22.王都の華、辺境に降り立つ
その日、ウエストヴェイル辺境伯の屋敷に到着した豪華な馬車は、まるで王都の社交界をそのまま運んできたかのような気品と、周囲の自然を圧倒する華やかさを漂わせていた。
エナは、アシュレイの隣で、その馬車から目を離せなかった。王都にいた頃の自分を凝縮したかのような、完璧な豪華さだったからだ。馬車の扉が開く。優雅に一歩を踏み出したのは、漆黒の長い髪をふわりと揺らす、凛とした美貌の令嬢。深紫のドレスは彼女の大人の余裕と気品を際立たせ、その視線は、一瞬でアシュレイへと固定された。
「お久しぶりですわ、アシュレイ様。お招きにあずかり光栄です」
その声は、深みがあり、自信に満ちていた。完璧な淑女の振る舞いだ。
「……レオナ。遠いところ、よく来てくれた。母も君の訪問を喜んでいるだろう」
アシュレイは平静を装って応じる。レオナは、ふわりと笑みを深めた。その笑みは、エナには挑戦的に見えた。
「ふふ、ええ。だってわたくし、こう見えて『アシュレイ様の運命の花嫁』ですもの。この辺境の地に、一度はご挨拶に参らねばなりませんでしょう?」
(はぁ!? 『運命の花嫁』ですって!?)
豪華なドレスの裾が翻るのと同時に、エナの心の中では爆弾が炸裂していた。辺境伯夫人の座をようやく手に入れたと思った矢先、まさかの『刺客』の登場だ。
「ご紹介します。レオナ・カーライル嬢だ。僕の母方の遠縁にあたるカーライル伯爵家の娘でね、子供のころから知ってる」
「……初めまして。エナ・ウエストヴェイルです」
エナは表面上、にっこりと微笑む。最大限の『奥方としての威厳』を装って、完璧な笑みを返す。だが、その背中には、冷や汗が流れていた。
(ふーん……遠縁の、幼なじみ……それで『運命の花嫁』ってどういう神経してるのよ。しかも、完璧な美人じゃない! わたしより『大人』じゃない!)
レオナは、エナを頭のてっぺんからつま先まで品定めするように見つめた。その視線には悪意はないが、『格付け』のような冷たさがあった。
「まぁまぁ! あなたが奥方様なのね? なるほど、可愛らしいタイプでいらして。アシュレイ様は、『飾る花』として、こういう可憐な方を好まれたのね」
「……お気遣い、どうも」
エナの『可愛い』認定センサーが、再び悲鳴を上げる。レオナは、くすりと優雅に笑ってから、アシュレイには聞こえないように、耳打ちするようにエナへ顔を寄せた。
「でも、お気をつけになってね。『先に好きだったのは、わたくし』ですもの。王都では、アシュレイ様の花嫁候補といえば、常にわたくしでしたから」
その漆黒の瞳は、燃えるような熱意を湛えていた。
(……宣戦布告、いただきましたぁあああ!? 『先に好きだったマウント』!?)
