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第53話:アンナと「恋愛」

日差しが眩しい王宮の中庭。俺はアテリア女王からの返信を受け取るため、午後の謁見の間で待っていた。


扉が開き、アテリア女王が入ってきた。昨日と同じく、金色の髪を自然に流し、紫水晶色の瞳が柔らかな朝の光を受けて神秘的に輝いている。彼女の純白のドレスには、花々や星座を思わせる芸術的な刺繍が施され、その佇まいの優雅さに息を呑む。


「おはよう、ナオテル」


アテリア女王は微笑みながら、従者から受け取った封書を俺に手渡した。姉であるテオリア女王への返信だ。封蝋で丁寧に封じられた手紙には、赤い紋章が鮮やかに刻印されていた。


「テオリア女王陛下への返書です」


「ありがとうございます」


俺は深く頭を下げ、従者から封書を大切に受け取った。アテリア女王の表情が柔らかくなる。


「さて、シルバーマインでの時間はいかがでしたか?お友達には、どこを案内してもらいましたか?」


「市場や港、それから古い町並みやカフェにも連れて行ってもらいました」


アテリア女王はにっこりと微笑み、その表情はより柔らかくなった。


「カフェって、『ホスト・ウント・ヴェルト』かしら。良いお友達ですね」


俺は驚いて瞳を見開いた。


「どうしてそれを?」


「実は私のお気に入りの隠れ家なのです」


アテリア女王は親しげに説明した。


「姉上によろしくお伝えください。また機会があれば、ぜひシルバーマインを訪れてくださいね」


俺はもう一度深く頭を下げ、王宮を後にした。封書を大切にしまいながら、任務の達成感と、この美しい国を離れる名残惜しさが入り混じる複雑な感情を覚えた。


——————


翌朝、俺とアンナは馬車でシルバーマインを離れようとしていた。朝霧が街を優しく包み込み、馬車の窓から見える景色が幻想的な水彩画のように映る。アンナは深い緑と茶色の刺繍が施された別の民族調のワンピースを着ていた。彼女の金褐色の髪が朝日を受けて琥珀色に輝き、緑色の瞳には旅の期待と少しの名残惜しさが混じっていた。


「実家はどうだった?」


馬車が心地よく揺れる中、静かな時間が流れるのを感じながら俺は尋ねた。


「すごく楽しかったわよ。久しぶりに家族と過ごせて心が満たされたわ」


アンナの声は柔らかく、彼女は窓の外を見つめながら幸せそうに微笑んでいた。朝の光が彼女の横顔を照らし、その表情に懐かしさと温もりを浮かび上がらせる。


「アンナのところは、どんな家族なの?」


アンナは俺の方に向き直り、膝の上に広げていたスケッチブックを閉じた。


「父は法律の仕事をしていて、真面目で厳格な人よ。でも、いつも家族を一番に考えてくれるわ。母は主婦だけど、芸術の才能に溢れた人なの。子供の頃から様々な物語を聞かせてくれた」


アンナの表情が柔らかくなり、まるで遠い記憶の中に戻ったかのように見えた。彼女の頬がほんのり赤く染まり、長いまつげの下の瞳が優しい光を帯びる。


「私は母に似ているってよく言われるの。活発な性格とか、芸術への情熱とか。それから妹がいるのよ。とても仲がいいの」


「良い家族なんだね」


温かな家族に囲まれたアンナの子供時代が想像できた。


アンナは柔らかく頷き、少し物思いにふける表情になる。


「まあ、いろいろあるんだけどね。でも、いつか私もこんな家庭を作りたいと思ってる」


そして突然、アンナは身を乗り出してきた。金褐色の髪が前に垂れ、彼女の緑色の瞳が真剣な光を宿していた。


「良い機会だから聞いておくけど、テルはエマとどういう関係なの?エマのこと、どう思っているの?」


唐突な質問に、俺は言葉に詰まった。エマとの関係?それは...


