2 クーマちゃん三連ぶれすれっと(多分水晶)
キーラは机に突っ伏したままぼんやりとあたりを視界に収めていた。まだアンジュの正午の鐘も鳴っていないのに聖女がキーラしか居ない祈りの間は閑散としていて寒々しいほどだった。
ーいえ、わたくしだって、なんだかわたくしの生成する聖水の数が多くないかしら?とは思っておりましたのよ。でもここに入教した当初、先輩聖女様方の手ほどきを受けた時に「…聖女はこの国には沢山いるとは言っても、他国には殆どおりません。皆様お一人お一人の力がどれほど尊いか…誇りと信念を持って、できる限り聖水を作り、困っている方々の元に聖力を届ける。それが聖女というお仕事の根幹ですわ」と教えられ、本当にその通りだとわたくしは感銘を受けたんですの。ですから足りない、ということがあってはいけないのだと、わたくしは当初から10本と言わず、20本でも30本でも作れるだけ作るようにしておりましたの。
ーそれがいけなかったなんて思いたくは無いのですが、結果としては良くなかったのかもしれないなんて最近は考えるようになってしまいましたわ。
ー先ほどのように10本、20本と聖水を生成して箱に詰めますでしょ?そうしたら転送装置に置いて教会の者が純度をチェックするための場所に飛ばしますの。そこでは誰がどれだけ作ったかなんて確認はありませんわ。というか純度の差こそあるのでしょうが、どの聖水をどの聖女が生成したかなんて外から見てわかりませんもの。聖女も10本作った、20本作ったなんて数えたりはせずに体の疲れなどで判断して自分のペースで生成するようにと教えられますの。その平均がつまり1日10本らしいんですけれど…。
ーわたくし?
結果として現在500本以上もの聖水を量産できてしまっている事からもお察しの通り、わたくしなかなか強靭な聖力を持っておりまして…実は、ここだけの話、わたくし白珠を複数持っておりますの。
キーラはムクリと上体を起こし、ごそごそと懐から絹の袋を取り出すと机の上にゴトリと置いて、それを見ながら自分の胸元に光る聖十字のクロスにも目をやった。聖十字のクロスは聖女だけが着ける特別なクロスで、そこには白珠がはめ込まれている。
白珠は聖女の聖力を貯めておく宝珠と言われ、3歳の頃聖女の適正がある少女が15歳になるまでそこに自身の聖力を注ぎ続ける神聖な宝玉である。
ーが、7歳の時にわたくしその宝珠に聖力を注ぎすぎてピキッと、ピキッとやってしまいましたの。
そんな事を思い出しながら、聖十字のクロスの中心にある白珠の表面をつっと撫でると指先でわずかに感じる引っ掛かりに眉を下げた。
ー後で知ったのですが、白珠に聖力を注ぐと言っても本当に力を意識的に宝珠に注ぐと言うわけではなく、常に身につけることで自然と吸わせるというのが正かったらしいんですの。そもそも聖力はコントロールすることは非常に難しく、力を注ごうと思って注げるようなものではないんですって。それゆえに、聖女としての素質のあった女子に宝珠を国から下賜して3歳から15歳までの12年間聖力を吸わせることによって体に聖力の流れを作り、聖女のお仕事ができるようにしていたのだとか。
ーそれが何故私が聖力を意識的に注ぐなんて過ちを犯したのかというと、全ては我が家の教育方針のせいですわ。
キーラは頬に手をあてて思い悩むように眉根を寄せた。
