第四話 追放の朝
淡い光が障子の隙間から差し込む。京都の旧家は朝の静寂に包まれ、庭木の葉先に朝露がきらめく。縁側の欄干に寄りかかる光哉の指先は、昨夜の熱をまだ覚えている。布団の感触、沙羅の髪に触れた感覚、そして指先が交わしたかすかな温もり。すべてが胸の奥に疼きを残したままだ。
廊下の奥から父の足音が響く。声はない。しかし、家の奥に響くその足取りは、光哉の存在を許さないかのように重く、威圧的に聞こえた。光哉はそっと起き上がり、畳に落ちた襖の端を撫でる。指に残る昨夜の余韻が、肌の奥に潜む孤独を刺激する。
扉が開き、沙羅が現れた。着物の裾が床をかすめ、白檀の香りと深い甘い香水の余韻を漂わせる。その瞬間、光哉の呼吸はわずかに乱れる。沙羅の瞳が揺れ、視線の奥に微かな躊躇と情念が混ざっている。彼女は何も言わず、ただゆっくりと縁側を通り過ぎ、光哉の目の前で立ち止まる。
「光哉…」
その低い声に、昨夜の官能が再び胸の奥で疼く。光哉は視線を外さず、ただ手のひらを畳に押し当てる。指先に残る布の感触、肌の微かな温もり、そして風に混じる庭木の香りが、余韻を増幅させる。沙羅の髪の先が風で揺れ、頬にかすかに触れる。視線を逸らすことも、声を上げることもできず、光哉はその瞬間を全身で味わった。
しかし、静寂を破る父の声が響く。廊下の奥から、重々しい響きが、光哉の胸に冷たい水を浴びせる。沙羅は一瞬肩をすくめ、息を止める。その隙に光哉は、昨夜の余韻を抱えたまま立ち上がる。心地よい熱と疼きが、孤独な現実に引き戻される。廊下の奥に、父の怒気が漂い、家の空気が硬く凍りついた。
光哉は沙羅の目を一度だけ見つめ、言葉なく微かに頷く。沙羅も目を伏せ、呼吸を整える。縁側の風が、二人の間を通り抜け、昨夜の名残をさらうかのように柔らかく揺れる。庭の苔と石の湿った香りが、官能と孤独を一層濃くする。
「出て行きなさい」
父の声は冷たく、命令の響きしかない。光哉は襟元を整え、袴を締め直す。沙羅はゆっくりと後ろに下がり、影のように光哉を見送る。
家の外に出ると、朝の光が鮮やかに照りつけ、石畳や庭木が露に濡れてきらめく。空気は冷たく、風に混じる樹木と苔の香りが二人の余韻を引き延ばす。光哉は手に小さく結んだ袴の端を握りしめ、足取りを整える。背筋に残る昨夜の温もりと、指先に残る触感が、孤独な放浪の旅を艶やかに彩る。
列車の音が遠くで響き、光哉は荷物を肩に掛け、京都駅へ向かう。道中、木々の香り、路地の湿気、そして人々の足音のリズムが、自身の胸の奥の疼きと絡み合う。視界に映る町の景色は、昨夜の余韻と寂しさと重なり、世界の美しさを一層鮮明に映し出す。
駅のホームで、列車の蒸気と鉄の匂いが鼻腔を打つ。光哉は荷物を抱え、車両に一歩踏み出す。振り返れば、京都の街並みが朝霧に溶けるように消えてゆく。沙羅の香りと肌触りの余韻は、身体の奥にくっきりと残ったまま、胸の奥で熱を帯びて疼く。列車が走り出すと、光哉の瞳に映る窓外の景色は、熱い余韻と孤独の色に染まり、東京の豪華な別邸へ向かう旅の始まりを告げていた。
背後に残る京都の街、縁側の影、沙羅の呼吸。すべてが光哉の記憶に艶やかに刻まれている。列車のリズムに合わせ、胸の奥で疼く熱が揺れ、身体の感覚と世界の景色が一体となる。東京への旅路は、過去の余韻と、未知の恋の予感に満ちていた。




