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第50話:アンナと「旅」

夕暮れの王宮は、石垣に沈む陽光に赤く照らされていた。謁見の間に呼ばれた俺は、テオリア女王の前に姿勢を正して立っていた。金色の髪を優雅に結い上げた女王の紫水晶の瞳は、いつになく真剣な色を宿していた。


「ナオテル・イフォンシス・デカペンテ」


女王が静かに俺の名を呼んだ。彼女の純白のドレスは夕日に照らされて淡い桃色に染まり、その威厳ある姿には王国の未来を託された重責が感じられた。


「陛下、お呼びでしょうか」


俺は深く頭を下げた。腰の剣が、僅かに床に触れ、小さな音を立てる。


「実は、あなたにお願いしたいことがあります」


テオリア女王の声は柔らかいが、その中には揺るぎない決意が込められていた。彼女の指先が、側に置かれた小さな箱を示す。


「ヘルメニカに使者として行ってほしいのです」


「ヘルメニカに?」


思わず声が上ずる。南の国ヘルメニカは、アンナの故郷だ。


女王は頷き、窓の外に目をやった。夕暮れの空には、遠い国への思いが映っているかのようだった。


「実は、私の妹アテリアがヘルメニカの王室に嫁いでいるのです。マキャベリアとの情勢が不安定な今、もし何かあった場合に味方になってもらうよう、手紙を渡してほしいのです」


女王はそう言って、側の小箱から封蝋で封じられた手紙を取り出した。紅の紋章が押された重厚な封筒は、その内容の重要性を物語っているようだった。


「わかりました。お引き受けします」


俺は迷わず返事をした。女王の紫水晶の瞳に、安堵の色が浮かぶ。


「アテリアに会い、返事を待って戻ってきてください」


女王の言葉に頷きながら、俺は考えていた。ヘルメニカ。アンナの国。誰か案内人がいれば心強いのだが──


---


「テル!」


翌日、学院の廊下を歩いていると、突然背後から声がかかった。振り返ると、セミロングの金褐色の髪を揺らし、アンナが駆けてきた。彼女の緑色の瞳は木漏れ日のように明るく、健康的な肌が学院の白壁に映える。


「久しぶり!」


アンナは笑顔で近づくと、俺の前で立ち止まった。彼女の胸元の赤青の花の刺繍が、制服の白さの中で鮮やかに輝いている。


「3日ぶり?」


俺がからかうように言うと、アンナは鼻を鳴らして笑った。


「あら、ちゃんと数えてたのね。私のこと、そんなに気にかけてくれてたんだ」


彼女の言葉に、俺は思わず頭を掻いた。確かにその通りだ。


「明日から一週間ほど、ヘルメニカに行くことになったんだ」


その言葉に、アンナの緑色の瞳が驚きで大きく見開かれた。


「ヘルメニカに? どうして?」


「王宮の使いで。ちょっとした用事だよ」


詳細は話せないが、最低限の説明をすると、アンナは興奮した様子で身を乗り出してきた。金褐色の髪が肩で踊るように揺れる。


「わぁ、素敵ね!私の国よ!どこに行くの?」


「首都のシルバーマイン」


「私の故郷じゃない!本当に? それは素晴らしいわ!」


アンナの顔に純粋な喜びが広がった。彼女はまるで故郷を懐かしむ旅人のように、遠くを見つめる。


「何か、アドバイスとかあるかな?行ったことないから」


アンナは考え込むように指を頬に当てた。


「そうねぇ、まずはホルツ山脈を越えていくから、暖かい服を持っていったほうがいいわね。山の上は寒いから」


「なるほど」


俺はアンナのアドバイスをしっかりと心に留めた。まだ他にも聞きたいことが山ほどあるが、それはまた後で。


「じゃあ、またね。準備があるから」


「ええ、素敵な旅になるといいわね」


アンナはそう言って、手を振りながら廊下の奥へと消えていった。彼女の後ろ姿を見送りながら、俺は山脈を越える旅への期待と不安が胸の中で入り混じるのを感じた。


—————


夕方、帰宅すると、エマが本を読みながら俺を待っていた。彼女の銀色の髪は窓からの夕日に照らされて輝き、青い瞳は真剣に本のページを追っている。俺が部屋に入ると、彼女はすぐに顔を上げた。


