第77話:テルと「お金の使い方」
翌朝、俺は相変わらず顔が緩んだ状態でベッドから起き上がった。枕元に置いた1万フィデルの報奨金証書を見るたびに、自然とニヤけてしまう。2億円という数字が頭から離れない。
「テル、まだその顔をしているのですね」
エマが呆れたような声で言った。銀色の三つ編みを肩に掛け、白いブラウスに深紅のリボンを結んでいるいつもの姿だ。透明感のある青い瞳には、微かな苦笑いが浮かんでいる。
「いや、悪い。でも、こんな大金、どうやって使えばいいのか分からなくて」
俺は証書を机の上に置きながら言った。
「確かに、それは重要な問題ですね。お金の使い方というのは、その人の価値観を表すものですから」
エマはいつものように論理的に考え始めた。細い指先で髪を耳にかけながら、理性的な表情を浮かべる。
———
朝食を食べながら、俺たちは話し合った。
「まず、テルはこのお金で何を買いたいと思いますか?」
エマは椅子に座り直すと、リボンの端を軽く触りながら尋ねた。
「うーん......」
俺は頭を掻きながら考えた。元の世界なら、高級車やブランド時計、最新のガジェットなんかを思い浮かべるところだが、この世界にはそういうものがない。
「豪邸?でも、今の部屋で十分だしなあ。広い家を買ったところで、特に使い道がない」
「テルは意外に堅実なのですね」
エマが少し驚いたように言う。白いブラウスの肩が軽く上下し、感心したような表情を見せた。
「いや、俺は堅実だよ。無駄なお金は使わない......いや、ちょっと『遊ぶ』ぐらいは使うよ。でも、基本堅実だよ......というか、そもそも大した金額を持ったことがなかったしね」
なぜか必死に弁解する俺の様子を見て、エマは小さく微笑んだ。三つ編みが微かに揺れ、頬がほころぶ。
「宝石はいかがですか?きっとテルのような英雄なら、立派な指輪や装身具が似合うと思うのですが」
エマが提案したが、俺は首を振った。
「宝石には特に興味がないな。エマには一つぐらい買ってもいいけどね」
「私は......そういうものにはあまり関心がありません」
エマは少し頬を染めながら答えた。控えめに俯く仕草が、いかにも彼女らしく美しい。
「まあ、エマこそ絵に描いたような堅実な人だからね」
エマの表情が少し曇る。
「いや、褒めてるんだよ。俺は堅実な人の方が好きだ」
二人の間にふわふわした空気が流れる。エマの頬がほんのりと桜色に染まり、俺も何となく照れくさくなった。俺は慌てて話題を変える。
「それじゃあ、この国のお金持ちは、何にお金を使っているの?」
俺の質問に、エマは少し考え込んだ。細い眉がわずかに寄り、記憶を辿るような表情を見せる。
「私もよく分かりませんが......豪邸と庭園、特注のドレスや宝石、芸術品を集めたり、芸術家の支援をしたり、あとは大きなパーティーを開いたり......」
「なんか、いまいち心躍らないな」
俺は溜息をついた。確かにお金はあるが、使い道が思い浮かばない。
「そういうテルの国では、お金を持っている人は何に使っていたのですか?」
エマが興味深そうに尋ねる。青い瞳に好奇心の光が宿った。
「そうだな......俺もお金持ちじゃなかったから詳しくは分からないけど、豪邸とか、高級車......いや高級な馬車とか、船とか、ブランドもの......有名な職人が作ったドレスや鞄や靴とか......かな」
俺は思い出しながら答えた。
「結局、同じなのですね」
「そうだね。時代や国が違っても、お金の使い道なんてそんなに変わらないのかもしれない」
俺は思った。カリアの言葉を思い出す。お金が増えすぎても、結局「自然でも必然的でもない欲求」を満たすだけで、本当の幸せには繋がらないのかもしれない。
そのとき、俺はふと思い立った。
「貧民街の人に配るのはどうだろう?」
「それは素晴らしいことです!」
エマの青い瞳が輝いた。銀色の髪が光を受けて美しく輝き、表情が一気に明るくなる。しかし、すぐに理性的な思考が働いたのか、表情が少し曇った。
