14.女子会
「おいしそ〜う! さすがはウエストヴェイル家の菓子職人ね! このラズベリータルトの完璧な酸味と甘さの均衡は、まさに辺境の奇跡だわ!」
「レモンの酸味が絶妙に効いてますわ。これ、口直しに最適ですよ奥様! おかわり!」
「ふふっ……皆、おしゃべりも食欲も旺盛ね。わたしが『辺境伯夫人の務め』として選んだ菓子だもの。当然よ」
エナはふふんとドヤ顔でティーカップを傾けながら、目の前の菓子皿をじっと見つめていた。その表情には、政務を成功させた自信と、週末の解放感が満ちている。
ウエストヴェイル邸の東側、温室を改装した小さな応接室。外の風はまだ少し冷たいが、日差しが差し込むこの場所だけはまるで春の陽だまりのようだった。本日の参加者は――。
エナ(18):辺境伯夫人。最近ようやく“ツンデレ”の自覚が芽生えたが、それにより自分の行動に恥じらいを覚えるようになった。
リリー(17):エナの実家時代からの付き侍女。見た目も性格も快活で姉御肌だが、エナへの忠誠心は厚い。容赦なく毒を吐くツッコミ役。
セリア(22):クールビューティな専属騎士。常に冷静沈着で、エナに絶対の忠誠を誓う。時折、核心を突く発言をする。
ティナ(19):妹系で攻撃型の専属騎士。ノリが良く、エナの精神的サポート役。恋愛知識は豊富だが、出典はやや怪しい。
以上、女子会戦闘力の高すぎる4名。
「で、奥様。あの話、聞きましたよ?」
ニヤニヤと笑いながら、ティナが手元のカップをくるくる回す。その視線が、エナの耳元を熱くさせた。
「“前日の夜、務めを果たそうとして勇んで乗り込んだはいいが、手を握られて2分で逃走”ってやつ……『敗走』ともっぱらの噂です」
「ちょ、ちょっと!? 誰から聞いたのよ!? あんなの門外不出の軍事機密でしょ!?」
エナは悲鳴を上げた。まさか、恥ずかしい「大人の務め失敗」が、この女子会でネタにされるとは。
「ノエル様がぽろっと……『兄上が、今夜も小鳥に逃げられたと、寂しそうな顔で酒を飲んでいる』と、グレン様との立ち話で聞こえてきたのをセリア様が……ね?」
「……あの弟~~~~!!!」
耳まで真っ赤に染めたエナがテーブルをバン! と叩くと、ティーカップがカタリと揺れる。
「そもそも! アシュレイが悪いのよ! あんなに優しくしておいて、急に迫るとかずるいでしょ!? もうね! 背徳感がすごかったのよ! 優しさ詐欺よ!!」
「はいはい、優しさ詐欺ねぇ。そもそも結婚してますから、背徳感とは一体。それは単に『照れ』と『恥ずかしさ』では?」
リリーが呆れたようにツッコミを入れると、セリアが小さく吹き出した。
「ですが、奥様。結婚式ではあれだけ堂々としていらっしゃったのに……まさか、『一歩踏み出すこと』にこんな可愛らしい一面があるとは。そのギャップが、旦那様を余計に喜ばせているのでしょうね」
「可愛いじゃないわよ! ……いや、可愛いけど違うの! わたしは『大人の女性』として振る舞いたいの!」
「自分で言った!? 奥様、自分で『可愛い』って言ったわよ今!? ツンデレじゃなくて、デレツンデレですよ!」
「ち、ちがっ、いまのは条件反射というか、自己暗示というか、反撃というか――!」
言い訳を重ねるうちに、どんどん沼にはまっていくエナ。その様子が面白くて仕方ないのか、ティナは肩を震わせながら大笑いしていた。
「でもまあ、アシュレイ様、かなり我慢されてましたよね。すごい紳士だったし。奥様が拒否したら、すぐに手を放すなんて」
「ええ。『ああいうときの押し引き』って、大事ですものね。旦那様は奥様を尊重されている」
「な、なに当然のように夫婦の『押し引き』語ってるのよ! あなたたちまだ未婚でしょ! どこでそんな知識を仕入れたのよ!?」
エナの叫びに、ティナがドヤ顔で返す。
「未婚でも、そういう知識は大事ですって! でないと『いざ』ってときに相手が困るじゃないですか~。騎士は常に実戦をシミュレーションするものです!」
「どこの騎士が『いざ』を心配するのよ! ティナ、あなたの実戦シミュレーションの対象は誰なの!」
「セリア様はどうですか? 『いざ』のときは引く派? 押す派?」
「私は……相手の表情と、場の雰囲気の熱量次第ですね。相手の感情を尊重します」
「ちょっ、さらっと一番高度な回答してるじゃないの!? クールビューティが一番情熱的な戦術持ってる!」
