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第36話:テルと「戦闘」

新学期が始まるその日は、マキャベリアとの合同訓練の日でもあった。


朝日が窓から差し込み、俺の顔を優しく照らす。すっと起き上がり、床に足をつける。今日、俺は雷の剣の使い手として、フィロソフィア王国の代表として戦わなければならない。


「おはよう」


背後からエマの声がする。振り返ると、彼女はすでに起き上がり、銀色の髪を丁寧に櫛で梳かしていた。朝の光に照らされた彼女の髪は水銀のように輝き、青い瞳には心配と期待が入り混じっているのがわかる。


「おはよう、エマ。よく眠れた?」


「…そうね。あなたこそ、大丈夫?」


エマの問いかけに、軽く頷く。実は、正直に言えば緊張で昨夜はあまり眠れなかった。だが、彼女もあまり眠れていない様子を俺は感じていた。少し青白い顔色と、いつもより深い眼の下の影がそれを物語っていた。


「大丈夫だよ。ちゃんと準備はしてきたし」


朝食を済ませ、出発の準備をする。俺は衛兵としての革の胸当てを着け、ベルトを締める。腰にはエミールの剣。その重みが、どこか心強く感じられた。


エマは制服に着替え、銀色の髪を一つに結い上げていた。新学期の始まりの日。彼女の姿は凛として美しく、理性の国の少女の象徴のようだった。きっちりと整えられた襟元と、しわ一つないスカートが、彼女の几帳面な性格を表している。


「テル、無事で帰ってきてね」


エマがそう言った。彼女の声には、普段の冷静さではなく、わずかな不安が混じっていた。銀色の髪が朝の光を受けて輝き、その表情には不安の色が浮かんでいる。長いまつげの下から覗く青い瞳は、いつもの鋭さを失い、少し潤んでいるようにも見えた。


「もちろん。心配ないよ。エマも新学期、がんばって」


俺は不安を隠すように、明るく微笑む。


「これ…」


エマが俺に何かを差し出した。よく見ると、革製の剣帯だ。茶色の革は薄いが丈夫で、細かな縫い目が美しく、熟練の職人の手による逸品だとわかる。表面には繊細な模様が施され、触れるだけでその上質さがわかった。


「どうしたの? これ」


「実家の父に頼んで作ってもらったの」


エマの声には少し照れがあった。銀色の髪が頬を隠すように揺れ、青い瞳は俺からそらされている。彼女の白い指先が剣帯の縁を無意識に撫でる仕草には、言葉にできない感情が込められているようだった。


新しい剣帯を手にとり、改めて鮮やかな縫い目と柔らかな質感に感嘆する。現在使っている剣帯よりも、明らかに上質だ。今の剣帯だとエミールの剣とあっていなくて収まりが悪いのを、彼女はちゃんと見抜いていた。


「ありがとう」


俺は心からの感謝を込めて言った。エマの気遣いに胸が温かくなる。


「前の戦争の時、父が作った馬具を使っていた人は、みんな帰ってきたわ。だから、あなたもきっと帰ってくる」


エマの言葉には祈りが込められていた。彼女は不安を抑えようと努力している。長いまつげの下の瞳には、必死に冷静さを保とうとする意志が見える。彼女の細い指がスカートの裾を無意識に握りしめ、その動きには抑えきれない感情が表れていた。


「それは心強いね」


俺は笑顔で応えたが、内心は不安が渦巻いていた。本当に俺でいいのか。「雷の剣」なんて特殊能力があるとはいえ、剣の素人が国を代表して戦うなんて。


「それじゃあ、先に出るわ」


エマはそう言って、ドアに向かう。銀色の髪が肩で揺れ、彼女の後ろ姿は凛としていた。歩くたびに揺れるスカートのプリーツが、朝日に照らされて美しい影を作り出していた。


「じゃあ、また。多分、遅くなるけど、きっと、帰ってくるから」


俺の言葉に、エマが振り返った。彼女の唇が小さく開き、何か言いかけたが、結局は小さく頷くだけだった。青い瞳には不安の色が残り、表情はそれを隠そうと精一杯だった。


---


王宮からの迎えの馬車は予定通り午前8時に到着した。石畳の道を進む馬車の揺れに身を任せ、俺は窓から見える風景に目を向けた。街の人々が平和に行き交う姿、理性の国で日常を送る彼らの表情。この平和を守るために、俺は戦わなければならないのだ。


