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玻璃座連続殺人事件  作者: 時任 理人
始まりの事件
7/10

紙の地

 舞台の“地”は床板だが、事件の“地”は紙である。

SOと名付けられた作戦は、舞台装置の記号で書かれ、ICCの匂いをまとって届いた。回転砥石の右上がりの返りが「仕掛けの手」の癖を指し示したように、紙面に残る罫幅けいはばと小数点コンマは「台本の手」の居場所を指す。

第六幕で仕掛けの手(烏田)は幕の前で自滅した。残るは台本の手――“言葉で動く手”の正体だ。

紙は口が軽い。机はさらに多弁だ。

この幕で私は、紙と机の地図を読み、外にある“書き手の部屋”の輪郭を浮かべる。

第七幕


 朝、〈玻璃座〉の事務机で、私は便箋を二枚並べた。第一夜の封筒から出た紙と、昨夜差し込まれた紙。どちらも麻混の繊維が目立つが、罫幅が違う。前者はやや狭く、後者はわずかに広い。下敷き痕の角度も違う。前者は右上に浅く、後者は水平に長い。

「同じ人が別の机で書いたか、別の人が同じ言葉を写したか」私は呟き、罫の間に定規を当てた。

 定規の縁に、うっすらロジン――袖に付けた粉が、私の机にも移ったのだ。私は袖口を払って紙を改め、封筒の消印の時刻と局名に目を落した。どれも夜間。中央郵便局。局内の夜間投函でしか押せないインクのムラがある。


「行くか」朝永が立った。

「紙と机を見に。舞台より喋る場所へ」


   *


 中央郵便局・夜間口。まだ朝の冷気が残る時間帯、当直の職員は湯呑みを持ったまま、私たちの身分証を確認した。

「夜間投函箱は監視カメラがあります。ただ、画素が粗くてね」

 計数機のログを捲ると、問題の夜――昨夜未明の投函時刻に、二通の封筒にだけ**“要計測”のフラグ。重量のばらつきが規定外だという。

「麻混は重い**。スティック糊なら軽い。二通のうち、後者が昨夜の便箋だ」

 私は封筒の重心を指先で図った。片側に偏り。内封が二枚重なっている手触り。

「下敷きを兼ねて予備紙を入れる癖――書き手の心配性」

 職員がカメラの静止画を出した。帽子、コート、深く襟を立てた影が投函口に二度現れる。顔は見えない。だが、投函前に封を撫でる左手の癖が映った。

「左手で封を確かめ、右手で投げ入れる。右利き、だが紙の扱いは左手主導」

 私は一コマ一コマを追い、最後の映像で指を止めた。投函口の横、掲示板に外国郵便の表。単位が小数点コンマで印字されている。

「ここで書いたのではない。だが、ここへ来る直前に**“意識が欧文に切り替わっている**」

 朝永が腕を組んだ。「外の机だな」

「外だが、近い。夜間投函は歩きで来られる距離。――印刷所か共同事務所か」


   *


 私たちはふたたび東雲印刷を訪れた。工場長は眉尻を下げて迎え、前工程のログを見せてくれた。

「パンフの差し替えは二回。最初はQuarkのデータ、後はPDF。CMYKプロファイルがね、“JapanColor”じゃなくて“Euroscale Coated v2”なのよ。コンマの指定が入ってた」

「欧州のDTP環境。――外の机から出た画像だ」

「持ち込み媒体はMOとZIP。特にZIP 100が多かった。ケースに黒い擦れがあったろ? あれは古いドライブだ。口癖みたいな擦れが着く」

 工場長は奥の棚から控えを出してきた。プリフライトの報告紙。そこに、フォント名のリストがあり、寸法に小数点コンマ。

 私は紙の端を指で撫で、鉛筆の固さを確かめた。H。筆圧浅く、縦画が薄い。

「このチェックを書いたのは前工程?」

「いや、外注のDTPだ。名前は残してないが、夜間に来る。局留めで受け取り、局内投函で返す変わり者」

「局留め?」

「中央郵便局の私書箱。ここから徒歩で十分。MOで持って来て、ZIPで返してったこともある。癖のあるやり方だよ」


 中央郵便局の私書箱。私は心の地図を塗りつぶした。外の机は、郵便局の近くにある。夜に歩ける距離。DTPの環境があり、Euroscaleがデフォルト。MO/ZIPを扱い、H鉛筆を使う。

