第二十一話 沙羅の影
都心の高層ビルの一室。窓の外では、冬の陽が淡く街を染め、影を長く落としている。
沙羅はゆっくりと椅子に腰を下ろし、手のひらに残る記憶の熱を感じていた。
光哉の指先、夜の静けさの中で交わした呼吸の震え、肌の温度——すべてが、まだ身体に染み込んでいる。
彼女の視線は窓の外へと向けられ、街の灯が一つ、また一つと灯るたびに、過去の夜の余韻が波紋のように広がった。
赤い光に染まるビルの壁面に、ふたりの影が重なった夜を思い出す。
息を呑むような瞬間、触れるだけで心が震え、香りと肌の温もりが絡み合う——
官能的な過去の記憶が、今の沙羅を静かに苛む。
彼女の指先はそっと、机の上の小箱に触れる。
中には、淡い光を宿すペンダント。光哉がかつて贈ったものだ。
金属の冷たさ、手に触れた感触が、夜の温もりと交錯する。
胸の奥がざわめき、唇の端がわずかに震えた。
官能的でありながら、過去への痛みも混ざる。
沙羅は立ち上がり、窓に近づく。
街のざわめきが、耳をくすぐり、肌に触れる微かな風が、記憶の余韻を呼び覚ます。
光哉の香り——洗練されたシトラスの中に、夜の温度が混ざった匂い——
それはいま手元にはないのに、五感の奥で鮮やかに甦る。
胸の奥が疼き、身体の奥底で甘く緊張が走る。
しかし、沙羅は深く息を吸い込み、振り向いた。
彼女の心は、過去の官能的な夜に囚われたままではいられない。
胸の奥の疼きと記憶の熱を抱えながらも、彼女の眼差しは決然としていた。
冬の陽の光が、彼女の顔を淡く照らし、妖艶な輪郭を浮かび上がらせる。
身体の余韻を静めるように、指先でペンダントをそっと撫でる。
沙羅は小さな声で呟いた。
「影に生きるだけでは、私も、世界も、輝けない…」
窓の外の街並みが、冷たい光と温かい光の交錯で揺れ、過去と現在を映し出す。
官能の残り香に身を委ねながらも、沙羅はゆっくりと歩き出した。
身体の感覚と記憶の熱を抱き、冬の空気を肺いっぱいに吸い込み、世界の美しさに触れながら。
その夜、沙羅は過去の自分と決別するための小さな儀式を行った。
窓辺に並べた写真や手紙、指輪——ひとつひとつを丁寧に手に取り、風に揺れるカーテンの影にそっと重ねる。
その行為は叙情的であり、彼女の新しい世界への第一歩だった。
光哉の残した温度や香りが、身体の奥で疼くたびに、沙羅は心の中でそっと笑う。
過去は彼女の影となり、しかし、その影があったからこそ、光はより鮮やかに見えた。
夜が深くなり、部屋には静寂が満ちた。
沙羅の瞳は街の灯に映る自分の影を捉え、過去の官能の記憶と向き合った。
胸の奥に残る疼きは、決して消えないが、世界の美しさと自分の意志の前で、少しずつ柔らかく溶けていく。
窓の外の冬の風景が、沙羅の心の中で光と影を織り成し、艶やかに輝いた。
そして彼女は静かに微笑む。
五感に触れるすべてのもの、風の音、光の揺らぎ、肌に触れる空気——
それらが、彼女にとっての新たなときめきの糧となり、新たな光を照らしていた。




