追放-2
身体じゅうが痛い。
木の枝が皮膚を抉り、岩に肉を削られた。
ルミを助けなきゃ。
握った手の感触だけは、まだ残っていた。
視界が、暗転した。
意識を失ってから、どれくらいこうしていたのだろう?
目を覚ますと――僕は土の中にいた。
地中の奥深くまで沈んだのか、昼か夜かも分からない。
全身が土に覆われ、空気が薄くて肺が痛む。
ルミを助けに行かなきゃ。
どうにか身体を捩らせて空間を作り、必死に土を掻き分けた。指先の感覚がなくなるくらい掘り進めた先で、ようやく光が見えた。
「ぷは!」
思い切り口から息を吸い、酸素が肺に満たされた。
ああ、良かったと胸を撫で下ろす暇はなかった。
まず、僕は丸裸だった。冷たい空気が肌に触れて、身震いした。全身をズタズタに切り裂かれた記憶があるのに、身体には傷一つ見当たらない。
掘り起こした先は、無機質な墓石の列――村の墓地だった。
墓地は、山からは遠く離れている。
誰かが助けてくれた?
丸裸なこと、土の中にいたこと、墓地のことなど疑問ばかりが残る。
たまたま視界に入った墓石が、嫌な形で僕の疑問を解消した。
『シオ ここに眠る』
そこには、僕の名前が刻まれていた。
「いやああああ!!」
僕よりも先に叫び声を上げたのは、いつも手作りのシチューを分けてくれるローズおばさんだった。
「ローズおばさん! 僕、ルミを探してて……」
「ば、化物ぉ!」
僕が駆け寄ろうとすると、ローズおばさんは誰かに供えるつもりだったはずの花束を地面に落として、一目散に逃げてしまった。
「花、傷んでしまう……」
紐が解かれた花を拾い集めていると、後ろから毛布を叩きつけられた。
とにかく寒かったので、お礼を言おうとしたが、
「動くな、化物」
またしても、僕が声を掛ける前に鉄製のさすまたを向けられた。
さすまたをこちらに向けているのは、ローズのおばさんの旦那さんだった。
「なんだ、シルヴァンさんか」
ローズおばさんとシルヴァンさんは、両親を亡くした僕たちにとって、親代わりの存在だった。
「しゃべるな」
だけど、なんだか様子がおかしい。
他の人たちも、鍬や、杵を構えて僕を見ている。
もしかして、あそこは立ち入り禁止区域だったのかな?
すぐにでもルミを探しに行きたかったけれど、指示に従うことにした。
「立て」
さすまたを突き付けられたまま、僕はゆっくりと立ち上がる。
空が翳り、雨が降る前の独特な香りがする。
異様な空気の中、村の集会所に連れて行かれた。
集会所に着くと、服を着させてもらえた。
代わりに、怪しい動きをしないようにと縄でぐるぐる巻きにされた。
僕がそんなことをするはずがないのに。
「本当にシオなのか?」
村長は訳の分からないことを聞いてきた。
「僕は、僕ですけど……」
そうとしか答えようがない。
だけど、村長は納得してくれなかった。
「他には?」
「家族の名前も、今ここにいる全員の名前だって言えます」
「言ってみろ」
少し嫌な気分だったが、言われた通り全員の名前を答えた。
村の地理、家畜の名前、この間の宴会のことも、可能な限り全て答えた。
「あの、ルミを見ていませんか?」
僕はルミの居場所について尋ねた。
「二日前だ。ルミとお前は、山菜を採りに行って崖から落ちた。
それは覚えているんだな?」
「はい」
「いつまでも戻ってこないから、村中で捜索して――、
二人とも崖の下で見つかった。
昨日、葬儀を終えたんだ。言っている意味が分かるか?」
「わかりません、僕は……」
ルミが死んだ?