 印刷所を出る時、工場長が思い出したように言った。

「そういえば一度だけ、紙の束を持ってきた。麻混で、罫が妙に広いやつ。『紙は舞台より口が軽い』って、笑ってた」

 私は礼を言い、視線を交わした。――同じ言葉だ。


   *


 郵便局の私書箱区画は、古い金属の扉が並ぶ小さな回廊だった。担当者の立会いの下、玻璃座制作部名義の私書箱と、その隣の番号を確認する。

「隣は**“演劇資料調査室”。契約者は個人**。夜間に頻繁に取りに来ます」

 金属扉の前、床のゴムマットに、白い粉が線を引くように残っていた。ロジンではない。紙粉――麻混の短い繊維が光を弾く。

 私は指で掬い、匂いを嗅ぎ、唇の裏に触れた。軽い。舞台の粉ではない。机の粉だ。


「場所はここから歩いて五分の圏だ」

「地図を引こう」

 朝永が市街図に円を描き、私はさらに条件を書き足す。

 ――夜間出入りが可能。

 ――DTPと画像の機材。

 ――MO/ZIP。

 ――欧州のICCが初期設定。

 ――鉛筆H。Hの削りは右利き。

 ――麻混の便箋を常用。

 ――罫幅が二種。

 円の内側で、条件に合うのは二つしかなかった。文化協会の共用事務所と、古書店を改装した小さな編集室。


   *


 先に文化協会を当たる。事務員は愛想が良く、机の上のカッティングマットはセンチ表示、ICCの話にうなずく顔もあっけらかんとしている。麻混の便箋はない。

 ――ここではない。


 次に、古書店の名残を残す編集室。表の看板は**「紙背しはいアーカイヴ」。代表は国枝真澄**。

「演劇のチラシや台本の目録を作ってましてね。外からデータも受ける。欧州仕様のプリフライトを使うのは、海外の寄贈に合わせてるからです」

 部屋の奥、机が四つ。ひとつは英字の罫が広い便箋、ひとつは狭い和罫。どちらも麻混。H鉛筆が差してあり、削りの返りはやはり右上がり。机の下にはZIPドライブとMO 230。

