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第60話:テルと「視察」

夕方の赤い光が、ローレンティアの石造りの建物を黄金色に染めていた。馬車が街の入り口で止まると、俺はほっと息をついた。長い道のりだったが、ついに目的地に到着した。


「無事到着しましたね」


カリアが言った。琥珀色の瞳は相変わらず鋭く、栗色の髪を自然に流した彼女の姿からは、旅の疲れは感じられない。


「では、街中を案内させていただきますね」


小ジャンヌが御者に指示を出しながら言った。セミロングの黒髪が肩で揺れ、黒縁の眼鏡が夕日を反射して一瞬きらめく。彼女の華奢な体からは想像できないほど、的確で手際の良い指示が次々と出される。


馬車がゆっくりと街中を進む中、小ジャンヌは街の中心部にある重要施設を一つずつ紹介していった。


「あそこが市役所です。以前と変わっていませんね」


彼女の指先が優雅に建物を示す。


「こちらは鉱山管理事務所。採掘の許可や労働者の管理を行っているはずです」


「遠くに見えるのが、鉱山への入り口です。あの煙突からの煙が見えるでしょう?今も採掘が行われている証拠です」


小ジャンヌの説明は簡潔で分かりやすかった。しかし、俺は次第に違和感を覚え始めた。街を歩く人々を観察していると、明らかにクロイツベルクと違う。


「この街、男性がやたら多くないですか?」


俺が疑問を口にすると、カリアは頷いた。


「多くの鉱山都市はこうなの。重労働だから、男性の労働者が集まりやすいのよ」


カリアの説明に納得しかけたが、小ジャンヌが振り返って言った。眼鏡の奥の瞳が、冷静に街の様子を分析している。


「ただ、以前よりもその傾向が強くなってますね。それに街全体が、前より賑わっている」


小ジャンヌの薄茶色の瞳には、分析的な光が宿っていた。


「共同開発が決まって、採掘量が増えているんでしょう。外から労働者が流入している可能性があります」


カリアの声には、わずかな警戒心が混じっていた。


その時、馬車の外から大きな声が聞こえた。


「おーい!ジャンヌやないか?大きゅうなったなぁ!」


筋骨隆々とした鉱夫が、汚れた作業着姿で手を振っている。俺はなんとなく小ジャンヌは無視するものと思ったが、予想に反して彼女は窓から身を乗り出した。


「マルクさん!今日もしっかり働きよんなぁ!」


小ジャンヌの大きな声での返事に、俺は驚いた。普段の物静かな彼女とは全く違う一面だった。黒髪が風になびき、その表情には温かな親しみが浮かんでいる。


「勉強の方はどげんね?」


「なんとかかんとか!ザビーネさんにもよろしゅう言うとってくださいね!」


この短いやり取りを見て、俺は小ジャンヌがこの街に深く根ざしていることを理解した。彼女は単なる視察者ではなく、この街の一部なのだ。


一通り街を回った後、小ジャンヌは馬車を止めるよう指示した。


「私の責任はここまでです。知り合いがいるので、そこに泊まります。色々と用事を済ませてきます」


小ジャンヌは馬車から降りながら言った。華奢な体が夕日に照らされ、その影が石畳に伸びている。黒いスカートの裾が軽やかに揺れる。


「明後日の朝、宿舎にお伺いします。それでは」


彼女の後ろ姿が街の人混みに消えていくのを見送りながら、俺とカリアは宿へと向かった。


---


夜になり、俺とカリアは宿の近くの食堂で食事を取っていた。ローレンティア名物の鉱夫料理は、ボリュームがあって美味しかったが、カリアは相変わらず、パンと水、一切れの肉しか注文しなかった。