村長は苛立ったように鼻を鳴らした。
「村長、コイツは化物なんだ。とっとと殺した方が――」
村人のひとりが声を荒げたが、村長が鋭く制した。
「どうして僕が化物なんですか……?」
その人は何も答えず、僕をきつく睨む。
「あなたの話を聞くまで、獣に食い荒らされたとばかり思っていたわ。
それなのに……あなたとルミちゃんは手を握っていた。
だから、二人が天国でも一緒にいられるようにってみんなで心から祈ったのよ」
代わりにと言うばかりに、花屋を営むミューズさんが前に出てきた。
余程の光景だったのだろう。青ざめた顔で、がちがちと歯を震わせていた。
村長は、少しの沈黙のあと、唸るような声で言った。
「分かったか? お前もルミと一緒に死んでいる。ここにいる全員が証言者だ」
「ち、が……そんな……ッ、」
違う。そんな筈がないと叫びたかったのに、声が出なかった。
頬が熱い。両腕を縛られていては、涙を拭うこともできない。
「村の秩序のためだ。こうなった以上お前を村に置いておくことはできない。
――明日をもって村を出てもらう」
「……分かりました」
考える気力もなく頷いた。
もう、とっくに、そういう結論を出していたくせに。
その晩。縄は解いてもらえたが、集会所から出ることを禁じられた。
ここで宴会をしていたのが嘘のように暗く、静かだ。
「シオ……なのよね? ご飯は食べられそう?」
ローズおばさんが、おそるおそるこちらに近づいてきた。
その両手には、シチューの入った鍋が握られている。
「はい、食べたいです。シチュー……」
僕が答えると、ローズおばさんは少しだけ笑って、シチューをよそってくれた。
「いただきます」
まだ湯気が立っている。作りたてなのだろう。
ひとくち、口に入れてみると、いつも食べていたシチューの味だった。
この間だって食べたし、今日も、明日も、毎日のように食べると思っていた。
「おいしいです。とても……」
自分の身体から出たとは思えないような、虚ろな声が出た。
だけど、ローズおばさんのシチューは、暖かくて、おいしかった。
「さっきはごめんねぇ。驚いちゃってさ。
匿ってやりたいんだけど、村長には逆らえないからねぇ……」
ローズおばさんは桃色の手拭いで涙を拭いた。
「いいんです……村の人たちを困らせてはいけないので」
僕はまだ、淡い期待を胸に抱いていた。
ルミがひょっこりと帰ってきて「ごめんね」と悪戯っぽく笑ってきて。
僕が少しだけ怒った後、いつもの家に帰って、いつもの生活がまた始まる。
そうして、この悪夢は終わるんだと。
……結局、悪夢は覚めることなく朝が訪れた。
「村を出る前に、ルミの墓を見てもいいですか?」
最後のお願いは、意外にも快諾してもらえた。
ルミの墓は、僕の墓のすぐ隣にあった。
辺りの土が不自然に膨らんでいる。昨日僕が掘り起こしたからだ。
以前に、村の葬儀に参加したときのことを覚えている。
遺体を燃やしてから、骨は土に埋める。みんなで協力して、深く深く土を掘る。
手伝いながら、黒い土に骨の白色が映えて綺麗だなとか、腕の骨細いなあとか、関係ないことばかり考えていた。
誰かを生きたまま埋めることなんて絶対にない。
自力で這い出るのは、もっと無理だ。
……だけど僕は、今ここにいる。
僕を含めた家族全員の墓が並び立つ中、僕だけがここにいる。
「……ルミ、行ってくるよ」
墓前に手を合わせ、両親や先祖の墓に一礼をした。
ルミが生まれたばかりの頃、箪笥の裏に「ばか」って落書きをした。
お父さんもお母さんもルミにかかりきりで、腹が立ったから。
結局、あの落書きのことは誰にも言えなかったな。
大きくなったら、ちゃんと言おうって思ってたのに。
シルヴァンさんが、最低限の荷物と、食料を持たせてくれた。
村の人たちも、見送りに来てくれた。
最初こそ化物を見るような目で見ていたが、その目は悲しみを滲ませている。
悲しむくらいなら、追い出さないでほしいんだけど。
この村は、高い山の中。
漁に出ることさえ命懸けで、遭難や滑落が絶えない。
そんな場所で追放されるということは、ほとんど死罪のようなものだ。
「今までありがとうございました。さようなら」
僕が一歩踏み出すと、村の門戸は閉ざされた。
とはいえ、木の門と、周囲は簡素な木の柵で仕切られているだけ。
どこからか狸や野ネズミも入ってくるし、忍び込むだけなら簡単だ。
だけど、この薄い木の板が、この世界の何よりも僕を強く拒み、遠ざけた。
どうして、僕は生きているのだろう?
こんなことになるなら、ルミと一緒に死んでしまいたかった。
息をして、肌から透き通る血管に血が巡り、心臓が動いている。
そんな当たり前のことが、憎らしく思う日が来るなんて。
ルミと過ごした家も、魚を釣りに行った名前のない川も、足にまめができるほど足繁く通った山も、全て置いて。
僕は、生まれ育った村を後にした。




