表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
98/98

最終話:それから

気がつくと船室のベッドに横たわっていた。俺の隣には、ずっとエマがいて、温かく見守ってくれていた。


細い手で俺の額に触れては熱を確かめ、温かいスープを一口ずつ飲ませてくれる。とにかく体温を上げようと、献身的に看病をしてくれている姿があった。


銀色の三つ編みが乱れ、青い瞳には疲労の色が濃く浮かんでいる。それでも、俺が目を開けるたびに優しい微笑みを浮かべてくれた。俺はそれを見るだけで、深い安心感に包まれた。


いつから意識があるのか、はっきりしない。ずっと意識があったような気もするし、今、目覚めたばかりの気もする。目覚めたと言っても、何か夢の中にいるようで、地に足が付かないような感覚が続いていた。


エマによると、心臓の鼓動がしっかりして意識が戻り始めたので、廊下から船室に移動させたのだという。その前は甲板でずっとエマが俺を温めていてくれたことを知って、感謝しかなかった。


レオンもつきっきりで、俺の体を温めるためのお湯を入れた革袋を交換してくれていたという。あの少年の真剣な表情が目に浮かんだ。


船室に移って三日目、ようやく言葉が出てくるようになった。自分がなぜ生きているのか、まだ完全には思い出すことができない。何か、サンデラに出会ったような気もするが、夢かもしれないし、幻覚かもしれない。


「あと数日で、次の港に到着しますよ」


エマが教えてくれた。淡いピンクのワンピースの袖をまくり上げた細い腕が、俺の手を優しく握っている。


港に着くまでには歩けるようになっているだろう。


用事が無いときは、エマはずっと俺を抱きしめていてくれている。


「俺にくっついていると、エマの体温が下がるから」


というと、


「温かいものを沢山飲んで体を温めているから大丈夫です」


という。エマの優しさ、温かさ、柔らかさが心地よくて、どうしても断る気にはなれない。そして実際、そのおかげで俺の体温は徐々に元に戻っていった。


その間、エマとは沢山の話をした。といっても、あまり話すことができない俺に、エマは俺と出会ってから、二人の間であったことを沢山話してくれた。


そんなことまで、という細かいことまでエマが覚えていたのに驚かされるとともに、嬉しかった。


初めて出会ったときの話もした。


「テルのことが捨てられた子犬のように頼りなく見えました」


とエマは言った。確かに俺は、この世界について何も知らないのに、無邪気にも何も考えず、ただ新しい世界にワクワクしていた。


「私の印象は?」


と聞かれたので、正直に答えた。


「頭が良くて優しくて可愛い人に拾われて最高だな、と」


エマの表情には疑念が浮かんでいる。


慌てて俺は付け加えた。


「不思議と安心していた気がする。最初からエマのことを信じていたんだと思うよ」


エマは眉に少ししわを寄せて俺を見る。


「本当ですか?」


「いや、本当だって!実際、エマは絶対に嘘をつかない人だったんだけど、最初から分かっていたんだよ」


人生はとても不思議だ。これまで、前の世界も含めて、俺は沢山の人に出会ってきた。その人たちと初めて会った日のことなど、全く覚えていない。


でもなぜか、エマと出会った日のことは、全てを鮮明に覚えている。そして、俺はそのエマと今も、二人でいるのだ。


船が港に到着する頃には、俺はすっかり、とまではいかないが、ほとんど元の体を取り戻していた。体温は戻り、鼓動もしっかりし、普通に歩くこともできる。


船を下りるときは、船員皆で俺とエマを見送ってくれた。レオンはずっと泣いていた。


俺はレオンに伝えた。


「誰かを助けようとする気持ちは大切だ。でも、自分の命が一番大切だから」


船を下りた俺とエマは、初夏の街の長い坂道を上って、山の麓にある教会に向かった。石造りの古い建物が、陽光を受けて温かく輝いている。


誰もいない教会で、俺たちは約束をした。石造りの古い祭壇の前に立ち、差し込む陽光が二人を包んでいる。エマの銀色の髪が光を受けて美しく輝き、その青い瞳には深い決意が宿っていた。


「俺、ナオテル・イフォンシス・デカペンテは、エマンエラ・カンテを生涯愛することを誓う」


と俺は言った。声が教会の石壁に響いた。その瞬間、俺の胸には今まで感じたことのない責任感と幸福感が満ちた。


「私、エマンエラ・カンテは、神と自分自身に誓います。ナオテル・イフォンシス・デカペンテを生涯愛し、どんな困難があろうとも共に歩むことを」


とエマは答えた。エマの顔は、これまで見たこともないほど柔らかく、優しく、そして美しかった。


最後に、真剣な顔で向き合い、生涯忘れることのないキスをして、二人は見つめ合った。そして、そのあまりのぎこちなさに大笑いして、ままごとのような二人だけの儀式は終わった。


俺は旅を続けることを決めていた。今回のことで俺は痛感していた。自分と、愛する人の二人を守って生きていくことが、いかに偉大な大事業であるのかを。


明らかに今の俺は力不足だ。二年間の旅で成長し、強く、賢くなってエマを迎えに行くと誓った。


エマはこの港町で引き返し、予定通り、実家に戻る。彼女はそこで教師として二年間を過ごすという。


「毎日、あなたが帰って来るのを待っています」


とエマは言った。儀式は、そのための二人の約束だった。


この見知らぬ港町で三日ほど過ごした後、俺は別の船に乗り換えて次の街へ向かった。


エマとの別れは、シルバーマインでの別れとは違っていた。あの時、俺たちはお互いの気持ちが分からずに、不安の中で時間に引き裂かれようとしていた。


今は違う。確かな気持ちが二人を繋いでいる。離れていてもそれは変わらない。


少しのあいだ抱き合って、手を振って二人は別れた。エマの銀色の髪が海風に揺れ、その美しい姿の記憶は、きっと二年間、俺を支えてくれるだろう。


沖に出た船から振り返る港町。山の麓に見える教会。海からの風が心地よい。


ふと、前の人生を思い出した。そこで俺は、時間に押し流されるように生きていた。何かを自分で選ぶこともなく、だいたいみんなこんな感じだろう、とそれに従っていた。


今はどうだろうか。少なくとも、俺の人生を前に進めているのは時間じゃない。俺は、自分で行く先を決めて、自分の意思で足を前に踏み出している。


人生はきっと良いことばかりではない。あの嵐の夜のように、積み上げた幸福は一瞬で不幸のどん底へと変わる。


それでも、自分で考え、選び取り、踏み出し続ける人生であるならば、少なくとも後ろを向いて後悔することはないだろう。


俺は、そうやって生きていくと決めた。エマと約束した二年後に向かって、一歩ずつ歩んでいくのだ。


水平線の向こうに太陽が輝いている。その光が海面で踊り、俺の心を照らしていた。愛する人を守るため、成長するため、そして二人の未来のために——俺の人生が、今、始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こちらは「完全版」です。 「ライト版・挿絵入り」はこちら
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