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第二話 青葉の初恋

 初夏の光が障子を透かし、緑陰の庭に斑駁はんぱくの影を落としていた。光哉は学習机に肘をつき、手のひらに顎を載せて窓の外の青葉を見つめていた。朝の光はやわらかく、緑の葉の隙間を通って肌に触れ、背筋にかすかな感覚を残す。今日も家庭教師・麗香が訪れる時間が近い。心臓が微かに弾むのを、光哉は否応なく感じた。

 廊下の足音が響き、淡い香水の匂いが風とともに部屋に流れ込む。麗香の声が低く響いた。「おはようございます、光哉君」

 彼女の声には、母を思い出させる温かみと、しかし大人の女性の静かな強さが共存していた。光哉は立ち上がり、畳に足を押し付ける。香水と石鹸の混ざった香りが胸に浸透し、思わず深く息を吸い込む。

 麗香は窓辺の机に腰かけ、淡い花柄のスカートを揺らした。その揺れを、光哉の目は自然と追った。指先でページをめくるたび、柔らかい布地が手首に触れ、視界の端に女性の艶めきを映す。光哉は机の上のノートに視線を落とすふりをしながら、鼓動の速さを押さえようとした。

 麗香の指先が鉛筆を握る瞬間、微かな手汗の温度と、軽く震える指の感覚が彼の感覚に残った。目が合うと、初夏の光の中で瞳の色が深く翳り、まるで水面に光が揺れるように揺らいでいる。光哉の手は無意識に膝を握りしめ、身体が緊張を覚える。初めて知る、恋の予感が胸をじんわり満たしていく。

 授業の合間、麗香は机の上に手を置き、光哉のノートを覗き込んだ。手と手の距離はわずか十数センチ。光哉は息を止め、指先に微かな熱を感じる。麗香の髪が肩にかかるたび、香りが鼻腔をくすぐり、まるで密やかな甘味が胸の奥に流れ込むようだった。言葉は必要なかった。空気で触れ合う距離だけで、互いの存在を身体が感知していた。

 午後、庭を歩く麗香の足取りに、光哉は無意識に影を重ねる。風がスカートを揺らすたび、葉の香りと混じり合い、甘く苦い初恋の匂いを部屋いっぱいに運ぶ。光哉はその後ろ姿を、心の奥底まで焼き付けようと見つめる。初めて、誰かに触れたいという欲望が、母を求めたあの日の渇きとは違う形で、身体の中で疼いた。

 夕暮れ、庭の光が朱に染まり、障子に映る影が長く伸びる。麗香の目が光哉を見上げた瞬間、彼の心は跳ね、空気の温度が変わったように感じた。小さな笑みを交わすだけで、手を伸ばしたくなる衝動が胸に広がる。光哉の身体は緊張と期待に浸り、風の香り、土の匂い、彼女の残す微かな香りすべてが、官能的な世界の扉をそっと開けた。

 夜、寝室の障子に映る月光が、緑の葉を銀色に染める。光哉は布団の中で、今日の麗香の仕草をひとつひとつ反芻する。手の位置、髪の香り、唇の形、指先の温度。身体の奥が静かに疼き、胸の奥に甘く焦がれる感覚が漂った。まだ触れぬ恋の予感が、世界を艶やかに染めている。青葉の香りと初恋の疼きに満ちた、京都の初夏は、光哉の中で永遠に記憶される――愛と欲望の微かな萌芽を孕んで。

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