第一話 光の誕生
京都の春は、淡い光と桜の香りに満ちていた。旧家の庭園には、緑の苔がしっとりと湿り、朝露が枝葉にきらめく。まだ眠る町並みの上空に、鴬の初鳴きが響いた。光哉はその音に目を覚ました。乳白色の障子越しに差し込む朝の光が、彼の髪を柔らかく照らしている。幼い身体にまとわりつく肌着の感触、布団のわずかな重み、そして、空気に混ざる桜の香りが、彼の小さな胸をふわりと揺らす。
母・美里の声が、廊下を滑るように響いた。「光哉、おはよう。朝餉の支度をするわよ。」
その声は優しく、そしてどこか脆さを含んでいた。幼い光哉は、その声に抱き寄せられるような安堵を感じた。まだ理解できない感情が胸を満たす。彼は布団から跳ね起き、裸足で畳を踏みしめる。冷たい畳の感触が足の裏に伝わり、体温がゆっくりと目覚めていく。
朝の光に透ける美里の髪は、艶やかで、春風に揺れる桜の花びらのように柔らかかった。光哉はその背中に目を奪われる。母が差し出す小さな手に触れると、温かさと香りが指先に残った。その香りは甘く、蜜のようで、幼い彼の心に忘れられない印象を刻んだ。母の微笑みは、どんな言葉よりも雄弁に愛を伝えるものだった。
しかし、その安堵は永遠ではなかった。数年後、光哉の母は病に倒れる。病室の窓から差し込む光は、以前よりも淡く、冷たく、彼の頬をなぞった。母の息遣いが、かすかな震えとともに、空気に溶ける。光哉は母の手を握り返す。まだ小さな手は、母の手に触れるたびに熱を帯び、彼の体内に奇妙な疼きを生む。母の香りが薄れていくことを、幼いながらに、光哉の全身が知覚していた。
孤独の中で彼は初めて、愛に飢えるという感覚を味わった。誰かを求める欲望は、静かな夜に押し寄せる潮のようで、胸の奥で絶えず波打った。窓の外、桜の花びらは風に舞い、彼の小さな影と交差する。光哉はその一枚一枚を、母の笑顔に重ね、触れられぬものへの渇きを感じた。
日々の生活は、光哉の感覚を研ぎ澄ます。畳の温かみ、廊下を走る靴音、庭の苔の香り。母が差し出す着物の感触、扉の金具がひんやりと掌に触れる瞬間。幼い身体は、それらのすべてを愛のかすかな残滓として吸収していた。光哉の美貌は、まだその原石のような輝きを放ち、家族の眼差しの中で妖艶に光る。
夜、寝室の障子に映る月明かりは、銀色の絹のように彼の肌をなぞった。孤独な夜風が障子の隙間から吹き込み、髪を揺らすたびに、光哉の胸は微かに疼いた。その疼きは、母の温もりを求める心と、触れることのできぬ未来への渇望とが交錯したものだった。
京都の旧家の庭は、春の光に満ち、命の香りに溢れている。その中で、光哉は孤独の影を抱えつつも、無垢な欲望と愛への渇きを身体で知る。やがて彼の内に芽生える光は、単なる美しさではなく、世界の香りや触感、官能的な感受性と結びつき、未来の恋絵巻への扉を静かに開けていた。




