい作業員だった。


 神の『加護』がない、というだけで。


 そして――前世でも私は、ブラック企業のシステムエンジニアとして見事に過労死している。

 二度目の人生でも社畜。さすがに笑えない。なのに、笑ってしまいそうになるくらい、今日が「解放」の日だった。


 馬車が止まり、扉が開く。

 目の前にそびえるのは、雪と風に削られた堅牢な城館。高い塀、重い門、無駄のない構え。領地の民を守るためだけにある建物の顔をしていた。


「……ルンドベリ公爵邸へようこそ。リゼット様」


 出迎えた執事は、礼儀の手本みたいな人だった。言葉も姿勢も完璧で、逆に怖い。

 だが私は知っている。こういう人は、やるべきことが明確なら味方になってくれる。


「ありがとうございます。お手数をおかけします」


 頭を下げ、式典めいた入城を終え、案内された先は執務室だった。

 扉が閉まった瞬間、空気が一段冷える。


 執務机の向こうにいたのは、銀髪の青年。美貌という言葉が軽く感じるほど整った顔立ちなのに、目だけが氷みたいに温度を拒んでいる。

 この人が――「冷徹公爵」ジークフリート・フォン・ルンドベリ。


 彼は立ち上がりもしない。歓迎の言葉もない。あるのは、最初から結論だけ。


「君を愛することはない。これはただの政略結婚だ」


 重厚な机の上で、書類がきっちり揃っている。その端正さが、逆に「感情を挟む余地はない」と言っているみたいだった。


 普通の令嬢ならここで泣くのだろう。

 でも私は――胸が、跳ねた。


(愛されない?)

(つまり、面倒な夜の務めも、派閥争いのお茶会も、跡継ぎ圧も、全部スルーでいいってこと……?)


「本当ですか!?」


 勢いよく身を乗り出したせいで、椅子がきしんだ。

 ジークフリート様が一拍遅れて眉をひそめる。


「……は?」


「確認ですが、愛さないということは、私に一切干渉しないということですか?」


 口から出た言葉は、ほとんど業務確認だった。前世の癖が抜けない。

 けれど私にとっては、ここが一番重要だ。契約の範囲。責任分界点。勝手に増えるタスクは、絶対に許さない。


「……あぁ。君には屋敷の古い離れを与える。そこで大人しく生きていれば、最低限の衣食住は保証しよう。だが、俺の前に姿を現すことは許さない。無論、俺の寝室に来ることもない」


 威圧で押し潰すような声。

 なのに私は、その一語一語が福音にしか聞こえなかった。


「素晴らしいです!」


「……何がだ」


「離れを個室として付与、衣食住のベースライン保障、面談頻度ゼロ、夜間呼び出しなし……完璧な労働条件……いえ、契約内容ですね!」


「ろう……?」


 ジークフリート様の口が、わずかに開く。初めて見た表情だ。困惑という名の、人間らしさ。


「お前、理解しているのか。俺はお前を妻として扱わないと言っている。惨めな幽閉生活になるというのに」


「はい。存じております。幽閉=外部会議なし、社交対応なし。最高です」


「最高……?」


「それに三食つけていただけるのですよね? 寮付き、食費会社負担……ルンドベリ公爵家、ホワイトすぎます」


「ほわいと……?」


 冷徹公爵様が、初めてほんの少しだけ目を細めた。こちらを観察する、というより理解不能な生き物を見る目だ。

 でも、そんなことはどうでもいい。私は今、自由を手に入れたのだ。


(過酷なサービス残業も、理不尽なパワハラもない。睡眠を削って書類を回す必要もない。誰にも怒鳴られない。休日が、あるかもしれない!)


 魂が歓喜で震える。

 辺境でのスローライフ。控えめに言ってイージーモードすぎる。


「では、私は早速離れへ向かいますね。ジークフリート様も、お仕事頑張ってください。過労にはくれぐれもお気をつけて」


「……おい」


 呼び止める声が聞こえた気がしたけれど、私は丁寧に一礼して、執務室を出た。

 もたもたしていると、追加のタスクが生える。これは経験則だ。


 案内された離れは、確かに“古い”の一言だった。

 廊下は薄暗く、窓枠に雪が溜まり、使われていない部屋特有の冷えた匂いがする。けれど私は落胆しない。むしろ笑ってしまいそうだった。


(自分だけの城だ)


 扉を開けると、小さな居間と寝室、簡易の書斎が繋がっている。家具は最低限、カーテンは色褪せ、ベッドは……触れた瞬間にわかる。硬い。とても硬い。


「リゼット様、必要なものがあればお申し付けください」


 同行していた侍女が、恐る恐る言った。目線が私の顔より少し下にある。

 たぶん彼女も聞いているのだ。『加護なしの無能』『厄介払い』という評判を。


「ありがとうございます。まずは――掃除道具と、追加の毛布を二枚。それと、布と綿の在庫があるなら見せてください」


「……布と、綿、ですか?」


「はい。寝具の改善をします」


「リゼット様ご自身で……?」


 驚きが隠せていない。

 私はにこりと笑った。


「平気です。これでも前職……いえ、前の環境で、全部自分で回していたので」


 言った瞬間、胸の奥がちくりとした。

 でも、今は違う。ここでは誰も私を急かさない。怒鳴らない。夜中に「至急」で叩き起こさない。


 侍女が去り、静けさが落ちる。

 私は窓辺に寄って、外の雪景色を眺めた。遠くに森と山。王都みたいに息苦しい石壁の密集はない。風は冷たいけれど、空が高い。


(ここを、最高の引きこもり空間にする)


 私は机に座り、紙とペンを手に取った。

 前世で鍛えた悪癖――「改善提案」を書き出す癖が、今こそ役に立つ。


 睡眠環境。室温管理。給湯。防音。食事の導線。作業スペース。

 そして、最後に小さくメモする。


【付与魔法】――生活の快適化に全振り。


 加護はなくても、私には私の得意がある。

 誰にも褒められず、誰にも価値を見られず、それでも黙って積み上げてきたものがある。


 ベッドに腰掛けると、やっぱり硬い。骨に響く。

 私は布団に潜り込みながら、ふっと笑った。


(明日、まずはここからだ。絶対に肩が凝らない、ふかふかの安眠ベッドを作ろう)


 誰にも干渉されない離れで。

 残業もない辺境で。

 私の、最高にホワイトなぐーたら生活は――こうして静かに始まった。


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