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政略結婚なのに、包容力マシマシな辺境伯の溺愛が過保護過ぎて小鳥令嬢は困ってます!  作者: 宮野夏樹


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23/28

23.公衆の面前で


 朝の食堂には、華やかな食器の音とともに、目には見えない雷光が交差していた。エナとレオナの間には、常に張り詰めた緊張感が漂っている。


「アシュレイ様。今日も素敵なネクタイの結び方ですわね。わたくしが結んで差し上げてもよろしいかしら?  お似合いかどうか、わたくしの目で確かめたいのです」


 レオナは、完璧な淑女の笑みを浮かべながら、アシュレイの個人的な領域に踏み込もうとする。その仕草は優雅だが、エナへの明確な牽制だった。


「いや、大丈夫だよ、レオナ。毎朝、僕が自分でやってるから。慣れているし、誰かにやってもらう必要はない」

「まぁ……子供のころ、わたくしが結んで差し上げた時のこと、覚えていませんの?  確か、初めて結んで差し上げたのがわたくしで――」

「うーん……悪いが、その記憶は僕の頭には残っていないかな」


(はい、来ました。ゼロ点回答、しかも冷徹)


 エナは紅茶を啜りながら、くすりと笑った。レオナが毎朝のように「過去の思い出と色仕掛け」攻撃を仕掛けてくるものの、アシュレイにはいっさい通じていない。それどころか、彼はすべてを「表面的には気づいていない風」にスルーし、極めて事務的に彼女の接近を拒否していた。


(うちの旦那様、見た目以上に鉄壁……というか、冷徹なのかしら?  妻の嫉妬を察して、あえて突き放している?)


 エナはアシュレイの顔を観察した。彼の目は穏やかだが、レオナに向けられる感情は『親戚の子への礼儀』以上のものではない。まるで、彼女の『想い』そのものが、彼の『愛の守備範囲』外にあると言っているかのようだ。


(……あれはたぶん『確信犯』。私の嫉妬を鎮めるための、大人の残酷さだわ)




 レオナはネクタイの件で手応えを得られず、ターゲットをエナに移した。


「エナ様は、そういうご経験、あまりないのかしら?  アシュレイ様への『大人の甘え方』のような」


 レオナが、にこやかに言いながら、エナのドレスをちらりと見た。『あなたは子供っぽいから、大人の駆け引きなんて知らないでしょう』という含みがある視線だ。


「なにかしら?  どの『ご経験』について?」

「いえ、恋の駆け引きのご経験が少ないと、つい『子供っぽく』なってしまって、アシュレイ様に『真の淑女の愛』を理解してもらえないかと思いまして」

「……ご心配どうも。でも心配無用よ。うちの旦那様、こう見えて、『計算された美しさ』よりも『本能的な甘え上手』が好きだから」

「まぁ、それは初耳ですわ。アシュレイ様は、完璧な美意識をお持ちの方とばかり」


 エナは静かに立ち上がり、アシュレイの椅子の後ろへ。そして、レオナに見せつけるため、わざとらしいほど可愛らしく、両腕を彼の首に回す。食堂の使用人や、控えていたリリーたちの視線が集中する。


「ねぇ、アシュレイ」


 エナは首筋に甘く囁く。


「ん?  どうしたんだい、エナ」


 アシュレイは、優しくエナの手を握った。


「ねえ、『好き』って言って。いま、この場で。誰の耳にも届くように」


 レオナの目が見開かれた。彼女の『完璧な淑女』という鎧が、エナの『子供っぽい無遠慮な甘え』によって、ひび割れていくのが見て取れる。アシュレイは、口元をゆるめ、エナの手を取った。彼はエナの『見せつけたい』という魂胆を完全に理解しながらも、それを『愛の要求』として受け入れた。


