6 祈りの間は大パニックですわ
「あの……皆様お待ちになって」
そうキーラが声をかけると、祈りの間から退出しようとしていた聖女らの一行が動きを止めてゆったりとこちらをふりかえった。その中心には聖女トティータの姿もあった。
「キーラ様?どうかなさいまして?」
トティータの横にいた聖女が首を傾げる。その目はすこし不満げに揺れていた。
「いえ、その、皆さま…あともうすこし聖水の生成をされてはどうかと…あの、一人1,2本は流石に少ないのではないかしらー…とわたくしには思えるのです。一人10本とは申しませんが、5本程度ならば生成できるお力を皆様持たれていらっしゃいますでしょ?」
そうキーラが遠慮がちに話すと、その聖女はいよいよムッと眉根を寄せた。
「まぁ、なんですの?!キーラ様はわたくしたちが聖水生成の手を抜いているとおっしゃりたいの?」
ーおっしゃりたいのですわ!!
キーラは内心でおおきくそうだと頷いた。しかし流石にそれをあからさまな態度に出すことは躊躇われたので、聖女らしく「いえ、そんな」などと骨ばった手を顔に当て一応しおらしく応えて見せた。
「ですが、聖水は聖女にしか作る事の出来ない貴重な霊薬、一本でも多く生成するのは聖女として大切なお仕事ではございませんか?」
そう言うと集団の一番外側にいた、この冬入教したばかりの若い聖女たちが戸惑ったようにキーラとトティータらに視線を向けた。
「キーラ様」
その時、静かにキーラと聖女の会話を聞いていた聖女トティータが、ゆっくりとキーラの前に進み出たかと思えば、慈愛に満ちた美しい笑みをうかべて口を開いた。
「確かに…キーラ様のおっしゃるとおりですわ。聖水を生成し世にあまねくその癒しの力を人々に届けることは聖女であるわたくし達の大切な使命。それは本当にそのとおりだと思います。そうですわね皆様」
「え?…えぇ、それは確かに…」
「え…えぇ…そうですわね、その通りですわトティータ様」
ーん???
「ご指摘頂いて助かりましたわキーラ様。言われてみれば最近、たしかにわたくしも少し生成数が減ってしまっていたかもしれません。『聖女個人個人無理のない範囲で』などと聖女として入教してきた当初から言われ、教えられていた言葉に、いつの間にか甘えてしまっていたのかもしれませんわね」
ーん?んんんん???んんんんんん???
トティータの言葉にいまいち状況理解が及ばずに混乱しているキーラをおいて、美しい仕草でトティータは振り返ると周りの聖女らに語り掛けた。
「皆様。力の限り聖水を生成いたしましょう。キーラ様のおっしゃられた通り聖女としてそれは当然の行いなのですもの」
そう言ったトティータの言葉に、周りにいた聖女らはすこし戸惑いの表情を見せながらも「ええ」「そうですわね」などと応じた。そうして促されるまま先ほどまで座っていた席にさわさわと戻っていく。その様子をみて年若い聖女らも少しほっとしたような顔をしてその後ろに付き従ったのだった
キーラは予想外の展開にぽかんと口を開けて固まっていたが、すぐにフルフルと打ち震えた。
ーま、まぁ、まぁまぁまぁ!!!!
聖女らが新たな瓶を手にして席に座り直している。いつもならキーラ一人だけになってしまうこの時間帯に、この場にいたほとんどの聖女が花園に向かう事無く、いつもよりも多く聖水を作ろうとしていた。
ーなんてことかしら!言ってみるものですわ!!わたくし、皆さまの事!考え違いをしておりましたのね!!!
キーラは自分の言った言葉が今の聖女たちに受け入れられるとは正直思ってはいなかった。それでも溜まりに溜まっていた感情に押されるようについ吐き出してしまったのだ。だが、実際聖女達はトティータに促された形であるとはいえ聖水作りに戻ってくれた。
自分磨きに余念のない聖女たち。なんて、もしかしたらそんな聖女達をキーラ自身が受け入れがたく思っていたがゆえに、勝手にこちらから壁を作っていただけなのかもしれない。そう思い至ってキーラは反省しながらも激しく感動していた。
ーわたくしったら!わたくしったら!恥ずかしいですわ!皆様が聖女のお仕事を軽んじておられるだなんて勝手に決めつけて!そうですわね!なにごともぶつかってみなければわからない!これが自分の気持ちを相手に伝える大切さ!!
頭の中で暑苦しい顔をした父や兄たちがそうだ!そうだ!とキーラをはやし立てていた。
キーラは頬が緩むのを感じながら、聖水の詰まった瓶が転送されていく場所の近くに陣取った。そうして聖水生成に真面目に取り組み出した聖女らを見つつ、にこにこといつものように聖水の生成を再開したのだった。
が
アンジェの正午の鐘が鳴る頃
あたりは地獄の様相をていしてしまっていた。
「トティータ様!トティータ様!!しっかりなさって!!」
「スワノ様!ココル様!!」
昼を前に聖女らがバタバタと倒れだしたのだ。
ーな、何?!ななななな何ですの?!!何ですの???!!何事ですの?!!!!