王宮に到着すると、カリアとフィロソフィアの騎士団の人々が俺を出迎えた。整然と並ぶ騎士団の姿に、責任の重さを実感して緊張が高まる。腰に下げたエマからもらった新しい剣帯を触ると、少しだけ心が落ち着いた。


合同訓練は日中ずっと続いた。


男女混合のフィロソフィア騎士団に対し、マキャベリア騎士団は男性のみ、精鋭だけあって、体格も二回りぐらい大きい。体力的にも、技量的にも上に感じられる。汗まみれになりながら、俺は必死に訓練についていく。夏休みの練習がなければ、とてもではないが耐えられなかっただろう。


フィロソフィアの騎士たちは規律正しく、常に相手への配慮を忘れなかった。一方、マキャベリア側には訓練中にも危険な行為が目に付く。足を払ったり、急所を突いてきたり。そこに彼らの戦いへの姿勢が現れていた。


マキャベリアの騎士たちの怒声が訓練場に響き渡る。彼らの顔つきは荒々しく、眼差しには闘争心が満ちていた。筋肉隆々とした体に汗が光り、その動きは獲物を狙う猛獣のようだった。対照的に、フィロソフィアの騎士たちは精悍な表情で、冷静な動きで対応していた。


夕刻が近づき、合同訓練が終わる。訓練自体は、フィロソフィア側にはマキャベリア精鋭の力を再認識させられるものになり、マキャベリア側はフィロソフィア軍を恐れるにたらず、という印象を与えただろう。


夕日が西の空を赤く染め始めると、遠くに女王陛下の姿が見えた。騎士たちの訓練を見守っていたのだろう。テオリア女王の金色の髪が夕陽に照らされて輝き、その威厳ある佇まいは場の空気を引き締めた。純白のドレスが夕陽の光を受け、まるで女神のような神々しさを放っていた。


「午後5時より、代表者による試合を行います」


フィロソフィア兵の声が響き渡る。


あと1時間弱。必要なことがある。そう、充電だ。


夢の中では控え室があったが、現実ではそんな優雅なものは準備されていない。中庭で他の兵とともに土の上に座っている。俺は意を決して「エレキテル」を開始する。


不思議と、恥ずかしさはない。これは、この国を守るために必要な行為だ。それに、思い返してみれば、俺の姿を見たエマも、ベル先生も笑ったことはなかった。恥ずかしいと思っているのは自分だけなのだ。


精神を集中し、試合直前まで45分間、満充電を目指す。フィロソフィアの騎士たちは俺の姿を少し珍しそうに見ているが、笑う人は居ない。マキャベリア側では笑っているかもしれないが、俺の目には入らない。あの感覚、うっすらと皮膚がひりつく感覚が出てくる。指先から微かな火花が散るような感覚があり、体全体がエネルギーで満たされていくのを感じた。これが満充電の証だ。


そして試合の時間。カリアが俺のところに来てくれた。何も言わず、ただ、頷いてくれた。


夕暮れの中、俺は広場の中央に進み出る。王宮の中庭は両国の兵士や貴族たちで賑わい、鮮やかな旗が風になびいていた。夕方の太陽が鎧や剣を照らし、金色の光に包まれた戦場のような光景が広がっていた。


相手は…手練れの剣士と聞いていたのが、なぜか俺の2倍はあろうかという重装歩兵が立っている。


想定外だ。剣士の動きを前提とした練習をしてきたのに、対戦相手はまるで動かなそうな巨体の持ち主。エマからもらった剣帯を無意識に触る。


マキャベリア兵の様子から、相手は騎士団の副長らしかった。彼らの間から、わざと俺に聞こえるように「殺せ!」とフィロソフィア語で野次が飛ぶ。巨漢の副長は無表情で立ち尽くし、その冷たい眼差しには軽蔑の色が浮かんでいた。緊張で背筋に冷や汗が流れる。