「もちろん。『誰よりも、エナが好きだよ』。これ以上、疑いの余地はないだろう?」


 エナは、アシュレイの言葉に満たされ、にっこりと微笑みながら、レオナの方を見て、勝利のスマイルをキメた。



「……ったく、あなたって本当に、空気読まない男よね。『好きだよ』なんて、恥ずかしいじゃないの」


 エナは甘えモードを装いながら、耳元でアシュレイにツンと囁いた。


「君が『見せつけたくて』甘えてきたこと、ちゃんとわかってるよ?  妻の甘えに、夫が応えないわけがないだろう」

「っ!  バレてた!?  なんでわかったのよ!」

「バレバレだよ。君の嫉妬は、隠しきれていない。だから――お返し」


 アシュレイは、エナの手首を掴むと、そのまま椅子に座ったまま、ぐっと彼女を引き寄せた。エナは、バランスを崩し、彼に乗りかかる形になる。

 そして、深く、甘く、大人の口付けを、食堂にいるすべての使用人、そしてレオナの目の前で落とした。それは、先日の『子供卒業大作戦』のリベンジではなく、『妻の愛の主張への、公的な承認』だった。


「……っん……んんっ!」


(ちょ、ちょっと……!  ここ、食堂よ! なにこれ、今の、完全に『演技じゃないやつ』――!)


 唇が離れた後も、エナの顔は熱く、呼吸は乱れていた。

 レオナは椅子から立ち上がり、口をぱくぱくと魚のようにさせていた。その完璧な美貌は、驚愕と屈辱に歪んでいる。


「そ、そんな、あのアシュレイ様が、公衆の面前で……情熱的な口付けを……っ、信じられませんわ……!  あんな『はしたない』真似を……」


『はしたない』という言葉は、エナの『子供っぽい甘え』を否定するためのものだったが、結果的にアシュレイの『激情的な愛』を否定する言葉になってしまった。アシュレイは、レオナに冷徹な視線を向けた。


「レオナ。エナは僕の妻だ。僕の愛を、誰にも隠すつもりはない。君は、家族としての礼儀を、わきまえてくれ」


 その言葉には、一切の情けがなかった。「運命の花嫁」というレオナの自意識を、「ただの家族」という現実で叩き潰したのだ。




 その後、レオナは「……き、今日はお部屋で休ませていただきますわ。気分が優れませんので」とそそくさと撤退した。『完璧なレディ』のプライドは、完全に打ち砕かれた。エナはまだ顔を赤くしながら、アシュレイの胸を軽く叩く。


「な、なによあれ。やりすぎよ。完全に『返り討ち』じゃない。あの女だけじゃなくて、私の心臓まで打ち抜かれたわ」

「うん。君の作戦が可愛かったから、つい、本気を出してしまった」

「つい、じゃない!  私の羞恥心はどうなるの!」


 アシュレイはエナをそっと抱きしめ、耳元で囁く。


「でも、今のキス……君は、嫌じゃなかっただろう?  君の体温が、それを教えてくれた」

「っ……~~~~っ!!  も、もう知らない!  あなたなんて、大嫌いよ!」


 エナは真っ赤になって部屋を飛び出す。その姿は『完全勝利』したというより、『愛の反則技』によってノックアウトされたようだった。後ろからアシュレイの穏やかな笑い声が追いかけてきた。彼の目には、妻への揺るぎない、鉄壁の愛情が輝いていた。




 部屋の脇で控えていたリリー、セリア、ティナの三人。


「セリア、見た?  今朝の戦い。奥様の甘えの後の、旦那様の『公開キス』!」

「うん……奥様、完全勝利だったね……でも旦那様の口付けが反則すぎて、もはやKO。レオナ嬢の『運命の花嫁』設定が、粉砕されたわ」

「レオナ嬢、魂抜けてたもんね。旦那様、あんなに冷たい視線送るなんて、奥様への愛が本気すぎる」

「っていうか、奥様の『公衆甘えモード』初めて見た。あれは最強。ツンデレが本気でデレたら、もう無敵なんだよ……!」

「それってつまり、『恋の戦場では甘えた者勝ち』……?  そして、『旦那様への愛が本物なら、場所なんて関係ない』ってことですね」

「うん、でもそれを自然にできる奥様がすごいの。まさに『もふもふ愛され系ヒロイン』の真骨頂……!」

「私たちは、あの夫婦の愛の深さに、改めて敗北を喫しました。とりあえず、食堂の床を拭きましょう。愛がこぼれてるわ」

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