第三十一話 花宴
春の夜は、昼間の温かさを残しつつも、ひんやりとした空気を運んでいた。京都の古い庭園に、淡い灯がぽつりぽつりと揺れる。桜の花びらが宙を舞い、風に乗って二人の周囲を漂う。光哉は静かに足を踏み入れ、紫苑の横顔を確かめるように見つめた。
紫苑の髪は夜の光を受け、月明かりに銀の糸のように煌めく。長く柔らかい指先がそっと膝に触れ、光哉の手の甲を撫でる。過去の孤独も、喪失も、この指先に委ねることで静かに解けていく感覚があった。
二人は庭の中央にある桜の大樹の下で立ち止まる。枝先から舞い落ちる花びらが、まるで二人の周囲に薄い絹のヴェールをかけるかのように漂う。光哉は紫苑の手を握り、指の温もりを確かめる。その手の熱は、幼い日の孤独を溶かした春の光の延長線上にあるかのようで、心の奥がじんわりと満たされていく。
「桜、きれい……」
紫苑の吐息が耳元をかすめる。微かに香る彼女の髪の香りが、桜の香りと交わり、呼吸を重ねるたびに官能的な余韻を残す。光哉は視線を落とすと、舞い散る花びらが、まるで時間を止めたかのように二人の間に積もっていく。指先が触れるたびに、過去の痛みは熱に変わり、胸の奥でふくらむ。
光哉はそっと紫苑の腰に手を回す。距離は近く、しかし互いの呼吸を確かめるかのようにゆっくりと静かに触れ合う。紫苑の肩が微かに揺れ、体温が伝わる。夜風が吹き抜け、二人の体を優しく撫でる。桜の香り、夜の湿気、肌の温度、すべてが融合し、心が一体になる瞬間を形作る。
二人の指が絡み合い、掌の温もりが互いの鼓動を呼び覚ます。光哉は紫苑の瞳を見つめ、微かな笑みを受け取る。笑みの奥に、幼少の孤独を乗り越えた力強さと、これからの未来を共に歩む決意が映る。
桜吹雪の中、紫苑が光哉の肩に軽く寄せる。風に揺れる髪と花びらが、互いの輪郭を柔らかく包み込む。光哉は自然と彼女を抱き寄せ、互いの呼吸を感じる。言葉はなくとも、触れ合う手、重なる肩、交わる視線だけで、二人の間のすべてが語られていた。過去の痛みはすでに溶け、残るのは官能的な熱と、新たな未来を紡ぐ静かな確信。
夜空に淡い星が散らばり、桜の花びらが光に煌めく。二人の影が庭の石畳に長く伸び、まるで一つに重なるかのようだった。光哉の心は、幼少の孤独と母への哀しみから完全に解放され、紫苑の存在を通して新しい愛の温度を覚えていた。
桜の香りと夜風、彼女の肌の温度が、すべてを祝福するかのように二人を包む。
光哉は紫苑の手をしっかりと握り、唇には微かに笑みを宿す。桜の花びらが二人を彩り、風が吹くたびに新たな未来を告げる。官能的でありながらも、清らかで深い愛の余韻が、春の夜の庭に静かに流れ続けていた。
紫苑の額に光哉の頬をそっと寄せると、互いの息が交じり合い、心拍が共鳴する。
光哉は紫苑の額にそっと頬を寄せ、指先で彼女の髪を絡めるように撫でながら低く囁いた。
「紫苑――これからの季節も、未来も、君の隣で刻んでいく。すべての夜も、すべての朝も、君とともに歩むことを、俺は誓う」
紫苑は目を閉じ、光哉の胸に顔を埋める。微かな呼吸と桜の香りが混ざり合い、耳元でそっと答える。
「光哉……私も。あなたと出会い、すべての痛みと孤独を越えて、これからの時を共に生きる。どんな日も、どんな夜も、あなたの光に寄り添うことを誓う」
風に舞う桜の花びらが二人の肩や髪に落ち、淡い光の粒を散りばめる。その中で、視線は互いの奥深くに触れ、言葉を超えた永遠の誓いとなる。二人の影は庭に長く伸び、桜の花びらとともに、未来への光の道を静かに描いていく。




