4 カッスカスですのよ
アンジェの3の鐘(午後6時)が鳴った少し後、キーラはようやく自室に戻るとそのままバッフンと自分のベッドに倒れ込んだ。
ーもう限界ですわぁー…今日もわたくしカッスカスですわぁー…
キーラはふかふかの寝具に顔を埋めたままフガフガとしばらく声を出すと、チラリと部屋の中にあるもう一つのベッドに目を向けた。聖女は基本2人部屋を与えられているがキーラと同室の聖女、コーラの姿はない。コーラはもと平民から聖女となった女性でキーラの4つ下の19歳だったが、何をやっているのかキーラが起きている時間にこの部屋に戻ってくることは稀だった。それでも朝起きた時には身支度をしているコーラと顔を合わす事もあるので、まだルームメイトであることは確かだった。
ーコーラ様も最初の頃は初々しくいらっしゃって聖女のお仕事を頑張ってらしたんですけど…いつの間にか他の聖女様と同じような感じになられてしまわれて…
そう思いながらキーラは入教してきた当初のコーラの姿を思い浮かべる。茶色の髪をおさげにして、そばかすのある頬をりんごのように染めて挨拶していた姿
ーあの頃はかわいかったですわぁ…でも気がつけばおさげは解かれて、そばかすも綺麗に消えてしまって大変お美しくなられたのですが、ツーンとすましたお顔で『あら?キーラ様まだいらっしゃったの?』なんて冷たいお言葉を吐くようになられてしまって…あ、まだいらっしゃったの?と言うのは、20歳を超えているのに聖騎士と結婚もせずに何をしてますの?と言う事だったらしいですわ。まぁその意味をわたくしが正確に理解したのも最近でしたけれど。
キーラはそんなことを考えながら、むむっと眉根をよせた。
ーでも何ですのかしらね?この聖騎士と結婚しなければ人ではあらずみたいな聖女界の風潮。辛いですわ。別に聖騎士様と結婚しなくても良くありませんこと?聖女のお仕事をしっかりはたし、聖水を作れなくなると言われる25歳になれば聖女を引退してのんびり暮らす。そんなビジョンを持っている聖女が1人ぐらいいても構わないと思いませんこと?
キーラはゴロリと転がり何となく天蓋に描かれた星空を見上げた。
キーラの生まれたナジェイラ家は聖アルミア教国の端にある土地を治める貧乏騎士家だ。自然豊かといえば聞こえはいいが魔獣の森が近く人が生活するには厳しい環境で、だがそれゆえにだれもが皆真面目でひたむきで、誠実な者が多かった。
「…わたくし…お仕事が終われば戻りたいですわ…」
「どこに戻るんですの?」
キーラの呟きを拾うように急に声をかけられ驚いて顔をあげると、部屋の入り口に同室の聖女コーラが立っていた。
「コーラ様?今日は…お早いんですの…ね?」
「ええ、流石に毎日毎日では疲れてしまって、ほら、わたくしも来年はいよいよ20歳になりますでしょ?前以上に聖騎士様からのお誘いが激しくって…もう体が持ちませんのよ」
「はぁ」
珍しくこんな時間に部屋に戻ってきたコーラはどこか上機嫌で話し始めた。
「ねぇ聞いてくださるキーラ様。それよりわたくしついに銀級の聖騎士コーワナム様に聖紋を印ましたのよ!あぁなんてことかしら、わたくし帝国に旅出ってしまうことになりそうで不安でいっぱいですわ!でも、ほら、いくら不安でもこんなことを他の聖女様方にお話しするとコーワナム様は銀級の聖騎士様ですもの、やっぱりいい気はしませんでしょ?その点キーラ様はそういった妬み嫉みに囚われない自由なお方ですもの!わたくしのお話しを自然なお気持ちで聞いてくださるかと思って!」
「はぁ」
ーコーワナム様はコーワナム様はと目を輝かせているコーラ様はちょっぴり昔のコーラ様のようで微笑ましくはあるのですが、申し訳ございませんがわたくしはもう疲れ切っていて限界ですの…
「あの、コーラ様申し訳ございません。わたくしもう疲れてしまっていて…」
もう眠りたいんですの…とキーラが目をしょぼしょぼさせて言うと、コーラは途端にむっと唇を尖らせて「あら、そうですの?」と不愉快そうな顔をした。
また明日にでもお話し致しましょうとキーラが話を切り上げると「キーラ様はどうしてそんなにもお疲れなの?」とコーラに問いかけられ、その問いにキーラは眉を下げたままピシッと固まった。
ーはぁ?