もはや収拾のつかない混沌と化す女子会テーブル。そのど真ん中で、エナはがっくりとうなだれた。彼女の頬はまだ熱い。
「……で、奥様はどうしたいんです?」
唐突にティナが、ふざけるのをやめて核心を突いてくる。
「どうって……」
「本音で言ってみてください。『夫婦の関係』として、アシュレイ様とどうなりたいんですか? 『子供』のプライドと、『妻』の願望、どちらを優先したいのですか?」
「……う」
エナは黙った。けれど、その顔は正直だった。頬がゆっくりと赤くなっていくのは、ティナの質問が彼女の心の奥底を正確に突いたからだ。
「わたし……きっと……ほんとは、ちゃんと『夫婦』になりたいのよ。でも、こわいの。もし、その一歩を踏み出したら、もう『子供』じゃいられなくなる気がして……」
その言葉に、しん……と空気が落ち着いた。
「……『子供』でいることは、『守られる側』でいられるってことですもんね。旦那様に甘やかされ、毒を吐いても許される、最も安全な場所」
リリーの柔らかな声が、エナの心に染み渡る。セリアが静かに頷いた。彼女は、エナの強さの裏にある寂しさを知っている。
「ですが奥様、あなたはもう既に、十分すぎるほど『強い』です。この屋敷と領民を守った、辺境伯夫人です。怖がらずに、その先へ行ってください。私たちはいつでも、あなたの『妻としての一歩』を応援し、あなたの味方です」
「……なにそれ、ずるい。泣きそうになるじゃない……!」
エナはそっとティーカップを手に取って、もう冷めてしまった紅茶を見つめた。彼女の目には、熱いものが滲んでいた。
「……ってことで、次に攻めるときは『花びらバスソルト作戦』を決行しようと思うの」
「待って、奥様。話飛びすぎです! ロマンチック路線へ急ハンドルを切るのやめてください!」
リリーが慌ててツッコミを入れる。
「いや、前回は服のまま突撃してびっくりされただけでしょ!? 今度は『予告』したうえで、ちゃんと雰囲気作りから入るのが大事なのよ! わたしはもう、『受身の子供』じゃないわ!」
「誰ですか、うちの奥様をこんな女豹系に育てたのは!?」
「セリア様ぁぁ、止めてくださいよおお! ティナさんの『夢の中の知識』が奥様を汚染してるぅぅ!」
「失礼ね、わたしの知識は実戦に基づいた健全なものよ!」
「誰の実戦よ!」
「え? 夢の中のノエル様ですけど? 『義弟との禁断の愛』という設定でシミュレーションを……」
「おい待て、あんた夢の中でうちの義弟に何してるのよ!? ノエルに妙なトラウマ植えつけないで!」
エナは再び耳まで真っ赤になるが、その目には闘志が宿っていた。
「じゃあ聞きますけど奥様、次に失敗したらどうします? 『花びら作戦』が駄目だったら?」
「ぐぬぬ……そのときはもう、『これは騎士道的訓練です。覚悟なさい!』って言って、服の上から抱きつくしかないわね。武力行使よ」
「最終手段すぎる! 騎士道的訓練でなぜ抱きつくんですか!?」
「セリア様、私たちの護衛対象が……どんどんアグレッシブに進化していきます……」
「……これはこれで、守り甲斐がありますね。奥様が次の段階へ進もうとするなら、私は全力でサポートいたします」
こうして、辺境伯夫人の女子会は笑いと混乱のうちに夜まで続いた。彼女たちの会話は、すでに『辺境伯夫人の務め』という名の『愛の戦術会議』へと変わっていた。
その夜、書庫で書類に目を通していたアシュレイは、何気なく耳をそばだてた。
「……ずいぶん楽しそうだな。女子会か」
窓の外から聞こえる笑い声と、時折響く「ノエル!」「バカ!」「女豹!」などの単語。特にノエルの名前が頻繁に聞こえることに、彼は小さく苦笑した。ふっと目を細めて、彼は書類から顔を上げ、一言。
「……エナが元気なら、それでいいか。君のペースで、ゆっくり大人になればいい」
微笑みながら、筆を走らせた。彼の心は、エナが自分を「対等の妻」として認めようと努力していることを知っている。その必死な努力こそが、彼にとっては最も愛おしいものだった。
(ただ、次あたり『花びらバスソルト作戦』のような変な作戦だけは警戒しておこう。ノエルが何か吹き込んだ可能性もある)
アシュレイは、妻の可愛らしい反乱を予感しつつ、再び仕事に戻るのだった。彼の心は、春の陽だまりのように温かかった。




