表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

48/98

第46話:続・ルーシーと「国際条約」

ルーシーの紺碧の瞳には明らかな警戒の色が宿っていた。深紅のリボンが胸元で微かに震え、緊張の様子が伝わってくる。


「私が見る限り、この条約には、問題を起こす可能性を秘めた文言が二つあります」


彼女の冷静な声が部屋に響き、一同の手が止まった。


「それは、どういうことですか?」


エマが不安そうに尋ねた。銀色の髪が揺れる彼女の青い瞳には心配の色が浮かび、再び条約文に目を落とした。


「まず、第14条にあるローレンティア地方政府に認められる『高度な自治』の内容があいまいです。高度、とはどの程度の自治を指すのか、条文中には明確な定義がありません」


ルーシーは条約文の該当ページを指し示した。鋭い眼差しで文面を見つめながら続ける。


「次に、第31条の理事会によるローレンティア地方政府への『助言』。助言は相手を強制できないので、理事会はローレンティア地方政府が決めたことを覆せないことになります」


エマは条約文をめくりながら、微笑んだ。楽観的な表情で言葉を返す。


「でも、これは外交的な配慮の結果でしょう。実際にはそれほど問題にはならないと思うわ。きっと、細かいところまで決めすぎると、かえって硬直化してしまうから、柔軟性を持たせたんじゃないかしら」


ミルも軽やかに頷き、同意の意を示した。


「それに、マキャベリアは既に条約に署名している訳だし、条文を逆手にとって、わざわざ問題を起こすとは思えない。彼らだって、損をするだけだし」


ルーシーは微かに眉を寄せたが、それ以上は何も言わなかった。依然として懸念の色が残る瞳と、肩に沿って流れ落ちる漆黒の髪が、何かを見通す預言者のような神秘的な雰囲気を醸し出していた。


「まあ、いずれにせよ一度は平和が訪れたということだから、今日はよしとしよう」


俺が言うと、皆は再び作業に戻った。ただ、ルーシーの表情がずっと気になっていた。ペンを持つ手に宿る微かな震えと、深い思索を湛えた瞳からは不安が読み取れる。


作業が終わった後、ルーシーは最後まで生徒会室に残っていた。慎重に条約文の各条項に目を通し、何かをメモしている彼女の漆黒の髪を窓からの夕陽が赤く染め、美しくも物思わしげな姿を浮かび上がらせていた。


「ルーシー、まだ気になっているの?」


「はい。第14条と第31条のあいまいさは、将来的に問題になる可能性が高いです」


彼女の静かな声には強い確信が込められていた。条約文から離れない眼差しと、伏し目がちな表情がその真剣さを物語る。


「そうか...」


俺はしばらく考えてから言った。


「その懸念、テオリア女王に伝えてみようか」


ルーシーは静かに頷いた。優雅に揺れる髪の下、表情にはわずかな安堵の色が見える。


「お願いします。私の懸念は杞憂であってほしいと思いますが」


---


翌日、俺は再び王宮の謁見の間に立っていた。テオリア女王は俺の報告に耳を傾け、次第に表情を引き締めていった。純白のドレスと優雅に肩に流れる金色の髪が、凛とした姿勢を一層引き立たせている。


「なるほど...ルーシーさんが『高度な自治』と『助言』の文言に懸念を持ったのですね」


「はい。彼女は言語に関して特別な能力を持っていますので」


「すぐにクラウス卿とエピカリア騎士団長を呼びなさい」


女王は侍従に命じた。優雅に動く指先と鋭い光を宿した紫水晶の瞳からは、緊迫感が漂う。


数分後、クラウス卿とカリアが謁見の間に入ってきた。白髪交じりの髭を生やした老外交官の顔には、幾多の交渉経験を物語る深い刻みがあった。やや前かがみの姿勢からは長年の労苦が感じられる。