「だってキーラ様は聖騎士様とのお茶会に出られているわけでもないですし、そもそも花園に一切お越しになっておられないでしょう?花園に出なければ聖騎士とは触れ合えませんもの。顔合わせもなければ聖紋を印すこともできませんわ、聖紋も印していない聖騎士の方とあれそれ相性を調べることはできませんでしょ?ですのに一体全体キーラ様は何をそんなにお疲れですの?わたくし意味がわかりませんわ」
「は、はぁ?何をって…」
ーそんなの聖水を作っているからに決まってますでしょ?!
そうキーラが言葉を発しようとした瞬間コーラはアッとわざとらしく驚いた表情を作ってみせた
「いやだ!まさか秘密裏に聖騎士の方々と逢瀬を楽しまれていらっしゃるとか?!まぁ!なんてこと!ふしだらですわ…!!って、そんなわけありませんわよね、だってキーラ様ですもの」
くすくすとキーラの全身を見ながら嘲笑うコーラに、ふっとキーラは馬鹿馬鹿しくなってしまった。聖女の仕事は聖水を作り出すこと。それが何よりも大事な聖女の使命。そう思っている聖女はもしかしたらもうキーラだけなのかもしれない。聖女の仕事は聖水を作ることだが、それよりも大事なのは聖騎士と仲良くなってお嫁に行くこと。今いる聖女達は皆本気でそう思っているのかもしれない。
「…もう、何でもよろしいですわ…とにかくわたくしは疲れておりますの。お話はおしまい。失礼いたしますわコーラ様。おやすみなさいませ」
「…ま!」
そう言うとゴソゴソと寝具に潜り込んだキーラに対してコーラが何か言っていたが、今日もドロドロに疲れきっていたキーラは、すぐさま深い眠りに落ちていったのだった。
翌朝目覚めると既にコーラの姿はなかった。キーラはもそもそと起き出し、各部屋に備え付けられている洗面室で顔を洗い、パサパサで艶のない髪に一応櫛を入れる。それから自分のクローゼットへ移動し、洗濯済みの聖女服を取り出し袖を通すとフードを被り食堂へと向かった。
聖女に基本付き人はいないため身支度などは全て自分で済ませる。しかし元々聖女は平民や下級貴族出身の娘が多かった為それで特に問題はなかった。また聖女の居住区や部屋の掃除、洗濯などの雑事は教会員の女性がすべて行い、食事も食堂で用意されているので、聖女は簡単な自分の世話だけ行うとあとは聖水を生成することに集中できる環境が整えられていた。
広々とした食堂には朝食をとっている聖女達があちこちに座っていた。大体数名のグループになって楽し気にお喋りをしている。ビュッフェ形式で好きなだけ選べる品々を前に皆軽めのものを選んでいるようだったが、キーラは今日もガッツリ肉や魚を皿に乗せていった。
「おはようございますキーラ様!今日も朝からいい食べっぷりですね!」
そう言ってニコニコと健康そうな頬を持ち上げて焼きたてのパンをキーラに差し出してくる少女に、キーラは少しだけゲンナリとした顔で「おはようロラ」と返した。
「キーラ様は毎日たくさんご飯を食べておられるのにどうしてそんなにガリガリなんですかねぇ?不思議ですよねー」
「…」
ロラは半年ほど前に聖女の暮らしている居住施設の賄いとして入ってきた教会員だった。年の頃は12、3歳で物おじしない性格なのかキーラを見かけるとこうして話しかけてくるのだ。
本来聖女から教会員に対して何かを命じたりすることはあっても、教会員から聖女へ話しかけることはほぼない。そこには明確な身分差があるからだし、そもそも信仰の対象である聖女に対して親しげに振る舞うような者はいない。しかし元々の性格か若さのせいか、ロラは聖女であるキーラに対して物おじすることなく気軽に話しかけてくるようになっていた。
これにはキーラの側にもある程度問題があった。