ーやればできる!やらねばできぬ!何事も!の暑苦しい家訓をもつ下級貴族騎士家の我が家で、わたくしに聖力が宿っている!なんて聞いて、家族は舞い上がったというか、燃え上がったというか…聖力を注ぐというからにはしっかり注げ!溢れんばかりに注いでやれ!とお父様やお兄様達に囃し立てられ、必死で注ぐという行いに注力していた結果出来てしまった聖力操作。ピッカピカに輝く宝珠に流石ナジェイラ家の娘だ!なんて褒められてわたくしも少し調子に乗って日夜ビシバシに聖力を注いでおりましたらピキッと、このようにヒビが…
ー慌てました…ええ、それはもう一人で、はちゃめちゃに慌てましたわ。当時。
ー宝珠とも呼ばれる白珠は聖女の力の源、教国でしか産出されない神秘の石と言われてそれはそれは尊ばれているもの。それに小さいとはいえヒビを入れてしまったんですもの…7歳のわたくしは泣いてチビってしまう程、大いに慌てましたわ。とりあえずこれ以上聖力を注ぐと割れてしまうかもしれないと思い、幼い私はおっかなびっくりヒビの入った白珠を隠すようにハンカチでぐるぐる巻きにして、そのまま机の引き出しにこっそり仕舞い込みましたの。
ーでも聖力を注ぐことに慣れてしまっていたわたくしの体からは、白魂に触れていなくても聖力が溢れて来るような感覚があり、どうすれば良いのか大いに焦った結果、お祭り市で買ってもらったクーマちゃん三連ブレスレット(多分水晶)に溢れてくる聖力をそそいでみましたの。あ、クーマとは熊とも言われる森に生息する魔獣で人も喰い殺す大変凶暴凶悪な生き物なのですが、魔除けの装飾品に加工されて市で売られることがありますのよ。当時はこのゴツゴツした見た目がなんだか格好いいと思っておりましたわ。
そう回想しながらキーラは先ほど取り出した絹の袋からゴツゴツとした大きさの厳つい熊ヘッドがいくつも連なり光るなんとも恐ろしげでありながらどこかチープな…妙齢の女性が持ち歩くにはいっそ不気味なブレスレットをゴロリと取り出した。
ーそうしたらなんと、ほら、このように注ぐことができましたのよ。驚きですわよね?似たような材質だったからかしら?白珠と水晶ってほら、ちょっと似てますでしょ?ー…形はともかく。色とかが…。
とにかくわたくしはその時ほっといたしましたの。これで聖力を注ぐという聖女として成長するお役目をきちんと果たすことが出来ると。
今思えば色々ツッコミどころがあるような気もしないでもないのですが、とにかく当時はまだ7歳のお子様でしたし、簡易な逃げ道に逃げ込んだというか…ええ、仕方がなかったのですわ。
でも結果としてこのクーマちゃん三連ブレスレット(暫定宝珠)のおかげで、この無茶苦茶な聖水生産体
制にもなんとか対応出来ていられるんだと思っているのですわ…。ええ。とはいえ聖水544本。わたくしがそれを現在作ってしまえている諸悪の根源?だと思えば、良い事なのか悪い事なのかはわかりませんわね。
あら、微妙に話がずれてしまいましたわ。えっとそうそう、このお仕事が向いていないお話なのですが、そう、とにかく周りの方々に…わたくしつい、はしたない事だとは感じながらも、ちょっとちょっとと思ってしまいますの。
聖女の力を出し惜しみしてそれを自分磨きに使ってしまう聖女の皆様はとってもお美しいのですが、そういうのって正直美しくないとわたくしなんかは思ってしまいますわ。まず人としてやるべき使命をきちんと果たす事。そういう人こそ美しい人なのだと思いませんこと?
