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第58話:小ジャンヌと「実家」

医務室を後にした俺は中庭へと向かった。雷の力を試してみるためだ。


鉄柵に目をつけた俺は、人気のない場所を選ぶ。夕暮れの光が斜めに差し込み、校舎の影が地面に長く伸びていた。腰のエミールの剣を鞘から抜き、その心地よい重みを感じながら静かに鉄柵に触れさせる。


次の瞬間、青白い光と轟音が響き渡り、激しい衝撃が俺の体を貫いた。腕が痺れ、剣を落としそうになる。周囲には煙が立ち込め、鉄柵は黒く焦げ、一部は歪んでいた。空気には焦げた金属の匂いが漂い、鼻をつく。10倍かどうかは分からないが、今までよりも格段に威力が上がっているのを肌で感じる。


「何をやっているの?」


声に振り返ると、セミロングの黒髪と華奢な肩を持つ少女が立っていた。薄茶色の瞳が細いフレームの眼鏡越しにこちらを見つめている。少ジャンヌだ。彼女の制服は完璧に整えられ、白いブラウスの襟元はきっちりと閉じられ、スカートのプリーツが夕日に照らされてかすかな影を作っていた。


「いや…放電を…」


俺は柵から離れ、中庭のベンチに座った。緊張から解放された体に疲労が押し寄せる。少ジャンヌも静かに隣に腰を下ろした。彼女のスカートが広がり、繊細な手首が夕陽に照らされて透き通るように見える。夕日を背にした彼女の姿は、まるで儚い影絵のような美しいシルエットを描いていた。


「それで、なにをしていたって?」


小ジャンヌに問いただされる。その真っ直ぐな視線には逃げ場がなく、気づけば俺は雷の剣の威力を増す方法について話していた。銅線を使って電気を遠くまで伝える計画、そしてローレンティア地方をめぐる条約と、危機の可能性について。少ジャンヌは静かに聞き入り、時折眼鏡を白い指先で軽く直しながら小さく頷いていた。


「ローレンティア...懐かしいわね」


少ジャンヌが静かにつぶやいた。彼女の薄茶色の瞳には遠い記憶が波紋のように広がっているようだった。普段の無表情とは違う、柔らかな表情に少し驚く。黒髪が彼女の頬をなでるように揺れ、その表情には珍しい感傷の色が浮かんでいた。


「子どもの頃、住んでいたの」


その言葉に、俺は思わず眉を上げた。少ジャンヌがローレンティアにいたなんて、これまで聞いたことはなかった。彼女の白い手がスカートの端を軽くつまみ、長い指先が布地をそっと撫でていた。その繊細な仕草に懐かしさへの思いが表れていた。


「父が亡くなってしばらく、母の実家があるローレンティアに住んでいたのよ」


少ジャンヌの声には珍しく感情が混じっていた。夕陽に照らされた彼女の横顔は、いつもの冷静さとは違う柔らかな表情で過去を語っていた。セミロングの黒髪が秋風に優しく揺れ、その瞬間だけ、彼女は普通の少女のように見えた。


「ローレンティアは静かで美しい場所だった。山と川に囲まれて、どこまでも広がる緑の丘。良い思い出しかないわ」


彼女は言葉を切り、細い指先で眼鏡を直す。夕日が彼女の横顔を照らし、その透き通るような肌に幻想的な光と影の模様を描いていた。俺は無理に聞き出すことはしなかった。思い出の中にいる彼女を邪魔したくなかった。


ふと、俺はカリアのことを思い出した。彼女がローレンティアに土地勘のある人を探していたこと。少ジャンヌがそこで育ったのなら、案内役には最適ではないか。しかし、そんなことを頼んでも良いものか迷う。彼女の静謐な時間を乱すようで、言葉が口から出てこなかった。


「何か言いたいことがあるなら、言ったらどう?黙って考え込んでいても何も始まらないわ」


少ジャンヌの鋭い洞察に、俺は驚いた。彼女の薄茶色の瞳は、常に人の心の奥を見透かしているようだ。その真っ直ぐな視線に、胸の内を見抜かれたような気がした。眼鏡の奥で輝く瞳は、夕暮れの光を反射して神秘的に光っていた。


