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第三話 禁断の夜

 初夏の京都、雨上がりの庭は苔と葉の香りで満ち、縁側に座る光哉は障子の淡い明かりに影を落としていた。彼の視線は庭の水滴に反射する光を追いながらも、廊下の奥で止まる。絹の裾が床をかすかに撫でる足音。沙羅が静かに歩み寄るたび、湿った空気が肌にまとわりつき、呼吸のリズムに微かな乱れが生まれる。


 初めの数週間、光哉は父親の再婚相手である沙羅の存在をただ「美しい女性」として感じていた。

 廊下ですれ違う瞬間、彼女の指先が袖の布に触れるわずかな感触、肩越しに漂う白檀の香り、吐息が微かに混ざる距離。意識していないふりをしても、身体はその気配を覚えていた。


 ある日の午後、庭の手入れをする沙羅を窓越しに見る光哉の目は、知らず知らず細部を追っていた。湿った髪、腕の線、首筋の白さ。風が吹くたび、衣の裾が揺れ、肌の陰影を際立たせる。光哉の呼吸が浅くなるのを、彼自身も感じた。沙羅は気づいていないようで、しかしふと視線が交わると、二人の間に微かな震えが走った。


 夏の終わり、夜の縁側。雨上がりの湿気が空気を重くする。光哉は障子の向こうに座る沙羅を見つめる。

「光哉…」

 彼女が低く呼ぶ声に、指先が膝の上で小さく震える。沙羅の目が、微かに艶めき、長いまつ毛が光に揺れた。

 光哉はそっと手を膝に置き、沙羅はためらいながらも距離を縮める。布越しの指先の感触が、心の奥に熱を帯びさせた。声はなくとも、互いの呼吸と体温が言葉を超えて絡み合う。


 秋に入る頃、二人の距離は徐々に変化していた。

 茶室での書物のやり取り、廊下ですれ違うときの一瞬の視線、夕暮れの庭で交わす短い会話——すべてが無言の誘いとなり、官能の種を蒔いた。

 光哉の目は沙羅の手や髪に自然と留まり、沙羅はその視線に気づきながらも顔をそらす。視線を交わすたびに、胸の奥に微かな疼きが走る。


 ある晩、雨上がりの縁側で二人は初めて意識的に距離を詰めた。

 窓に映る影が揺れ、庭の葉に落ちる雨粒がリズムを刻む。沙羅の髪の香り、絹の衣擦れの音、指先の触れ合い——すべてが互いの存在を五感で認識させる。光哉は沙羅の肩にそっと手を添え、沙羅はその温もりに呼吸を止める。互いの吐息が混ざり、時間がゆっくりと溶けていくようだった。


 数ヶ月の間に育まれた官能的緊張は、言葉にできない感情として二人の身体に染み込み、夜の静けさに溶けていった。

 肩越しに流れる髪、手のひらの温もり、視線の交錯——それらが積み重なり、夜毎に微かな疼きをもたらし、やがて「禁断の夜」へと導く伏線となる。

 雨上がりの夜。冷たく湿った空気が肌にまとわりつき、心の奥にひそやかな熱を帯びさせる。

 廊下の奥から沙羅の足音が聞こえた。絹の裾が床をすり抜ける音、微かな吐息が混じる。光哉は動かず、息をひそめてその足音を追った。室内に漂う白檀の香りと、雨の匂いが入り混じり、心拍が速まる。彼女の存在が、空気の密度を変えていくように感じられた。

 沙羅の指先が障子を押し開け、僅かに光哉の影を確認する。二人の視線が交わり、言葉はなくとも理解が生まれる。光哉の手がそっと膝に触れ、沙羅はためらうように身を寄せる。絹の布地越しの指先の感触が、身体を通じて熱を伝えた。

 庭の雨滴が葉を叩く音が、静かな室内にリズムを刻む。濡れた緑が光を反射し、夜の闇にひそやかな光彩を散らす。その光景は、二人だけの秘密の舞台装置のように、呼吸を交わす距離をさらに濃密にした。沙羅の肩越しに流れる髪の香り、息遣い、指先の熱。それらが互いに絡み合い、言葉にできない情動を紡ぎ出す。

 光哉は沙羅の髪に顔を近づけ、指先で軽く撫でた。髪の湿り気、絹の衣擦れの音、そして呼吸の重なり。微かな震えが体を伝い、胸の奥で火が灯るように熱が広がる。沙羅の手が光哉の胸に触れ、静かに身体を引き寄せる。そのわずかな接触だけで、夜の空気が密になり、二人の距離が限りなく近くなる。

 和室の灯りが揺れ、壁に映る影もまた揺れる。抱き合う二人の影は絡み合い、肌に触れる感覚は言葉を超える。光哉の手は肩から背に沿い、沙羅の呼吸のリズムに合わせてわずかに圧をかける。互いの吐息が混ざり合い、時間の感覚が薄れてゆく。

 沙羅の唇に顔を近づけ、光哉はそっと呼吸を合わせる。触れた肩や髪、衣の端に残る温もりが、身体に記憶として刻まれる。互いの指先が絡まり、背中を滑る布の感触が肌に残る。全身で覚える震えと余韻が、二人の夜を満たしていた。

 障子の外で雨滴が葉を叩く音は、まるで二人の呼吸の拍子に重なり、静かな空間に微かな振動を生む。光哉は沙羅の肩越しに庭を見やり、雨に濡れた苔と葉の光沢を確かめる。滴のひとつひとつが夜の静けさを讃え、二人の密やかな情念を映す鏡のようだった。

 夜が更け、床に座る沙羅の体温を感じながら光哉は互いに寄り添う。絹の触感、髪の香り、肩越しの温度。言葉はなくとも、身体が語り、時間が溶ける。全身を伝わる震えと温もりが、昨夜の出来事を記憶として刻む。京都の街の静寂も、旧家の奥の空気も、全てが二人を祝福するかのように揺らぎ、妖しく輝いた。

 明け方の光が障子を淡く揺らす。雨上がりの庭に残る雫が、朝陽を反射し、世界の美しさを映し出す。光哉は沙羅の肩に寄り添い、深く呼吸をする。昨夜の温もりがまだ体に残り、触れた感覚、香り、音の余韻が、夜を美しいものとして心に刻む。縁側に立ち、庭に漂う苔と雨の匂いを吸い込みながら、光哉はこの世界の色彩と香り、光と影の織りなす美を、全身で感じ取った。

 雨の匂いと白檀の香り、絹の布地の触感、髪に残る湿り気、滴る雨。全てが、光哉と沙羅の夜の記憶を深く濃密に包み込む。言葉にできない情熱と密やかな欲望が、肌の奥に残り、京都の夜を静かに彩っていた。

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