ですがここにいる多くの方々はそうは思っておられないようで、それがなんともちょっと、ちょっとちょっとですの。
所で皆様ご存じ?教会には多くの男性信者の方がいらっしゃいますが、私たち聖女の暮らすこの聖域と呼ばれる場所には女性信者しかおりません。聖女は国の宝。何かあっては一大事。
しかし。そんな聖女の暮らす場所のすぐ隣には、聖女を支える聖騎士様と呼ばれる男性騎士の方々が大勢いらっしゃいますの。
聖女は聖力が最も強い15歳から20歳までは必ずこの聖教会で聖水を生成し、20歳を過ぎれば結婚する事を許されます。つまり多くの聖女は20歳を過ぎた頃大体聖騎士様と結ばれてここを出ていかれますの。女子の憧れが聖女であれば、男子の憧れは聖騎士様。強く、見目麗しく、家柄もいい聖騎士様は基本お貴族様のご出身。聖女は貴族、平民問わず聖女と診断されれば家柄や身分に関係なくなれるものなのですが、聖騎士様は能力、見た目、家柄、あとは魔力が総合的に高い優秀な殿方が選ばれているというのを知ったのは聖教会に来てからでしたわ。平民男子には残酷な現実ですわね。
まぁそれは置いておいて、聖女様と聖騎士様、それは選ばれし恋人同士。運命の相手。なんて巷では囁かれ、恋物語の定番小説としても読まれるほどの関係なのですが…これ、これが結果としてこの聖女のお仕事には非常に、非常に邪魔、というか、障害になっているのでは?と、わたくしは最近思うんですの。
つまり、聖女となったからには少しでも素敵な聖騎士様と結ばれるのが当然とかいう風潮がございまして、(それもわたくしは最近知ったのですが!)それゆえに聖女様は皆様自分磨きに余念がないというか、なんというか、そんなこんなで美しくいたい聖女様が今!大量産されているのです!
いえ、今までの聖女の歴史を見ても聖女と聖騎士のカップルは常に…というか殆どそうであったらしいので、その事自体はそういうものなのだと思っておりますわ。実際手を伸ばせば届く位置にあのように美々しい殿方が控えているのですもの恋に落ちるのは当然でしょうし、歴代の聖女様方も皆様平均以上の美しさは持っておられましたもの、美男美女が集まれば恋生まれる。ええ、えぇ、そうでしょうとも。
ですが、最近の聖女様方は美に対する執着がちょっと重すぎると思いますわ!聖女のお仕事を放り出してまですることではありませんでしょ?!
では何故、こんな状況になっているのか、そう、そこで前述のトティータ様ですわ。
全ては美貌の聖女、天使、神の愛娘と呼ばれる美しすぎるトティータ様が聖女として入教してきた事で、他の聖女様方がちょっと、ちょっとちょっとになってしまわれたのです。
豊かな白金の巻き髪に紫水晶の朝焼け色の目、肌は透けるように白く艶やかで頬や唇は薔薇色に輝き、体つきは細く華奢なのに女性らしい膨らみは15歳の時から上品に主張していらして、胸元にある聖十字のクロスも特別な輝きを放つようにぴかぴかと光り、女性から見てもほっと熱いため息をつきたくなるような美しくお可愛らしい方。それがこの国の大公家ご出身の聖女トティータ=シュールベルト様でしたわ。
彼女の微笑みは女神の祝福。そんなふうに言われるほどトティータ様の一挙一動に周りの者は男も女も目を奪われ、彼女の関心を得ようと皆必死になってしまう。それは聖騎士の方々も同様だったとかで?ほぼ全ての聖騎士様は皆トティータ様に関心を持っておられたのではないかと聞きました。(実際のところは存じませんが)そんなトティータ様を見た聖女達は焦ったのかもしれませんわね。彼女のようになりたいと……そうして最初のお話に戻るという事ですの。
ー聖水は一日1.2本。残りは自分磨きに使って素敵な聖騎士様と戯れる聖女量産現象。ー
「はぁ」
キーラは脳内での独り言に区切りをつけると、新たに満たし終えた聖水の箱を眺めて、また一つ疲れたため息をついた。視界に映るカサカサの手。肩まで伸びた髪は元は柔らかな白金色をしていたが今は老婆のようなボサボサと艶のない白髪となってしまっていた。
「…お腹がすきましたわ」
キーラはそう言って立ち上がると聖水の入った箱をぐっと持ち上げ、部屋の中央へ運び転送装置に置く。そうして転送され消えていく箱を見送ることなくそのままヨロヨロと祈りの間を出て、ちょうど遠くから鳴り響いてきた正午の鐘の音に押されるように食堂へと移動を開始したのだった。