「明日の予定ですが」


カリアがナイフとフォークを置きながら言った。琥珀色の瞳が、ランプの灯りを受けて神秘的に輝く。


「早朝にモンクレール高地に登って、地形を確認したいと思います。マキャベリア軍が進軍してくる可能性があるルートを把握しておく必要があります」


俺は頷きながら、カリアの戦術的思考に感心していた。彼女は常に数手先を読んでいる。


その時、酔った男性のグループが俺たちのテーブルに近づいてきた。彼らの歩き方は不安定で、明らかに深酒をしている。


「おい、美人さん」


一番大柄な男がカリアに声をかけた。


「一杯やらんか?わしらと一緒に」


俺は身構えたが、カリアは冷静だった。彼女は優雅に立ち上がると、微笑みながら答えた。長身で引き締まった体が、凛とした美しさを放っている。


「申し訳ございませんが、明日早いもので。どうぞ、みなさまごゆっくり」


カリアの丁寧な断り方に、男たちは面食らったようだった。


「まぁまぁ、一杯ぐらいは付き合わんか」


男がしつこく食い下がろうとした時、カリアの表情が少し変わった。微笑みは消えず、しかし琥珀色の瞳に鋭い光が宿る。


「毎日お仕事、お疲れ様です。どうぞお構いなく」


彼女の声には、断固とした意志が込められていた。男たちは何かを感じ取ったのか、渋々と立ち去っていった。


宿に戻る道すがら、俺はカリアに尋ねた。


「カリアさんなら、鉱夫たちに力でも負けないでしょ?」


カリアは歩きながら答えた。栗色の髪が夜風に揺れ、その横顔は月明かりに照らされて美しい。


「それは、あなたに期待してたのだけれど。もし私があの場所で力を見せたら、どうなると思う?」


俺は考え込んだ。確かに、女性が鉱夫を圧倒するような場面が目撃されれば、噂になる。そして、俺たちがただの視察者ではないことがバレてしまう。


「反省します」


俺の言葉に、カリアは小さく頷いた。


「しかし、治安が悪くなっているわね。確かにここは鉱山都市だけど、以前はここまでではなかった」


カリアは立ち止まり、街の夜景を見つめた。彼女の横顔には憂いの色が浮かんでいる。


「それから気になったことがあるわ。さっきの男たちの会話、半分くらいマキャベリア語だった」


その言葉に、俺は背筋が寒くなった。


「マキャベリアからの労働者が増えているということですか?」


「可能性は高いわね」


宿に着くと、俺たちは部屋で打ち合わせを行った。カリアは地図を広げ、俺は椅子に座って話を聞く。彼女の真剣な表情が、ランプの灯りに照らされて凛々しく見える。


「テル、あなたの雷の剣の力を拡張する方法について、もう一度詳しく聞かせて」


俺は、これまで考えてきた計画を説明した。


「浅い沼地のような場所に銅線を張ることで、雷の力を広範囲に伝えることができると思うんです。恐らく、数十メートル四方に」


カリアの琥珀色の瞳が輝いた。彼女の唇に、かすかな笑みが浮かぶ。


「それは画期的ね。重装歩兵の密集陣形に対して、非常に有効な戦術になりうるわ」


「明朝、マキャベリア軍が進軍してくるルートの視察に行きましょう。地形を把握すれば、あなたのアイデアを実現できる場所が見つかるかもしれない」


---


翌朝、俺はカリアに連れられてモンクレール高地に登った。朝霧が立ち込める中、徐々に高度を上げていくと、やがてローレンティア全体が見渡せる場所に到達した。


「すごい眺めだ」


俺は思わず感嘆の声を上げた。丘に囲まれた盆地にローレンティアの街が広がり、その向こうには鉱山の煙突が立ち並んでいる。


「重装歩兵はあそこ、ヴァルドフェール低地を進んでくるでしょうね」


カリアが指さした先には、なだらかな低地が続いていた。朝日に照らされた彼女の横顔が、神々しく輝いている。


「機動性が低いので、最も歩きやすいルートを選ぶはず」


俺は地形を観察しながら言った。


「しかし、裏をかかれたら。例えば、丘を越えてきたら」


カリアは微笑んだ。その表情には、経験に裏打ちされた自信があった。琥珀色の瞳が、朝の光を受けて宝石のように輝く。


「子供と喧嘩をするときに、あなたは奇策を使うかしら?有利な方は正攻法で来るの。奇策を使わなければいけないのは私たちよ」


カリアは地図を取り出し、地形と照らし合わせながら説明を続けた。彼女の指先が地図の上を滑らかに動く。


「この低地、ヴァルドフェールに、丘の向こうのメルツ川から水を引くことで、あなたの言った浅い沼地のような場所を作ることができるでしょう。そこに銅線を張れば、雷の剣の力を最大限に活用できる」


俺は彼女の戦術的発想に感動した。カリアは単に勇敢なだけでなく、知略にも長けている。


その日は、俺の雷の力を拡張するための設備の建設準備で各所を回った。


まず、金属細工の工房。鉱山都市だけあって、金属加工技術は発達している。工房が並ぶ通りの一角で、俺たちは腕の良さそうな親方を見つけた。


「一続きの長い銅の紐を作れませんか?」


カリアが尋ねると、親方は首をかしげた。


「できるが、何のために?随分と変わった注文だな」


「クロイツベルク城の改修で、大規模な装飾を行うんです。その材料として必要なんです」


カリアの説明に、親方は納得したようだった。


次に、水路工事の依頼。土木工事を請け負う親方のもとを訪れ、メルツ川からヴァルドフェール低地への水路を掘るよう依頼した。


「ヴァルドフェールの低地を農地に変える計画なんです」


カリアの説明は自然で、親方は特に疑問を持たなかった。


最後に、銅線を低地に張る作業について。輸送業者のもとを訪れ、作業を依頼した。


「銅の長い紐を3本をヴァルドフェールに引き、一方の端は地中に埋め、もう一方は3本を1つに束ねてください。溝を掘って設置しても構いませんが、埋めないでください」


俺の詳細な指示に、業者は困惑したようだった。


「鉱物の探索に利用するんです」


カリアの補足説明で、業者も理解してくれた。


依頼が終わると夜になっていた。宿への帰り道、俺はカリアに感想を述べた。


「驚きました。目的をあんな風に説明するとは」


カリアは歩きながら答えた。夜風に栗色の髪がなびき、その姿は月光に照らされて幻想的だった。


「低地を沼にして長い銅線を引くなど、あまりにも突飛すぎて必ず噂になります。そうなれば、マキャベリアも警戒するでしょう」


彼女の思考に、俺は改めて感心した。


「バラバラの目的でバラバラに依頼すれば、リスクを減らせるのよ」


月明かりに照らされたローレンティアの街を見下ろしながら、俺は明日への準備が着々と進んでいることを実感していた。カリアの知略と俺の雷の剣。この組み合わせで、果たしてマキャベリアの脅威に対抗できるのか。


その答えは、近いうちに明らかになるだろう。



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