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第76話:退役願い

週明けの朝、俺は王宮に向かった。


テオリア女王の執務室で、俺は正式な報告を終えた。女王は紫水晶色の瞳を和らげ、金髪を優雅に結い上げた姿で俺を見つめている。


「今回の功績に対し、相応の報奨金を用意しました」


女王が差し出した書類を見ると、1万フィデルと書かれていた。まったく直感が働かず、どのくらいの金額なのかピンとこない。


「ありがとうございます。しかし、報奨金は必要ありま......いえ、もうちょっと少なくても十分です」


俺は断ろうとしたが、お金があって困ることはない、と思い直し、かっこよさよりも実益を確保した。


そして、深呼吸すると、本題を切り出した。


「それよりも、お願いしたいことがあります」


女王の瞳に疑問の色が浮かんだ。長い金髪が肩で揺れ、真珠のように白い光沢を放つドレスの肩が微かに上下する。


「何でしょうか、テル?」


「騎士団から退役させていただきたいのです」


女王の表情が一変した。紫水晶色の瞳が鋭く光り、優雅な微笑みが瞬時に消える。


「退役?あなたは英雄です。どうしてそんなことを?」


俺は昨日からずっと考えていたことを口にした。


「俺は人を殺しました。マキャベリア兵を十三人も。戦争だから仕方がないと皆は言いますが、これ以上、同じことを繰り返したくないんです」


女王は長い沈黙を保った。窓からの光が彼女の金髪を照らし、深く考え込む表情が美しくも厳しく見える。


「テル、あなたの気持ちは痛いほどよく分かります」


女王はついに口を開いた。しかし、その声は優しくも断固としている。


「申し訳ないのですが、その願いを叶えることはできません」


俺の心が沈んだ。予想していた答えではあったが、実際に言われると落胆する。


「今、ようやくローレンティア地方からマキャベリア軍の撤退が始まろうとしているところです。でも、まだ軍事的脅威は大きいままです。それを抑えるためには、どうしてもあなたの力が必要なのです」