エナの心は、完全に戦闘モードに切り替わった。
その後のティータイムは、さながらレオナの「アシュレイ溺愛劇場」となった。彼女は、王都の淑女が持つ『完璧な知性』と『美貌』を武器に、エナを攻撃した。
「アシュレイ様、覚えていらして? 子供のころ、『二人だけの秘密の遊び場』で一緒に摘んだすみれの花……あの時、わたくしが『お嫁さんになる』って約束したの、あれはきっと神様の思し召しですわ!」
「……そんなこともあったかな。レオナは、想像力が豊かだったから」
アシュレイは曖昧に答える。
「まぁ! すっかりお忘れに!? わたくしはあれから十年以上、その『約束』を心の支えにしてまいりましたのに。アシュレイ様は本当に、無自覚な罪作りな方ですわ」
エナの顔が引きつる。過去の思い出を美化し、『運命』という名のドレスを着せてマウントを取りに来るその手法に、エナは手の打ちようがなかった。さらに、レオナの甘々接近が炸裂する。
「アシュレイ様、お口にクリームが……わたくし、我慢できませんわ」
と、自分のハンカチで優雅に彼の口元を拭うなど、妻の特権を平然と侵害する行為に出た。エナは、ティーカップを握りしめ、その光景を見て、ついに限界を迎えた。
ティータイムが終わり、レオナが客室に下がった瞬間、エナはアシュレイの腕を掴んで、彼の執務室に半ば引きずり込んだ。
「――ちょっと、アシュレイ!! 締める! ドアを締めるわよ!」
「ん? どうしたんだ、エナ。ずいぶん息が荒いようだが」
「なにあの女!! 『わたくしのアシュレイ様』って、こっちは正真正銘の妻なのよ!? なんで黙ってハンカチで口を拭かせているのよ!」
エナは顔を真っ赤にして、まくしたてる。彼女の心は、『嫉妬の炎』に焼かれていた。
「……ああ、ごめん。君の目の前でああいう態度をとるのは、確かに不快だったね。今度からは注意しよう」
「ちがっ……いや、まぁ、それもそうだけど……っ! そこじゃないのよ!」
(落ち着いて! 理性、戻ってきて! これじゃただの『嫉妬に狂った妻』じゃないのよ! わたしは対等なパートナーなのよ!)
「な、なによその顔! わたしが嫉妬してるとでも思ってるんでしょ!?」
「してるの?」
アシュレイは、意地悪そうに、しかし優しく尋ねた。
「してないっ! あんな『過去の亡霊』みたいな女に!」
「……ふふ」
アシュレイは、思わず吹き出した。彼の肩が震えている。
「笑わないで!! 笑うと怒るわよ!」
アシュレイは笑いを収めると、ふわりとエナの頭を撫でた。その手つきは、いつも通りの『甘やかし』のそれだ。
「……君の嫉妬、正直かわいくて好きだよ。ちゃんと僕に向かって怒ってくれる」
「~~~っ!! どこがよ!? どこをどう見たら『可愛い』になるの!?」
「レオナ嬢のことは、気にしなくていい。あれはただの『昔の親戚の子』でしかないから。それに、彼女が言っている『運命』も、僕にとってはただの『記憶』にすぎない」
「『しか』ってなによ、『しか』って……。彼女にとっては、大真面目な『宣戦布告』なのよ!」
「だって、僕が心を預けているのは、君ひとりだけだよ? 政略結婚から始まったとはいえ、今、僕の隣にいるのは君だ。それを、『過去の思い出』程度で脅かせるはずがないだろう?」
エナの頬は、アシュレイの揺るぎない愛情の言葉によって、一瞬で真っ赤になり、手にしていたふわふわのクッションを思い切りアシュレイに投げた。
「~~~っ! そうやって、全部まるっと包み込むようなこと言うの、やめてぇえええ! 『運命』とか言ってる女がいる前で!」
「投げるものが柔らかいクッションのところに、君の本音が出てるよ。本気で怒ってない証拠だ」
アシュレイは、クッションを優しく受け止めた。彼は、エナの怒りの背後にある『愛されたい』という純粋な感情を、完全に掌握していた。
「あ、あなたこそ、ずるい男よ!!」
部屋の外で、護衛騎士のセリアとティナが、主夫婦の激しいやり取りを壁越しに聞いている。
「奥様、ライバル出現で荒れてますわね……。あの『完璧系レディ』は、エナ様の天敵だわ」
「さすがの奥様も、相手が『正統派美人レディ』だと焦るんだね。嫉妬してる姿も可愛いけど」
「でも、投げたのクッションですから。家具じゃない時点で、全然余裕あるってことですよ。『愛の暴力』が『クッション投げ』に限定されてる」
「むしろ旦那様の包容力がすごすぎて、嫉妬がギャグになってる気が……。完全にアシュレイ様の手のひらで転がってるわね」
「これが『完全勝利ツンデレ妻』ってやつですね。ライバルに嫉妬しても、最終的に旦那様の愛を確認して終わる」
「何かのタイトルに使えそう。『辺境伯夫人のクッション戦争』とか!」
「とりあえず、レオナ嬢の滞在中は、我々も『胃薬』と『観察眼』を最大限に強化しなくては!」