「テル、おかえりなさい」


「ただいま」


俺は少し疲れた様子で椅子に腰掛けた。エマは本を閉じ、俺をまっすぐに見つめてきた。


「明日から一週間ほど、旅に出ることになったよ」


エマの青い瞳に、一瞬驚きの色が浮かぶ。彼女は銀色の髪を耳にかけると、少し身を乗り出した。


「一週間も? どこへ?」


「ヘルメニカだよ。テオリア女王からの依頼で」


俺の言葉に、エマの表情が少し曇った。彼女は静かに手を組み、何かを言いたげな表情を浮かべている。


「心配しないで。正確には、往復2日ずつ、滞在二日の6日の旅だから」


俺は明るく言ったが、エマの心配そうな表情は変わらなかった。彼女は窓の外を見つめながら、小さな声で言った。


「でも...ホルツ山脈を越えるのでしょう?この季節は気候が安定しないと聞きます」


「大丈夫だよ。馬車も用意されてるし、しっかり準備していくから」


エマはようやく微笑んだが、その青い瞳にはまだ心配の色が残っていた。


「気をつけてくださいね」


俺は胸が温かくなるのを感じながら、頷いた。


—————


翌朝、霧の立ち込める朝。俺とエマは部屋の前に立っていた。


「一週間、いや、6日間ですね」


エマの青い瞳には名残惜しさが浮かんでいた。銀色の髪が朝の光を受けて神秘的に輝いている。


「ああ。すぐ戻るよ。珍しいものがあったら、買ってくるから」


エマはようやく微笑み、小さく頷いた。


「では、どうか気をつけて。行ってらっしゃい」


そう言うと、エマは学院への道を歩き始めた。俺は彼女の後ろ姿を見送りながら、王宮から迎えの馬車を待っていた。エマの姿が徐々に小さくなっていく。


エマが見えなくなってしばらくすると、王宮からの馬車が到着した。俺は中へと乗り込んだ。


「じゃ、出発よ!」


突然、馬車の中から明るい声が聞こえた。振り返ると、向かいの席に──


「アンナ!?」


そこにはアンナが座っていた。彼女は制服ではなく、緑と茶色の刺繍が施された民族調のワンピース姿で、スケッチブックを膝に乗せ、楽しげな表情を浮かべていた。


「どうして君がここに!?」


俺は驚きのあまり声が上ずった。アンナはくすくすと笑いながら言った。


「知らない国に行くんだから、道案内や通訳が必要でしょう?」


「でも、学校は?」


アンナは肩をすくめ、窓の外を見つめた。彼女の横顔に朝日が当たり、金褐色の髪が光の中で揺れている。


「学校よりも『旅』のほうが学ぶことが多いのよ」


彼女の声には、まるで自然の理を語るような確信があった。確かに、一人で行くのは心細く思っていたし、ヘルメニカの事情に詳しいアンナがいるのはとても心強い。


「そうか...まあ、助かるよ。ありがとう」


アンナは満足そうに微笑み、スケッチブックを開いた。馬車は街を抜け、次第に森の中へと入っていく。


朝から昼、昼から夕方へと時間が過ぎていく中、俺は驚きの目でアンナを観察していた。彼女は馬車の中で眠ったりはしない。外をずっと眺めて、絵を描いたり文章を書いたりしている。森の中を峠に向かっていく道中、彼女の手は止まることなく動き続けていた。


好奇心に負け、俺は彼女の書いているものをのぞき込んだ。


「森の上に霧が横たわり、松の木々はうなだれている」


そこには詩のような一文が書かれていた。まるで目の前の景色の魂を捉えたような言葉に、俺は息を呑んだ。


「すごいね、この表現」


アンナは照れたように微笑んだ。彼女の緑色の瞳には、外の風景が映り込んでいた。


「私たちは目で見るだけじゃなく、心で感じないと、本当の美しさは捉えられないの」


彼女の言葉には深い知恵が感じられた。俺は思わず頷いていた。


「今日中に峠を越えて、少し下った場所にある岩の間で夜を過ごすのが良いわ。風も避けられるし」


アンナのアドバイスに従って馬車は進む。日が沈み始める頃、ようやく峠の頂上に到達し、アンナの言った岩場に着いた。岩の壁が天然の風避けになっていて、馬車の中で過ごすには絶好の場所だった。


