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第十四話 白露の別れ

 夜明け前の空はまだ深い藍色で、遠くの街灯はまるで星屑のように瞬いていた。

 光哉のペントハウスの窓辺で、紫苑は静かに立ち、外の光の移ろいを見つめていた。

 肩から背中にかかる絹の布は、かすかに肌に沿い、微かな風に揺れるたび、艶やかな輪郭を際立たせる。

 光哉はその背後に立ち、視線を逸らさずに紫苑を見つめる。

 空気の温度、香り、彼女の呼吸の微かな揺れ……すべてが、胸の奥に熱を帯びたまま残る。

昨夜、二人は互いに求め合い、触れ合い、そして身体を重ねた。

 だが今、静かな時間の中でその熱は、言葉を超えた余韻となり、室内に艶やかな影を落としていた。

 紫苑は小さく息をつき、背筋を伸ばした。

彼女の瞳は月光に溶け、微かな涙が光を反射する。

 その瞬間、光哉の胸は締め付けられ、指先が机の縁に触れて、微かに震えた。

 彼女の肌の温もり、髪に混じる香水の残り香が、記憶と現在を交錯させる。

「光哉さん……」

 紫苑の声は囁きのように低く、耳に触れるたびに胸の奥が疼く。

 言葉を続ける前に、彼女は静かに背を向け、窓辺に寄る。

 外の藍色は、二人の間にある距離をより深く、妖艶に際立たせる。

 光哉は歩み寄り、肩越しに視線を重ねる。

手を伸ばせば届く距離だが、触れずにその場に立つ。

 昨夜の熱の余韻はまだ残り、五感に絡みつくように身体を刺激する。

 香りと光、息遣いが混ざり合い、胸の奥に強く疼く感覚を呼び覚ます。

 紫苑は紙袋から小さな封筒を取り出した。

 その封筒は、昨夜の彼女の決意を象徴するものであり、光哉に渡すためのものだった。

 指先が震え、紙を押さえる様子に、光哉の心は再び締め付けられる。

 彼女の小さな仕草一つで、夜の残り香と熱の余韻が混ざり、艶やかな空気が室内を満たす。

「……私、行かなくちゃ」

 紫苑はやっと声を絞り出す。

 肩にかかるシルクの布が揺れ、月光に照らされた背中の輪郭は妖艶に光る。

 光哉は唇を開こうとするが、言葉は出ず、ただ存在を共にするしかなかった。

 昨夜の行為の余韻が、静かに、しかし濃密に胸を締め付ける。

 紫苑は封筒を差し出し、光哉はそれをそっと受け取る。

 紙の質感、彼女の指の温もり、残り香の淡い混ざり……すべてが、記憶として肌に残る。

 言葉はなくても、二人の間に流れる空気が、深い愛と切なさを語る。

「……光は、私にはまぶしすぎた」

 最後の言葉を残し、紫苑は静かに踵を返す。

 月光が彼女の背を照らし、シルクの布は風に揺れ、艶やかな影を床に落とす。

 光哉は動けず、ただその背を見送る。

 香り、光、記憶、熱――すべてが余韻として室内に漂い、官能的な静けさを生む。

 扉が閉まると、室内には冷たい朝の風と、昨夜の余韻だけが残る。

 光哉は椅子に腰を下ろし、封筒を手に静かに息をつく。

 紙の中には、紫苑の決意と未来への道筋が書かれているだろう。

 窓の外、東京の街は夜から朝へと色を変え、光と影が入り混じる。

 光哉は微かに唇を動かすが、言葉は出ない。

 胸の奥に残る疼きと、月光に照らされたシルクの残像が、彼の孤独と愛の光を静かに、しかし鮮烈に刻むのだった。

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