「実は...」


俺は勇気を出して切り出した。言葉を探しながら、ベンチの端をつかむ手に力が入る。


「ローレンティア地方を案内してくれる人を探しているんだ。騎士団長と偵察に行くことになっていて、土地に詳しい人が必要なんだけど...」


言葉を続けずとも、少ジャンヌはすぐに理解したようだった。彼女はゆっくりと立ち上がり、夕日に照らされた校舎を見つめた。彼女の細い背中と黒髪のシルエットが、オレンジ色の夕焼けを背景に浮かび上がる。風が吹いて彼女のスカートが揺れる。


「いいわよ。私で良ければ」


彼女の答えは意外なほど素直だった。少ジャンヌは俺の方に向き直り、いつもの無表情に戻りながらも、僅かに口元を緩めた。


「ローレンティアには、私にとっての記憶が眠っている。久しぶりに訪れる機会を得たことに感謝するわ」


彼女の言葉に、俺はほっとした。少ジャンヌの協力が得られれば、ローレンティアでの任務はずっと円滑に進むだろう。しかし同時に、カリアと少ジャンヌと自分という奇妙な組み合わせの旅が、どのようなものになるのか想像もつかない。ただ、騎士団長の凛とした佇まいと、少ジャンヌの儚げな姿を並べてみると、不思議と相性が良いようにも思えた。


静かな中庭に夕陽が長い影を落とす中、二人は沈黙したまましばらく並んで座っていた。少ジャンヌの横顔が夕日に照らされ、その繊細な輪郭と白い肌が橙色の光に包まれていた。彼女がローレンティアに持つ記憶とはどんなものなのだろう。祖父母との暮らし、幼い頃の友達、初めての本との出会い...想像は広がるが、問うことはしなかった。


風が樹々の間を抜け、少ジャンヌの黒髪を優しく揺らした。枯葉が舞い上がり、二人の周りを静かに舞う。それは不思議と居心地の良い沈黙だった。


———


「それで、また旅行に行くの?今度は小ジャンヌと?」


エマの青い瞳が氷のように冷たく俺を見つめていた。その夜、俺たちの部屋で、近々ローレンティア地方にカリアと偵察に行くこと、小ジャンヌが同行することを話したところだった。白いナイトドレスの襟元を無意識に指先でつまむ彼女の仕草には隠しきれない不満が表れていた。


「旅行じゃなくて偵察だよ。それに、小ジャンヌとじゃなくて、カリア騎士団長と行くんだ。小ジャンヌは案内役だから」


俺は慌てて説明した。エマの視線の鋭さに、思わず言い訳がましくなる。彼女のまっすぐな眼差しには、どんな嘘も見抜かれそうな気がした。


「あなたは正直な人だと知っているけど、何か都合が良すぎる気がするわ」


エマは静かに言った。唇は小さく結ばれ、その白い指先が窓枠をそっと撫でていた。


「ジーナやミルじゃなくて、アンナと小ジャンヌなのね」


彼女の声には微かな皮肉が混じっていた。銀色の髪が肩で揺れ、その姿は月光に照らされて儚げに見えた。青い瞳には複雑な感情が宿る。


「いやそれ、本当に偶然だから」


俺は真剣に言った。確かにアンナはヘルメニカの案内人として一緒に旅をしたけど、小ジャンヌは偶然ローレンティアに詳しかっただけだ。それに、カリアが同行するのだから、何も問題はないはずだ。


「分かりました。お気を付けて、楽しい旅を。今度はぜひ、私の実家に『偵察』に来てくださいね」


エマは静かに言うと、ベッドに横になった。彼女の銀色の髪が枕に広がり、白いナイトドレスが月明かりに照らされて幻想的に輝く。長いまつげが下がり、青い瞳が閉じられる。その仕草には明らかな不満が込められていたが、彼女は何も言わずに寝てしまった。





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