 私は机縁のうすい傷を見た。下敷きの角が当たってできたもの。角度は水平。昨夜の便箋の下敷き痕と同じ。

「私書箱はお持ちですか」

「ええ、劇場の資料を扱うので、郵便局の私書箱を借りています。夜間も受け取りに行きますよ」

 国枝は微笑み、麻混の束を机に置いた。

「紙はいいですよ。舞台よりも口が軽いから、あとで読める」

 私は視線を上げ、彼を見る。同じ言葉。筆圧の浅い声。

 ここが、机だ。


 朝永が静かに切り込む。「SOの画像はどこから来た」

「外から。寄贈の図面に注記を加えたものをトレースし、Euroscaleで出力して印刷所へ回した。パンフは私の趣味ではないが、資料としては美しい」

「注記――『立礼拒否の客を座らせよ』『引用は最少でよい』」

「批評は冗漫になりがちですから」国枝は肩をすくめた。「短く、正確に。引用が多いと、言葉は鈍る」

「SOの番号はあなたが振った?」

「いいえ。外です。私は地図を清書しただけ」

 国枝は机の引き出しから便箋を一枚取り出した。罫の広い欧文便箋。角を丁寧に折り、私の前へ滑らせる。

「あなたは疑っている。書いてごらんなさい、ここに。あなたの“地”を」

 私はHの鉛筆を取り、便箋の端に短い線を引いた。筆圧は浅く、返りが右上がり――誰の手にも似る。

「筆圧では人は捕まらない。机が語るんです」国枝は言った。「私は、この机で地図を清書した。彼らの言葉を短くした。――それが罪だというなら、私は問われるべきだ」


 彼の視線は逃げない。だが、答えは半歩ずれている。

 私は机上のカッティングマットの端に気づいた。センチ表示の上に、薄い貼り直し。ドイツ語の縮尺。

「あなたはどこで習った?」

「ミュンヘンで二年。図書館学」

「Euroscaleが初期で、小数点コンマに違和感がない――机は外を向いている」

「舞台は内を向いている」

 国枝は立ち上がり、棚から一冊の薄い冊子を出した。研究会の会報。そこに短いコラム。末尾に、見覚えのある癖の句点――二点。

「引用は最少でよい」

 彼は署名を指で隠した。

「あなたは誰のために清書した」

 国枝は静かに答えた。

「外の書き手。名前は言えない。私は紙を整え、机を貸しただけです」


 朝永が一歩踏み出した。「供述としては不十分だ」

「十分です。彼は脚本家ではない。編集者だ」私は言った。

「言葉を短くし、引用を削り、段取りを見やすくする。SOの**“清書”は、編集の仕事だ。脚本家の机は、別にある」

 国枝は笑わなかった。ただ、目を伏せた**。

「あなたは舞台の外に立つ。合図を整える。――罪は減らないが、手は違う」


 部屋を出るとき、私の袖にロジンが落ちた。尾花から借りたストールに付いていた粉が、今になって零れ落ちたのだ。私はそれを指で弾き、微笑んだ。

 舞台の粉を外へ持ち出してきたのは私だ。机の粉と混ざる。灰色になる。


   *


 夕刻。〈玻璃座〉のロビーに戻ると、尾花が待っていた。

「机は?」

「編集の机だった。脚本家は別だ。――でも、紙の地図は繋がった」

 尾花は頷き、バッグから封筒を差し出した。

「さっき、ドアの下に。私宛て」

 便箋はやはり麻混。罫幅は狭い。下敷きは斜め。

 『幕は降りた。役者は解散。

 観客は立て。

 ――引用は要らない**。』**

 私は紙の端を裂き、繊維を見た。同じ流通。そして、端の糊が二度塗りになっている。

「二度塗り。封をして開け、書き足して封し直した。机が二つか、人が二人」

 尾花が私を見る。「終わるんですか」

「終わらせるのはこちらだ。彼らは終わりを書かない。拍が止まるのを待つだけだ」


 私は朝永に電話を入れ、中央郵便局の私書箱での防犯強化を頼んだ。夜には、誰かがまた投函に来る。机は、紙を送り出すためにある。


   *


 夜。局の回廊で、私は一拍先に息を合わせた。

 足音が近づく。コートの裾が揺れ、影が投函口の前に止まる。

 左手で封を撫で、右手で投げる――その癖。

「紙は舞台より口が軽い」私は声をかけた。

 影は止まらない。封筒が口へ消える。

「引用は要らない、そう書いたのはあなたか」

 影が振り返る。目が一拍遅れて私を掴む。

 私は半歩退いた。喉高に線は来ない。

 朝永が廊下の端から現れ、警官が出口を塞いだ。

「名前を」

 影は黙った。黙祷のように。

 私は封筒を回収し、糊の二度塗りを指で感じた。

「机は二つ。あなたは書いた。誰かが清書した**」

 影は口を開いた。

「私は――段取りを書いただけだ」

「段取りは劇だ。あなたの一語で、五つの重さが落ちた」


 影が笑うとも泣くともつかぬ顔で言った。

「終わりはあなたが書きたまえ。私はプロローグしか書かない」

 脚本家は、終幕を書かない。拍を外に投げ、他人に幕を降ろさせる。

 私は朝永に目をやった。

「――逮捕はできる。教唆、幇助。だが、舞台の外の罪を法に載せるには、紙をさらに連ねる必要がある」

 朝永は頷き、影に手錠をかけた。名は出さない**。この幕では。


 回廊の蛍光灯が二度滲んだ。合図は、世界のどこにでもある。

 私は一拍先に息を吸い、尾花に電話をした。

「終わりはこちらで書く。あなたは座るな。立ったら、一拍だけ先に退け」

「……はい」

 受話器の向こう、粉のない空気が返事をした。


   *


 下宿。机の上に、木粉/珪砂/ロジン/樹脂焦げ。そして、紙粉を少量。

 私は事件簿を開く。

 ――台本の手:外部の“書き手”。夜間投函/Euroscale/小数点コンマ/麻混便箋/H鉛筆。私書箱と編集室の動線。

 ――清書の手:編集者(国枝)。罫幅二種/ZIP/MO/プリフライトの鉛筆。

 ――机は二つ。言葉は一つの調子。

 ――終幕は舞台に返す。紙はプロローグまで。

 私は粉を混ぜ、うす灰にした。

 舞台の粉と机の粉。重さの言葉と軽さの言葉。

 ――地は読めた。幕を降ろすのは、次だ。

 第七幕「紙の地」では、紙/机に刻まれた手掛かりを読み、“台本の手”の場を可視化しました。フェア・プレイ上の提示点と回収は以下の通りです。

•紙面の微細情報

•罫幅の差(狭い和罫/広い欧文罫)、下敷き痕の角度の差。

•麻混の繊維=封筒・便箋の流通の一貫性。

•糊の二度塗り=二つの机/二人の手の介在。

•前工程の匂い

•Euroscale Coated v2、小数点コンマ、MO/ZIPという外部DTPの痕跡。

•プリフライト紙のH鉛筆=**清書(編集)**の存在。

•動線の確定

•中央郵便局の夜間投函/私書箱→徒歩圏の編集室(紙背アーカイヴ)。

•文化協会は条件不一致で除外。

•役割の分割の精密化

•仕掛けの手=烏田(死亡)。

•合図の手=入れ替わり得る(黒衣、配布、環境音)。

•清書の手=国枝(編集者)。

•台本の手=外部の書き手(氏名は未出)。


本幕で、**“書き手の部屋”**の輪郭は掴んだが、名はまだ伏せられている。

八幕では、

1.紙の連署(清書と原文)の差分、

2.ICC/罫幅/筆圧/投函動線の一点交差、

3.「引用は最少」という思想の署名

を同じ場に揃え、脚本家を舞台へ引きずり出す。

幕は地上で降りる。だが、紙は地下で鳴る。

探偵は一拍だけ先に、幕の綱へ手を伸ばす。

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