「すごいな。よく知ってるね」


「この道は何度も通ったから。ヘルメニカとフィロソフィアを行き来するには、ここを通るしかないの」


アンナの言葉に、俺は彼女の旅人としての一面を垣間見た気がした。


夜、馬車の中で過ごすことになった。小さな灯りを頼りに、俺とアンナは向かい合って座っていた。静かな夜の中、山の風だけが馬車を優しく揺らしている。


「ねえ、テル」


アンナの声が暗闇の中で柔らかく響いた。彼女の輪郭は灯りに照らされて、幻想的に浮かび上がっている。


「何?」


「何をしにヘルメニカへ行くの?」


アンナの真っ直ぐな問いかけに、俺は少し戸惑った。テオリア女王からの使命は、あまり詳しく話すべきではないのだろう。しかし、アンナの緑色の瞳には純粋な好奇心だけが浮かんでいた。


「王宮からの使いなんだ。詳しくは言えないけど」


アンナは小さく頷き、それ以上は追求しなかった。彼女は俺の肩に頭を預けて眠り始めた。金褐色の髪が俺の肩に触れ、かすかなバラの香りが漂ってくる。肩に感じる彼女の重さが不思議と心地よく感じられた。


「明日はシルバーマインに着くわ。良い街よ。楽しみにしてて」


彼女の囁きが耳元で聞こえ、俺は静かに微笑んだ。山の静けさの中、二人は眠りについた。


---


翌朝、再び旅を再開した。峠を下り始めると、風景が一変する。針葉樹に代わって広葉樹が増え、空気も次第に暖かくなってきた。馬車の窓からは、遠くに広がる平野と、その向こうにきらめく何かが見えてきた。


「あれは...海?」


俺が尋ねると、アンナは微笑んで首を横に振った。


「川よ。大きな川だから、海から船が上ってくるの」


そして昼過ぎ、馬車はついにヘルメニカの首都、シルバーマインに到着した。街の入り口では、多様な衣装を身にまとった人々が行き交い、色とりどりの旗が風に揺れていた。フィロソフィアには見られない活気と色彩が街全体を包んでいる。


「すごい...フィロソフィアとは全然違う」


俺の言葉に、アンナは誇らしげに胸を張った。


「でしょう?ここは理性だけじゃなく、感情も大切にする国なの。それに、海からいろんな国の人が来るから、多様性に富んでるのよ」


確かに街には様々な肌の色の人々や、珍しい服装の人々が行き交い、市場では見たこともない果物や織物が売られていた。空気そのものが活気に満ちているような感覚だった。


「王宮に行くのは明日でしょ?」


アンナが俺の腕を軽く引っ張った。彼女の緑色の瞳は期待に輝いていた。


「今日は私が街を案内してあげる」


俺はテオリア女王からの使命を思い出したが、確かに王宮へは明日行く予定だった。アンナの嬉しそうな表情を見て、俺は頷いた。


「ありがとう。ぜひ案内してくれ」


アンナの笑顔が一層明るくなり、彼女は俺の手を取った。手のひらから伝わる彼女の体温が、不思議と心地よい。


「じゃあ、行きましょう!」


アンナに導かれて、俺たちはシルバーマインの色彩豊かな街へと歩き出した。港から漂う潮の香り、市場の喧騒、カフェから流れる音楽──すべてが新鮮だった。


太陽が西に傾き始めたとき、アンナは少し寂しそうな表情になった。


「今日は実家に帰るわ。次は..明後日?また会いましょう」


「そうだね。明日は一日王宮だから。ありがとう。今日は楽しかったよ」


俺の言葉に、アンナは嬉しそうに微笑んだ。彼女の金褐色の髪が夕日に照らされて、まるで炎のように輝いている。


「王宮、緊張しないでね」


そう言って、アンナは小さく手を振り、夕暮れの街の中へと消えていった。彼女の後ろ姿を見送りながら、俺は今日の出来事と、明日の使命に思いを馳せた。


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