第二十九話 帰郷
午前の光が京都の町を淡く染めていた。光哉が運転する車窓から見える街並みは、東京の高層ビル群とは異なる穏やかさと凛とした空気を漂わせている。紫苑が隣に座り、窓の外を静かに見つめる。その指先が膝の上で微かに震え、身体の内側で昨夜の余韻がまだ熱を帯びていることを示していた。
「光哉さんの故郷に来られて嬉しい」
紫苑は小さく囁く。光哉の指がそっと彼女の手に触れ、掌の熱を互いに確認する。東京での夜を経た二人の身体は、互いの存在を求めながらも、今は静かな緊張と期待を抱く。結花との熱い夜の残滓は、紫苑の温もりと柔らかさの前に、完全に上書きされていた。
旧家の門が視界に入り、石畳を踏む音が車内まで響く。光哉は深く息を吸い込み、紫苑を見やる。彼女の頬に浮かぶわずかな紅が、光哉の手を自然と彼女の腰に添えさせ、軽く指先で触れさせる。紫苑の身体はそれに反応し、柔らかくしなやかに光哉へ寄せられる。
門をくぐり、玄関へと歩を進める。木の香りが漂い、春の残り香が風に混じる。紫苑は小さく笑みを浮かべ、ふたりの足取りに合わせて歩く。その仕草の一つ一つが、光哉の心の中で新しい情熱の炎を静かに灯す。東京での夜とは異なる官能が、この古都の静寂と雅の中に息づいている。
和室に差し込む朝の光に、ふたりの影がゆらりと揺れる。光哉は紫苑の髪に手をかけ、指先で丁寧に梳く。柔らかな絹のような髪が指の間をすり抜けるたび、身体の奥で昨夜の熱が優しく甦る。紫苑の吐息が、畳の香りと混ざり合い、空気を一層濃密にする。
「光哉さん…」
その一言で、光哉の胸の奥が疼く。彼は唇をそっと彼女の額に寄せ、温もりを伝える。紫苑は光哉に寄り添い、背中を軽く触れさせるだけで、互いの身体が静かに呼応する。
庭に出ると、遠くに桜並木の影が見える。冬の終わりの光が、木々の枝先を銀に輝かせ、古都の風がふたりの周囲を撫でる。光哉の指は紫苑の手を取り、掌の熱を確認しながら、歩みを揃える。
茶室の縁側に座り、互いの手を握る。光哉の瞳が紫苑を捉え、全身でその存在を感じ取る。
光哉は静かに呼吸を整え、紫苑の髪に頬を寄せる。月光のない昼の光の下でも、官能と情念は互いの身体の温度で確かに感じられる。
古都の風景とともに、ふたりは静かに歩き、触れ、身体を寄せ合う。官能は夜の密室だけに留まらず、日常の中にも柔らかく溶け込み、雅と情熱を帯びた新たな日常が始まる予感を漂わせる。京都の空気、木々の香り、畳の温もり、指先の触れ合い。それら全てが、ふたりの再生と、互いへの深い愛の証だった。