「エマは俺を助けてくれた人だよ。最初にフィロソフィアに来た時に助けてもらって、それから色々あって、同じ部屋に住むことになったんだ」


アンナは納得していない様子で、さらに身を乗り出してきた。ワンピースの胸元の星の刺繍が光を受けて輝く。


「それだけ? 特別な感情はないの?」


彼女は少し声を落として続けた。


「恋をしている時って、その人のことを見るだけで心が躍るでしょう?その人の声を聞くだけで幸せになって、傍にいるだけで安心するの。その人のために何かしたいって思うし、喜ぶ顔が見たくなるわ。そういう気持ち...ないの?」


アンナの言葉に、俺は返答に困った。確かにエマへのそういう気持ちはある。彼女の笑顔を見るとうれしくなるし、そばにいると心が落ち着く。でも、それをここでアンナに言うべきなのか...


俺の沈黙を見て、アンナは小さく笑った。その笑顔には少しの悪戯心と、何か諦めたような色が混じっていた。彼女の首筋が柔らかな朝の光に照らされ、肌の透明感が際立っていた。


「返事がないということは、はっきりしない関係ってことでいいわよね」


彼女は窓から差し込む光に顔を向け、しばらく沈黙した。


突然、彼女は言った。


「まあ、あなたがたとえエマの婚約者でも、私にとっては恋愛の障害にならないけどね」


「え? どういうこと?」


俺は驚いて聞き返した。アンナは窓の外を見つめながら、少し物思いにふける表情で語り始めた。彼女の横顔が朝日に照らされる。


「恋愛は自然の力よ。意思でコントロールできるものじゃない。風が吹くように、川が流れるように、心は自然に動くもの。あるのは心の動き、そしてそれに従うか従わないかの選択だけ」


アンナの声色が変わり、まるで詩を朗読するかのような響きになった。彼女の背筋が伸び、手の動きが表現豊かになる。


「迷わず、愛せよ。永遠でなくても。一瞬でも真実なら」


彼女の緑色の瞳には深い情熱が宿り、金褐色の髪が朝日で輝いていた。その表情には、まるで神聖な真理を語るような崇高さがあった。


「愛は自然の流れの中で起こるもの。計画できないし、理屈では説明できない。禁じられた相手を愛してしまうこともあるし、同時に二人を愛してしまうこともある。それが人間の心というものなの」


「アンナらしいね、その考え方」


俺は小さく笑った。アンナの自由奔放な性格と、彼女の恋愛観には見事な一貫性があった。


「人ごとね」


ワンピースの袖を軽く引っ張りながら、彼女は俺を見つめた。


「テル、あなたは素晴らしい人だと思うけど、時折、度を超して間が抜けているわね」


その言葉に、俺は愛想笑いをして誤魔化した。


馬車の中で、俺とアンナは色々な話をした。山道を進む馬車の揺れに身を任せていると、いつの間にか日が落ち始めていた。峠を越え、夜を過ごすために岩場に停まった馬車の中で、アンナは静かに俺の肩にもたれかかった。彼女の髪からはかすかなバラの香りがして、温かな体温が心地よく伝わってくる。


「眠らないと、明日はテオリア女王に謁見でしょ」


彼女はそう囁くと、すぐに寝息を立て始めた。その寝顔は穏やかで、まるで森の精のように自然で美しかった。俺は、なかなか眠りにつけなかった。


——————



「テル、起きて。もう着くわよ」


優しい声と肩を揺さぶる感触で目が覚めた。朝の光が馬車の中に差し込み、アンナの顔が目の前にあった。彼女の緑色の瞳が朝日を受けて宝石のように輝き、金褐色の髪が肩に滝のように流れていた。


「もうクロイツベルクよ。ほら、見て」


窓の外には、見慣れたフィロソフィアの首都の景色が広がっていた。白亜の建物が朝日に照らされ、街全体が銀色に輝いている。いつの間にか眠ってしまっていたようだった。


「テルは私にもたれかかって眠るんだから、まったく困ったものね」


アンナはそう言いながらも、少し照れたように頬を染め、顔を背けた。


馬車が王宮の前で止まった。石畳の道が朝の光に照らされ、王宮の尖塔が空に向かって伸びている。


「私は学院まで歩いて行くわ。また明日ね」


アンナは小さく手を振り、馬車から軽やかに降りていった。彼女のワンピースのスカートが風になびき、その後ろ姿は朝の光の中に溶けていくようだった。俺は彼女を見送った後、懐の封書を確認し、王宮に向かった。