一方のカリアは背筋をピンと伸ばし、凛とした光を放つ琥珀色の瞳と一つに束ねられた深い栗色の髪が、自然な威厳を醸し出していた。


「陛下、お呼びでしょうか」


クラウス卿の柔らかな声には女王への敬意が込められていた。


「クラウス卿、フォルスク条約のローレンティアの『高度な自治』と理事会の『助言』の文言について説明してください」


女王の質問に、クラウス卿は一瞬驚いたように見えたが、すぐに落ち着いた様子で答えた。僅かに震える両手を組みながら話し始める。


「陛下、その二点については、実は交渉でも問題になりました。マキャベリア側は、重要な争点のいくつかで意外な譲歩をしましたが、その二点については終始強硬でした。彼らの交渉団は首都のヴァーグナー卿に何度かお伺いをたてましたが、卿は『ローレンティアの中立性の確保には高度な自治が必要』と主張し続けました」


少し息を整えてから続けるクラウス卿には、長い交渉による疲労の色が浮かんでいる。


「我々は『高度な自治』の具体的な範囲を明記することを何度も提案しましたが、彼らは『自治の内容は条文ではなく現実に沿って決めるべき』と返してきました。また、理事会の権限についても、『助言』ではなく『承認』という言葉を使うよう提案しましたが、『それでは理事会内が対立すれば何も決められなくなる』として強く拒否されました」


「それで最終的には?」


テオリア女王の声には緊張が混じり、鋭く光る瞳と僅かに震える指先からは、国の命運を預かる者の重責が伝わってくる。


「最後には『高度な自治』『助言』の文言が入らなければ交渉を打ち切ると彼らは伝えてきました。マキャベリア側は『もし合意に至らなければ、我々は別の手段でローレンティアの安全を確保せざるを得ない』と暗に軍事行動を示唆したのです」


女王は深く考え込んだ。肩を滑る金色の髪の下に苦悩の色が浮かぶ。


「クラウス卿、これらの文言が具体的にどのような危険性を持ちうるか、聞かせてください」


クラウス卿は思案するように眉を寄せた。しばらくの沈黙の後、言葉を選びながら話し始める。


「例えば、『高度な自治』に治安の維持や軍事的な事柄が含まれると解釈した場合。ローレンティア地方政府は地理的に近いことを理由に、治安維持のためにマキャベリア軍に支援を求める可能性があります」


テオリア女王が息を飲む。純白のドレスの裾を僅かに掴む白い指先と驚きの色が浮かぶ瞳に、その衝撃が表れている。


「それではマキャベリアによる軍事的な併合とほとんど同じでは...」


「おっしゃる通りです」


クラウス卿は重々しく頷いた。深い憂いの色を浮かべながら続ける。


「そして、その決定に対して、4カ国の代表から成る理事会は助言しかできません。悪いことに、マキャベリアの理事は『マキャベリアへの軍事支援要請は望ましくない』という理事会の助言に形だけ賛成することで、それが自国の意思ではなく、あくまでもローレンティア地方政府の意思だという形を作れるのです」


女王は沈黙の中、窓の外を見つめた。緊張に引き締まった横顔と光を受けて神々しく輝く金色の髪が、王としての威厳を感じさせる。やがて、カリアのほうに向き直った。


「カリア、あくまで現段階では可能性ですが、それに備えておいてください」


カリアは深く頭を下げた。決意の色を浮かべた琥珀色の瞳と、首筋に沿って揺れる深い栗色の髪、鎧の触れ合う僅かな音が緊張感を高めている。


「御意にございます。ローレンティア地方への監視を強化するとともに、不測の事態に備えます」


女王は再び俺に向き直り、微笑んだ。感謝と信頼を浮かべた表情と温かな光を宿す瞳に包まれる。


「ナオテル、王立学院の生徒たち、特にルーシーさんの鋭い洞察に感謝します。彼女の言葉に対する感覚は本当に素晴らしいですね」


俺は深く頭を下げた。


「ルーシーに伝えておきます」


夕陽を背に王宮を後にする俺の長い影が、地面に落ちていた。マキャベリアとの平和は、まだ完全には訪れていないのかもしれない。大丈夫なのか、この国の未来は——そんな不安が胸をよぎった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こちらは「完全版」です。 「ライト版・挿絵入り」はこちら
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