聖女は皆同じ聖女服というものを着用しているが、実は教会員の服装と同じ白色でシルエットも一見似たようなデザインの物だった。とはいえ聖女の服は生地の質が高く、服の裾や胸元、首周りには金糸で精密な刺繍が施され、腰回りに付ける聖布のリボンは宝石飾りのついた豪華なものであった。さらに袖は聖女の腕が透けるか透けないかの繊細なシフォン生地という違いがあり、首から下げられた聖女のみが付ける聖十字のクロスも聖女の存在を強くアピールしている。はずだった。が、キーラはその全てを覆い隠すように教会員が着用するフードを頭からかぶって日々を過ごしていた。
それはボサボサの髪や、痩せた姿をあまり人にみられたくないというキーラのささやかな乙女心の発露ゆえであったのだが…
とにかくその姿の為、ロラは最初キーラのことを教会員だと思って声をかけたようだった。
それでも普通は聖女だと知れば恐縮してそれ以後近づいてくるようなことはないが、ロラは何が楽しいのか毎日キーラにお喋りを仕掛けてくるようになっていた。
「わたくしが大食漢でガリガリで、それで何かあなたに迷惑でもかけたかしら?」
「えー朝から厳しいー!こわーい!でもキーラ様の食べっぷりは私大好きなので!もう一個焼きたてパンをおまけしちゃいますー!」
そう言いながらロラはキーラの持っていたプレートの皿にホコホコと湯気を立てるパンを追加で載せ笑顔をみせた。
「なんでも食べ放題のここでオマケも何もないんじゃないかしら」
「ヤダーキーラ様今日もかたーい!」
キャッキャとはしゃいでいるロラに半眼になるキーラだったが、物おじせず話しかけてきてくれるロラのことがキーラは嫌いではなかった。が。
「ところでキーラ様聞きました?昨日トティータ様が黒銀の聖騎士グリワム様と下町デートに出かけられたんですって!下町に!!デートですよ!聖女様と聖騎士様がデート!!きゃー!!」
これである。
顔を合わせたついでとばかりにロラは聖女の「花園」での噂話をキーラに吹き込んでくるのであった。
聖女になって8年。友達いない歴8年だったキーラはロラと知り合ってから怒涛の勢いで聖女や聖騎士に絡む噂話を聞かされることになったのだ。どうしてただの賄いである教会員の少女がそんな事を知っているのかと聞けば、逆にどうして何も知らないんですか?と驚かれる始末。食堂で聖女の皆さんがお話しされてるじゃないですかと言われれば、友達のいないキーラはむぐっと口をつぐむしかなかった。
『私こういう噂話大好きなんですけど、聖女様や聖騎士様の噂話を教会員とだってするわけにもいかないじゃないですか?でも聖女であらせられるキーラ様にならお喋りしても何も問題ないですよね?!私、キーラ様とお知り合いになれてよかったです!』
なんてキラキラした目で言われたら、そう。としかキーラは返事ができなかった。
だがそのせいでキーラは今自分の置かれている現状を正しく認識してしまい、そのため大きなモヤモヤを抱えるようになったことは良かったのか悪かったのか判別ができないのであった。
朝食をとった後、聖女らは朝の礼拝の時間に合わせて大聖堂へと移動する。
大きな吹き抜けになっている大聖堂は二重構造になっていて、一階では大勢の信者や教会員が跪き朝の礼拝の始まりを待っていた。
キーラ達聖女は下からは見ることのできない2階に設けられている聖女の為の祈り場に入ると膝をついて座り、静かに両手を組む。朝の礼拝は聖女全員必ず出席することが求められているため、現在聖教会にいる聖女68名がここには揃っていた。
キーラはそっと周りを窺い彼女らの美しい横顔を見るともなしに見て小さくため息をついた。
礼拝が終わると聖女らは聖水を生成するため祈りの間へと移動する。
イススの1の鐘(午前9時)が鳴る頃には、祈りの間で各々好きな場所に座り、聖水をこめる為の空瓶を手に取すると聖水をのんびり生成しながら皆優雅にお喋りを始めるのだった。
くすくすと囁くような話し声の中、キーラだけは黙々と聖水を生成していく。
そうして聖女達は1、2本の聖水を生成し終えると、瓶をケースに入れそのまま祈りの間から出ていってしまおうとするので、キーラは「あの」と、その日その後ろ姿に思わず声をかけたのだった。




