第二十ニ話 紫苑の決意
海の香りのする街。朝の光が、薄いカーテンを通して部屋の床に幾筋もの線を描いていた。
紫苑はベッドの縁に腰を下ろし、指先で布団を撫でる。
夜の熱と官能の余韻が、指先と身体の奥にまだ残っている。
胸の奥で小さな波が立ち、呼吸が少し早くなる。
光哉と過ごした夜の記憶が、ふわりと呼吸の間に浮かぶ。
彼の指先が頬を撫でた感触、耳元で囁かれた声、熱を帯びた吐息——
そのすべてが、まだ身体の隅々を揺らしていた。
肌に触れた冷たいシルクの感触が、熱を帯びた記憶と絡み合い、熱い余韻を増幅させる。
窓を開けると、冬の冷気が部屋に入り込み、肌にひんやりと触れた。
その冷たさが、身体に残る熱を引き締める。
胸の奥で疼くものを抱きながらも、紫苑は深く息を吸い込み、目を閉じた。
官能と情念の残り香に満ちた夜の記憶を受け止めるたび、心は少しずつ、しかし確実に固まっていく。
立ち上がると、鏡の前で自分の姿を見つめた。
寝乱れた髪、熱を帯びた頬、まだ湿る瞳——
指先で頬に触れ、髪を整えると、身体の熱は記憶の中で揺れながらも、決意の冷たさと交錯した。
紫苑は静かに服を着替え、窓の外に目を向ける。
遠くに感じる東京の街は、光と影が織りなす不思議な絵画のようだ。
官能的な余韻に浸った身体が、同時に新しい世界の息吹を求めている。
光哉の温もりは、いま手の届かない場所にある。
しかし、身体の奥で疼きが残ることを、彼女は恐れなかった。
それは過去の証であり、これから歩む自分の道の軌跡にもなるのだ。
冷たい空気を肺いっぱいに吸い込み、紫苑は深く背筋を伸ばした。
官能の余韻が心を揺らすたび、身体に覚えた快感と痛みを受け止め、意志の光に変える。
鏡に映る自分の瞳に、決意の光が宿った。
「私の人生は、私のもの——」
小さな声で呟くと、部屋に溶けるように静かに響いた。
午後になると、街に出た。
歩くたびに、靴底がアスファルトを打つ音が響き、冬の光がビルのガラスに反射して揺れる。
満たされない疼きが身体を滑るが、紫苑の動きは確かで優雅だった。
すれ違う人々の視線や、遠くから漂う香り、冷たい風の感触——すべてが、新しい世界を知らせる五感の調べだった。
カフェに入ると、温かい珈琲の香りが鼻腔をくすぐり、手にしたカップからは熱が伝わる。
身体の奥に残る夜の熱と、温かい液体の温度が絡み合った。それでも紫苑の心は揺らがない。
光哉への想いはまだ残るが、それはもはや依存ではない。
記憶の中で疼くものを抱きながら、彼女は自分の足で、世界の光を踏みしめて歩くのだ。
街の喧騒の中で、紫苑は小さな微笑みを浮かべた。
官能の余韻と情念の香りに包まれながらも、視線は遠くの空へ。
そこにはまだ見ぬ景色が広がり、過去の夜を超えた新しい光が差していた。
そして、身体と心のすべてが、その光を求めて微かに震えた。
紫苑はそっと息を吐き、心の中で決意を固めた。
「依存ではなく、私の光で生きる——」
官能と記憶の余韻は、彼女の決意を温める炎となり、冬の街の冷たい空気に、静かに溶けていった。
街の光と影の中で、紫苑は自らの足で歩き始めた。
かつて光哉の手に委ねた身体と心の記憶は、今や自分自身を照らす灯火となり、新しい世界への扉を開いていた。