キーラは半ばパニックになってあちこちで倒れ伏している聖女らの様子に驚き慌てた。
最初は入教したばかりの聖女らが「あ」と小さな声を上げてふらりと体制を崩したのだった。それに驚いた周りの聖女が「きゃ」と悲鳴をあげたかと思えば、奥にいた適齢期の聖女がばたりと床に倒れ伏した。
それからはあちらこちらで悲鳴や倒れ伏す聖女達が続出し、ついには聖女トティータまでも横に座っていた聖女にもたれ掛かる様にして意識を失ったのだ。
ーえ?え?ええ?え?えぇーーーー!!!!!?
祈りの間は半数以上の聖女らが意識を失うようにして倒れており、倒れずにいる聖女らも全員真っ青な顔色をしていた。いつもと変わらないのはキーラだけだった。
「と、とにかく誰か……誰か…」
この異常事態に人を呼ぼうと振り返ったキーラだったが、ハタっと固まる。
ー祈りの間は聖女以外の者は入れないではありませんか!!
「キ、キーラ様……」
その時年若い聖女が辛そうな息を吐きながら青い顔をして、一人元気そうなキーラに縋るような目を向けて来た。それを見てキーラはぐっと目元に力を入れ立ち上がった。
「だ、大丈夫ですわ!わたくしが皆様を外におはこびしますわ!どなた様もしっかりなさって!」
そういうとキーラは年若い聖女の腕を掴み自分の肩に担ぐように身をよせさせた。
「皆様!お気を確かに!祈りの間を出れば教会の者が控えておりますわ!自力で動けそうな方はそうなさって!動くのが難しい方はわたくしがお連れいたしますわ!!」
言いながらキーラが祈りの間の扉をくぐると入口に控えていた教会員の女性の姿が目に入った。むこうでも聖女を担ぐようにして祈りの間からまろび出て来たキーラの姿に一瞬ぎょっとした顔を見せたが、「人を呼んで頂戴!聖女が中で大勢倒れておられるの!!」とキーラが叫べば「何事ですか!」と数人が集まって来た。
「人を呼んで!出て来た聖女たちをすぐ部屋に運んで医者に見せて頂戴!!中には動けない聖女様もいらっしゃるのでわたくしが連れ出してまいります!!」
キーラの話しに教会員の女性らは「ひ」っと皆青ざめ息を飲んだ
祈りの間で聖女らが倒れているなどと聞けば、この世の終わりと思っても仕方のない事態で、だれもが一瞬固まったが、キーラが「早く!!」と声を張るとはっとして動き出した。
それからぞくぞくと祈りの間から出て来た聖女らは、かけつけた教会員らによって部屋に運ばれ、キーラは動けなくなっていた聖女らを、うぬぬぐぎぎぎぎと聖女らしからぬ形相でなんとか担ぎ上げ、順次全員を祈りの間から連れ出したのだった。
その日
聖女らが祈りの間でバタバタと倒れたという知らせは、大事件として聖教会内だけでなく大陸中の国々を震撼させた。
聖女が失われるような事になればどれほどの損失か、その規模は計り知れない。
しかし聖女らは結果としてその後皆全快しており、体調にもなんら問題が見られず、聖水の供給においても今まで通り行われるだろうとの発布が聖教会から出された為、それ以上公に騒がれる事はなかった。
しかし、その裏で上がって来たある報告にどの国も耳目をうばわれていた。
その日、聖女らが生成した聖水はなんと300本を超え、しかもそれがアンジュの2の鐘(正午)を待たずに作られたという話が漏れ聞こえてきたのだ。
普段聖女が一日、一年間、どれだけの数の聖水を生成しているのか、聖教会から明かされる事は無かった。
聖水の数。それは過去どれだけ聖騎士らを通じ聖女に直接探りを入れてもみてもはっきりとした数を答える聖女は昔からおらず、無理のない範囲でと誤魔化す者がほとんどだった。一部一日に10本程度という話をする聖女もいたが、実際その聖女が国に取り込まれるとその生成数は年間5本程度といったところだった為、一日に10本というのは虚言であったのだろうとみられて終わった。その結果、聖域での聖女の聖水の生成数は多くても月に10本ほどでは無いかとされていた。
それが一日、しかも午前中だけで300本以上も作られたという話に当初各国は作り話だと真面目に取り合わなかったが、どうもコカソリュン帝国がその話を信じて動いている様だとの噂に、戯言と切り捨てる事は出来なくなった。
現在聖域にいる聖女の数も正確に明かされていないが、聖騎士らの花園での調査によってその人数は67名と知れている。そうなると単純に計算しても一人午前中という短い時間に5本前後の聖水を生成したという事だ。
となれば、今聖域に暮らしている聖女らは皆歴代に類を見ないような優秀な聖力を保持してるのでは?と容易に推察でき、聖騎士を送り込む事を許されている13国は色めき立った。
だがさらに驚くべき事実として聖騎士から上がって来たのは、ある一人の聖女の生成数だった。
神の愛娘とも呼ばれ教国の大公家の血筋を持つ非常に優秀な聖女、トティータ=シュールベルト。その聖女がその日生成した聖水の数。
それはなんと25本という驚異的な数だったのだという。




