夜風に当たってドライヤー
今日は火曜日 18時半、夜ご飯(肉野菜炒めと冷奴、納豆ご飯)を作って食べる。火曜日はいつもこの時間に、いつもこの夜ご飯を食べている。いつもと変わらないおいしさ。
夜ごはんを食べ終わったら、浴槽にお湯をためる。お湯と冷水のそれぞれの蛇口をひねって、混ぜて温度を調節して湯をためる昔ながらの浴槽。調節を間違えると、熱すぎて入れないときもある。そういうときは冷水を足して、肩まで浸かれるくらいまでの温度に調節して入る。いつも熱すぎて入れないか、ぬるすぎて冷たいかの二択なので、調節する必要がない日はラッキーな日だと感じる。
今日は、熱すぎず、ぬるすぎない最高の湯加減だった。
30分くらい湯船に浸かって、今日あったことを思い出す。僕はこの時間が好きだ。
体が湯気を立てるくらいポカポカの状態で浴槽を出る。普段は20分も浸かることはない。頭と体を洗い終わるとすぐに湯からでる。でも今日はちがう。いつも気分屋な湯加減にストレスを感じながら湯を調整するが、今日は一切蛇口に手を触れずにゆっくり浸かれた特別かつラッキーな日。
まだ体が温かい状態で、急いで半袖Tシャツを着て長ズボンを履き、ドライヤーを手に取ってベランダの窓を開ける。住宅街の明かりと夜空に浮かんだ三日月をボーっと眺める。
ベランダに出て、ドライヤーのコンセントをつなぎ、熱風のスイッチを入れ、濡れた髪を乾かしていく。肌に当たるとひんやりとする11月初めの夜風とドライヤーの熱風が入り混じった感覚が、風呂上がりの体に染み渡る。僕は目を瞑り、ずっとこの瞬間、この生活が続けばいいのにと、ふと考える。そう思っているうちに、いつの間にか髪は乾いていて、ドライヤーの熱風スイッチを切る。永遠と感じられたあの瞬間は、気が付くと消えていてどんどん体が冷たくなっていくのがわかる。僕は急いで部屋に戻ってベランダの窓を閉めた。
こんな気持ちになるのも今のうちで、10年後、20年後と年齢を重ねるごとに忘れていくのかな。