「礼!」


審判役の兵士の掛け声とともに、俺は一礼したが、相手は応じない。


「はじめ!」


兵士の手が上がり、その声が中庭に響き渡る。二人は円の中央でにらみ合った。巨漢の副長は動じない。力士のような体を分厚い甲冑で覆って、剣は下に向け、構えていない。まるで、かかってこい、どうせお前の剣では傷一つつけられない、というメッセージのようだ。


俺は剣を構え、相手の動きを注視する。いや、待てよ。ふと気づく。これ、ラッキーなんじゃないか。厚い甲冑を着ているということは、全身が金属で覆われているということ。「雷の剣」の能力を最大限に発揮できるんじゃないか。


俺は自分の仮説を確かめるため、副長にじりじりと近づく。相手は堂々と立ち、ただ俺を見下すようににらんでいる。手の震えを抑えながら、剣を強く握りしめる。


意を決して、俺は剣を「振り下ろす」と言うにはあまりにもゆっくりな動きで、相手の甲冑の肩に軽く剣先で触れた。


その瞬間だった。


雷のような音が響き、青白い閃光が場を包み、衝撃が剣を通じて俺の左手に伝わる。危うく剣を落としそうになるが、そこはMag safeの威力。磁石で密着しているので大丈夫だ。とはいえ、その振動で腕がしびれる感覚があった。


相手を見ると、立ったまま気絶していた。体からは煙が立ち上る。目は白目をむき、口からは泡が出ている。そう、剣から金属製の厚い甲冑に強い電流が流れたのだ。しばらくして、そのまま副長は前に倒れた。大地を揺るがすような音と共に。


「やめ!」


審判の声が掛かる。


両軍は静寂に包まれている。目の前で起こったことが信じられない、というような雰囲気が場を支配し、やがてどよめきに変わった。騎士たちの間から驚きの声が上がる。


俺は拍子抜けしていた。何度も俊敏な剣士を想定して練習していた動きを出すこともなく、甲冑に触れただけだ。


フィロソフィアの騎士たちから、示し合わせたように「さすがは雷の剣」という言葉がマキャベリア語で発せられる。相手にその存在を印象づけるためだ。効果はてきめんだった。訓練直後は余裕綽々だったマキャベリアの騎士たちの顔には明らかな動揺の色が浮かんでいる。彼らの間では小さなざわめきが広がり、副長の甲冑から立ち上る煙を見つめる目には恐怖の色が浮かんでいた。


俺は深く息をつく。思ったのとは違ったが、自分の義務を果たせた、と思うと静かな喜びが体に満ちる。これでフィロソフィアの抑止力としての役割を果たせたのではないか。


その時だった。


「もう1戦お願いしたい」


大きな太い声が響き渡る。場が静まり返る中、マキャベリア側から一人の男が進み出た。その姿は威厳に満ち、周囲の騎士たちが礼をして一歩引いている様子から、どうやらマキャベリア騎士団の団長だと察する。


体は俺より一回り大きいが、いかにもアスリートというような体型で、スピードとパワーのバランスが取れていそうだ。装備は騎士のものだ。重い甲冑ではなく、軽装だ。彼の鋭い眼光が俺を捉え、その表情には冷静な分析と覚悟が見て取れた。


「副長は貴兄への敬意を欠いた。私は違う」


団長の声には自信があふれていた。その眼差しに恐怖はなく、むしろ挑戦への喜びさえ感じられる。手入れの行き届いた髭と筋肉質な体格が、彼の戦士としての誇りを物語っていた。


「フィロソフィアの騎士がいかなるものか。その力、この目で確かめたい」


彼はフィロソフィア語で話し、その態度には尊敬と挑戦が同居していた。


俺は一瞬迷った。先ほどの勝利で役目は果たしたとも言えるが、この挑戦を断れば、それはフィロソフィアの弱さを示すことになる。


「お受けします」


俺の返答に、場が沸き立った。そして、俺は自分に感謝していた。「エレキテル」を満充電にしておいたことを。

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