「でも、それでは一時的なもので終わってしまいます。『魚を与えるより、魚の釣り方を教える方が重要』だと思うのです」
「魚の釣り方......つまり、貧民街の人々が自分でお金を稼げるようにする、ということか」
「そうです。根本的な解決を目指すべきです。一時的な援助では、問題の本質は変わりませんから」
エマの言葉に、俺は膝を打った。
「じゃあ、学校にお金を使おう!」
「素晴らしい考えです!」
エマは勢いよく立ち上がって、興奮気味に言った。三つ編みが弾むように揺れ、頬が嬉しそうに紅潮している。
「貧民街の子どもたちのための学校を大きくするのです。読み書きだけでなく、職業技術も教えられるようにして......」
「そうだ!校舎を建てて、教材を揃えて、先生も雇って......」
「子どもたちに配るパンも今は王立学院の残りですが、新しく購入すれば人数を増やすことができます」
俺たちは夢中になって計画を練り始めた。エマの目が輝き、俺も久しぶりに心から楽しい気分になった。
しかし、話し合いを続けるうちに、だんだんと現実的な問題が見えてきた。
「でも、結局は『人が足りない』ということになりますね」
エマが三つ編みを指先で軽く触りながら、困ったような表情で言った。その仕草がいかにも彼女らしく愛らしい。
「優秀な先生を雇わなければなりませんし、そこまで大きくするなら学校の運営もちゃんとした方にお任せする必要があります」
「それに、俺たちがずっと関われるわけじゃないからな。お金がなくなったらおしまいでは困る」
俺は頭を抱えた。
「お金を増やせないかな?大もうけしなくてもいいから、報奨金を元手として、銀行に預けて利子で運用とか......」
「利子?」
エマが首をかしげた。白い肌に銀色の髪がかかり、疑問の色を浮かべた青い瞳が俺を見つめる。
「俺の国では、一定期間銀行にお金を預けると、『利子』といって、追加でお金をもらえたんだ。例えば、1万フィデルを1年間預けると100フィデルもらえる、みたいな」
「よく分かりません......この国にも銀行はありますが、お金を預けるだけで『利子』がもらえるというのは一般的ではありません。お金を増やすなら、貸金業をやることになりますが......」
エマは細い眉をひそめた。理性的な彼女らしく、倫理的な問題を感じ取ったようだ。
「貸金業か......それは、あまり気が進まないな」
俺は溜息をついた。人にお金を貸して利息を取るなんて、なんとなく後ろめたい。
「そういえば、テルは『経営』を勉強していたとか......何かお知恵はありませんか?」
エマの言葉に、俺は冷や汗をかいた。確かに、俺は大学では経営学部に所属していた。しかし、思い出そうとしても、何も出てこない。いかに自分には関係ない「勉強」として受け流していたかを痛感する。
「あー、その、まあ、基礎的なことしか......あとは、社会の仕組みがこの国とは違うから、ほら、利子とか」
俺は苦笑いでごまかした。実際には何も覚えていない。
「そうですか......では、誰か詳しい方に相談するのが良いかもしれませんね」
エマは優しく微笑んだ。俺の勉強不足を責めるような素振りは全く見せない。その寛容さが、かえって申し訳なく思える。
「誰か、お金に詳しい人はいないかな?」
「ミルに相談するのはどうでしょう?」
エマが提案した。肩に掛けた三つ編みを指先で軽く撫でながら、考え込むような表情を見せる。
「彼女は生徒会でも会計をやっていますし、お金のことにとても詳しいのです。それに、『最大多数の最大幸福』の観点から、最も効率的な使い方を考えてくれるかもしれません」
「それはいいアイデアだ。ミルなら、俺たちが思いつかないような方法を知ってるかもしれない」
「では、早速、生徒会室に行ってみましょう」
エマは立ち上がると、三つ編みを肩に掛け直した。窓から差し込む朝の光が、エマの銀色の髪を輝かせていた。
俺たちは急いで王立学院に向かった。1万フィデルという大金を、本当に意味のある使い方ができるのか。
ミルの知恵に期待しながら、俺たちは足早に歩いた。




