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扉の向こうから、華やかな音楽がかすかに響いてくる。クラリス・フォン・ローゼンベルクは静かに鏡の前に立つ。
「完璧です」
クラリスの侍女リディア・シャルロットが満足げに言った。
「そうかしら。どれだけ着飾ってもどうせ……」
鏡の前に立ち、紫の瞳に映るのは完璧に整えられた白金の髪。白銀の刺繍が施されたドレスに身を包み、唇には紅を差している。
「完璧すぎて近寄りにくい雰囲気はありますけど、美しいものは仕方がないですからね。どうせ。なんていわないで自信を持ってください。私の自慢のお嬢さまなんですから!」
「リディアにそんなことを言われたら返す言葉がみつからないわね」
表情が読み取りにくいと言われるけれど、うっすらと笑みを浮かべた。
「クラリス様は笑っていた方がいいのにもったいないです」
長い付き合いのリディには私が笑っているとわかるの。両親にすら伝わらないのに。
数カ月前、婚約が解消された。その噂はすぐに貴族たちの間を駆け抜けた。
「高慢な令嬢が、身勝手に婚約者を突き放した」
─まるでそれが真実のようだった。
直接言われたわけではないけれど、わざと聞こえるように話をしている。
言い返すことは簡単なのかもしれない。でも私は争わない。
悪役令嬢・仮面の令嬢と言われるようになった。
誰の記憶にも残らないようにそっと身を引きたい。
そう思うようになった。
それでも世間は許してくれず、こうして今日も舞踏会に招かれた。
拒否しようとも王命という義務が社交の場へと引き戻すのだ。
「陛下が今夜お見えになるそうですわよ」
ただでさえ緊張しているのにリディが耳元で教えてくれた。レオンハルト陛下。その名前を思い浮かべるだけで、なんとなく胸の奥がざわついた。
思い出したくないのについ、あの日のことを思い出してしまう。
「君は誤解を受けやすい」と言った人。
そういわれた瞬間に誰も知らない本当の自分が映し出されたような気がしたのだった。
会場に近づき扉の向こうでは、貴族たちの笑い声がこだました。
あぁ。今夜も舞台が始まる。誰にも悟られないように完璧な仮面を付けなくては。
そしてその仮面が少しづつはがれ落ちていくことになるとは、その時思わなかった。