---


「ご苦労様でした、ナオテル」


テオリア女王の紫水晶の瞳が、俺を温かく迎えた。彼女の金色の髪はしっかりと結われ、純白のドレスは朝の光を受けて神々しく輝いていた。ドレスの袖元にはわずかに青い刺繍が施され、その気品ある佇まいは厳格さと優雅さを見事に調和させていた。


「こちらが、アテリア女王からの返書です」


俺が従者に手渡した封書を受け取り、女王は静かに開いた。彼女の細い指先が封蝋を丁寧に割り、手紙を広げる。テオリア女王はそれを読みながら静かにうなづいた。その表情に安堵の色が浮かぶ。


「任務を見事に果たしてくれましたね」


女王の穏やかな笑顔に、俺は緊張が解けるのを感じた。


「ところで、ヘルメニカの印象はいかがでしたか?」


「とても活気があって、色彩豊かでした。多様な人々が行き交い、芸術と文化に溢れていて、フィロソフィアとは違う魅力があると感じました」


テオリア女王は満足げに頷いた。彼女の表情は柔らかくなり、まるで遠い記憶を思い出しているかのようだった。窓から差し込む光が彼女の横顔を照らし、その美しさを際立たせる。


「正しい観察ですね。もちろん、妹の個人的な考え方も影響していますが、地理的な環境も大きく関わっているのです」


女王は優雅に立ち上がり、窓辺に歩み寄った。ドレスの裾が床を滑るように動き、その姿は絵画のように美しかった。


「ヘルメニカは南に位置し、温暖な気候に恵まれています。港に面していて、異国との往来が多く、海産物も豊富に採れる。人々は比較的楽に暮らせるため、芸術に時間を費やせるのです」


彼女は遠くを見つめながら続けた。


「一方、フィロソフィアは北に位置し、冬は厳しく、海にも面していません。外部との交流は限られているため多様性は小さいですが、よく言えばまとまりがある国です。厳しい環境が人々をより勤勉にし、論理的思考を重視する文化を育んだのでしょう」


女王の言葉には不思議な力があった。地理と文化の関係を簡潔に説明する彼女の知性に、俺は感銘を受けた。


「それぞれの国が自分たちの環境に適応した結果なのです。私たちは互いの違いを認め合い、尊重することが大切だと思います」


俺は深く頷いた。


ーーー


午後、俺はカリアのもとを訪れた。彼女は訓練場で剣の手入れをしていた。栗色の髪を一つに結び、琥珀色の瞳が俺を見つけると、彼女は立ち上がって迎えた。彼女の鎧は午後の光を受けて輝き、その佇まいには凛とした美しさがあった。


「無事に戻られましたね」


「はい、任務を果たしてきました。それで、雷の剣のことなんですが、解決策が見えてきました」


俺はカリアに「銅線」の話をした。雷の力を効率的に伝える方法として、銅線が必要だと詳しく説明する。カリアはそれを真剣に聞き、頷いた。


「それはすばらしい発見です。早速、手配しましょう」


彼女は一瞬考えた後、続けた。その表情が少し引き締まる。


「帰ったばかりで申し訳ないのですが、近々、ローレンティアに視察、正確には偵察に、行くことになっています。同行していただけませんか?あの地方に詳しい人間がいればより心強いのですが...」


「もちろんです。喜んで」


俺は迷わず答えた。カリアの表情に安堵の色が浮かぶ。彼女の口元に柔らかな笑みが広がり、普段の厳格さが和らいだ。


「ありがとうございます。準備ができたら連絡します」


王宮の石畳を歩きながら、俺はアンナの言葉を思い出していた。アンナとの会話、二つの国の違い。全てが頭の中で混ざり合い、複雑な感情を生み出していた。夕暮れの空は美しく染まり、その色彩の豊かさはまるでヘルメニカの風景を思わせた。


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