女王は立ち上がると、窓の外を見つめた。白いドレスが陽光に映え、彼女の威厳がより一層際立つ。


「あなたは今や、フィロソフィア軍の力の象徴なのです。もし退役したとなれば、マキャベリア軍が『今なら勝てる』と考えて、また侵攻してくるかもしれません」


俺は反論したかったが、女王の言葉には説得力があった。確かに、俺の存在が抑止力になっているとすれば、勝手に辞めるわけにはいかないのかもしれない。


「もう一度、考え直していただけませんか?」


女王の紫水晶色の瞳が懇願するように俺を見つめる。その美しい瞳に、深い憂いが宿っているのが見えた。


「......分かりました。もう少し考えてみます」


俺は重い足取りで王宮を後にした。


———


午後、俺はカリア騎士団長の元を訪れた。彼女は執務室で書類に目を通していたが、俺の顔を見るとすぐに何かを察したようだった。


「テル、どうしましたか?今日はずいぶん沈んだ顔をしていますね」


カリアは栗色の髪を後ろで結い、琥珀色の瞳で俺を見つめている。いつもの落ち着いた表情だが、その奥に深い洞察力が潜んでいる。


「実は、女王陛下に退役を申し出たのですが、断られました」


俺は正直に話した。カリアなら、俺の気持ちを理解してくれるかもしれない。


「そうですか。でも、それは当然の判断でしょうね」


カリアは椅子から立ち上がり、俺の前に来て座った。その表情には母性的な優しさが浮かんでいる。


「テル、あなたの気持ちはとてもよく分かります。実は、私も同じことを考えたことがあります」


「カリア団長も?」


「はい。初めて実戦に出た後は、しばらく剣を握ることができませんでした」


カリアの琥珀色の瞳に、かすかな痛みが宿る。彼女の細い指先が、無意識に剣の柄を撫でるような動きをした。


「でも、テル、一つお話ししたいことがあります。世の中の悪について」


「悪について?」


カリアは窓の外を見つめながら、静かに語り始めた。


「昔から人々は疑問に思ってきました。もし神が本当にいるのなら、なぜ世界には悪いことが起こるのだろうって」


「確かに、そうですね」


「例えば、こう考えてみてください。神は悪いことを止めたいと思っているけれど、実際には止められないのでしょうか?」


「うーん、もしそうなら、神様は全能ではないですね」


「では、神は悪いことを止める力はあるけれど、止めたくないのでしょうか?」


「それだと、神様が意地悪ってことになりますね」


「では、神は悪いことを止めたいし、止める力もあるとしたら?」


「それなら、世界に悪いことなんて起こらないはずです。でも実際はそうじゃない」


「最後に、神は悪いことを止める力もないし、止めたくもないとしたら?」


「それじゃあ、神様って呼ぶ意味がないですね」


カリアは俺の方を振り返った。琥珀色の瞳が真剣な光を湛えている。


「私は神の存在を否定しているわけではありません。ただ、神は人間の世界に直接手を出さないという考え方をしています」


「つまり?」


「この世界で起こることは、すべて私たち人間の責任だということです」


カリアは立ち上がると、俺の肩に手を置いた。その手は温かく、確かな力強さを感じさせる。


「神に祈っても、平和は訪れません。未来は自分たちの手で作らなければいけないのです」


カリアの言葉に、俺の心が少しずつ動かされていく。


「テル、私たちと一緒に頑張ってくれませんか?あなたの力が必要です。あなたがいるからこそ、この国の多くの人が希望を持つことができるのです」


俺はカリアの琥珀色の瞳を見つめた。その瞳には、深い信念と優しさが宿っている。


「......もう少し考えてみます」


——— 


その夜、俺は家に帰ってエマに今日の出来事を話した。


エマは銀色の髪を三つ編みにし、白いブラウスに黒に近い深紅のリボンを着けて、いつものように美しく見えた。しかし、俺の話を聞くうちに、その透明感のある青い瞳に深い思索の光が宿っていく。


「それで、退役を申し出たのですね」


「ああ。でも、やっぱり断られた」


エマは長い間黙っていた。細い指先で髪を耳にかけながら、何かを深く考え込んでいる。


「逆に言えば、世界に平和が訪れれば、テルは退役できるということですよね?」


エマの突然の言葉に、俺は驚いた。


「そうかもしれないけど、いつになるか分からないよ」


「でも、可能性はあるということです」


エマの青い瞳が決意に満ちた光を放っていた。


「そういえば......」


俺はふと報奨金のことを思い出した。テーブルの上に置かれた書類を指さしながら首をかしげる。


「1万フィデルってどれくらいの金額なの?」


「1万フィデル!」


エマが大きく青い瞳を見開く。三つ編みの髪が勢いよく揺れ、白いブラウスの肩が小さく震えている。


「それは何の金額ですか?」


明らかに普通ではない金額だと分かる反応だった。


「俺の報奨金らしい」


俺は書類を手に取りながら、のんびりと答えた。エマの驚きぶりを見て、ようやく自分が大変なことになっているのかもしれないと気づき始める。


エマは黙り込んだ。細い眉がわずかに寄り、唇がかすかに開いたまま固まっている。銀色の三つ編みが夕日に照らされて輝いているが、その美しい顔には困惑の色が浮かんでいた。


「?どうしたの?」


俺は首をかしげながらエマの反応を見つめる。彼女がこれほど動揺するのを見るのは珍しい。


「......それは、大変なことです」


エマが深刻な表情になる。白いブラウスの胸元が小さく上下し、彼女の動揺が手に取るように分かった。透明感のある青い瞳が俺を見つめているが、その奥に戸惑いが隠せずにいる。


「説明してよ。どれぐらいの金額なのかピンとこない」


俺は身を乗り出しながら尋ねた。エマの真剣な表情を見て、これは本当に大変なことなのかもしれないと思い始める。


「パン一つの値段は知ってますか?」


エマは深呼吸して、いつもの論理的な説明モードに入った。三つ編みを肩に掛け直しながら、冷静さを取り戻そうとしている。


「だいたい5ソフィアぐらい?」


俺は気軽に答えながら、まだ事の重大さに気づいていない。


「そうです。5から10ソフィアぐらいです」


エマが続ける。銀色の髪が夕日に照らされて美しく輝いているが、その表情は次第に深刻さを増していく。細い指先でリボンを軽く触りながら、言葉を選んでいるようだった。


「1フィデルは1000ソフィアです」


俺は久しぶりにスマホを取り出して計算する。画面に向かいながら指で数字をタップしていく。


「ということは、1万フィデルは......1000万ソフィア?パンを200万個ぐらい買えるの?」


俺は計算結果を見上げながら、まだ実感が湧かずにいる。


「そういうことです」


エマは小さく頷いた。三つ編みが微かに揺れ、透明感のある青い瞳が心配そうに俺を見つめている。


俺は計算を続ける。パン一個、元の世界では100円ぐらいだった。ということは、1万フィデルは2億円......。


スマホの画面を見つめながら、俺の顔がだんだんとほころんでいく。口元が緩み、目元にも笑いが浮かんでくる。


「テル?どうしたのですか?顔が何か......変になっていますよ」


エマが心配そうに声をかける。三つ編みを解いた銀色の髪が肩に流れ、白いブラウスの袖口から細い手首が見える。彼女は俺の顔の変化に戸惑いながらも、優しく見守ってくれている。


そんなにいらない、とか言いながらも人は弱い。俺は顔が緩んで戻らなくなっていた。2億円という数字が頭の中をぐるぐると回り、ニヤニヤが止まらなくなっていた。


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