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第34話:続・アンナと「理性だけではダメな理由」

二人の少女の間に流れる空気は、まるで水と油が出会ったかのように不思議な緊張感を帯びていた。俺は思わず喉が乾く感覚を覚える。


「えっと、エマ、彼女はアンナ。アンナ、こちらはエマだよ」


俺は慌てて二人を紹介した。エマの青い瞳には戸惑いが浮かびぶ。一方のアンナは好奇心に満ちた緑の瞳で、エマを観察していた。


「エマは、俺の同居人というか...まあ、正確には俺がエマの同居人というか。この国に来たときに助けてもらって...」


言葉に詰まる俺を横目に、アンナが一歩前に出た。彼女の金褐色の髪がランプの灯火を受けて輝いている。


「へえ、エマはいい人なんだね!テルを助けてくれたなんて、素敵な人じゃない」


アンナの明るい声が、部屋の緊張感を和らげる。彼女の率直な称賛には、嫉妬や警戒といった複雑な感情が見当たらず、ただ純粋に相手の善意を認める心があった。俺は少し安心して、続けた。


「エマは、王立学院の生徒会副会長でもあるんだよ」


まるで自分のことのように自慢げに語る俺に、エマは少し視線を落とした。


「すごい!副会長なんて、きっと頭も良くて、信頼されてるのね」


アンナは率直に感嘆の声を上げた。


「私、秋から王立学院の生徒になるから、よろしくね、いろいろ教えてほしいな」


エマは少し緊張した様子で頷いた。


「なるほど、あなたは転校してきた生徒なのですね...」


エマの青い瞳が少し落ち着きを取り戻し、アンナの服装や肌の色を観察して言った。


「もしかして、アンナはヘルメニカの人?そんな雰囲気を感じます」


「どうして分かったの?すごいね、やっぱり副会長だ!観察力抜群ね」


アンナは驚いたように目を丸くした。


「今日、学院の廊下でたまたま出会って、いろいろと案内していたんだ」


俺は説明を加えた。誤解の無いよう、できるだけ状況を明確にしておきたかった。


「いろいろと、ね」


エマの声には微妙なニュアンスが含まれていた。彼女の青い瞳には複雑な感情が浮かび、わずかに唇が引き結ばれる。


沈黙が流れそうになったその時、アンナが急に動いた。彼女は肩にかけた革のバッグからスケッチブックを取り出し、エマに向かって差し出した。


「そうだ、今日描いたの!テルが案内してくれた場所をスケッチしたのよ」


彼女の緑の瞳が輝き、金褐色の髪が肩で弾むように揺れる。その表情には、創作の喜びを分かち合いたいという純粋な願いが表れていた。


エマは少しとまどいながらもスケッチブックを受け取り、ページをめくった。その瞬間、彼女の表情が一変した。青い瞳が見開かれ、驚きと感嘆の色が浮かぶ。


スケッチブックには、学院の尖塔や庭園の噴水が見事なタッチで描かれていた。単なる写実的な絵ではなく、そこには光と影の織りなす美しさ、石造りの建物の荘厳さ、花々の儚い命の輝きが見事に表現されていた。まるで建物や風景が感情を持っているかのような生命力が、鉛筆のラインから溢れ出ていた。


「すごい...」


エマの声が小さく響いた。彼女の青い瞳に純粋な感動の色が浮かび、長いまつげが上がる。


「目的なき合目的性...」


エマは思わず呟いた。


「難しいこと言うね。でも、何となく分かる気がする」


アンナが首を傾げる。金褐色の髪が頬をなでるように揺れた。


エマは真剣な表情で説明し始めた。彼女の銀色の髪が肩で揺れ、青い瞳は知的な輝きを取り戻している。


「バラの花は、あたかも誰かに美しく設計されたかのように見えるけれど、その美しさに実用的な目的はないの。でも、私たちはその美しさに純粋な喜びを感じるわ」


エマはアンナの絵をもう一度見つめた。指先が絵の上をそっと撫でるように滑らせる。


「あなたの絵はそれと同じよ。純粋な美しさがそこにある。あなたの絵はとても崇高なものよ」


その言葉に、アンナの顔が明るく輝いた。彼女の緑の瞳に喜びの光が宿り、日に焼けた頬がさらに紅潮する。


「ありがとう!エマ、やっぱりいい人だね。私の絵の本質を見抜くなんて、すごい」


アンナの素直な喜びの表情を見て、エマの態度が少し和らいだように見えた。彼女の肩の力が抜け、唇にはかすかな微笑みが浮かぶ。二人の間の緊張が少しずつ溶けていくのを感じ、俺は安堵のため息をついた。


しばらく二人はスケッチブックを見ながら会話を続けた。エマは絵の技法や構図について学術的な分析を始め、アンナはその場のインスピレーションで描いたことを情熱的に語る。二つの異なる世界の出会いが、少しずつ調和を見せ始めていた。


「絵を描くときって、どんな気持ちになるの?」


エマが珍しく感情的な質問をした。


「それはね、まるで恋に落ちたときみたいな感覚よ」


アンナは目を輝かせて答えた。彼女の頬が薔薇色に染まる。


「世界が色鮮やかになって、時間が止まって、心臓がドキドキして...描きたいものを見つけたとき、私の魂は歌い出すの」


彼女の言葉には詩的な美しさがあり、その表現力に俺もエマも魅了されていた。アンナは感情を隠さず、むしろそれを力に変える術を知っているようだった。


「それって、理性的ではないようだけど」


エマが少し困ったように言うと、アンナは優しく微笑んだ。


「理性と感情は敵じゃないのよ。むしろ、両方が調和したときに、本当の人間らしさが生まれるんじゃないかな」


アンナの言葉には深い洞察があり、エマも静かに頷いた。銀色の髪と金褐色の髪が、部屋の明かりの中で不思議な調和を見せている。


夜が深まり始めると、アンナが立ち上がった。


「それじゃあ、帰るわ。もう遅いし、あなたたちの時間も邪魔しちゃったしね」


彼女は肩にバッグをかけ直し、髪を軽く撫でつけた。


「テル、送って差し上げたら?衛兵なんだから」


エマが予想外の提案をした。その変化に、俺は少し驚いた。


「私、大丈夫だよ。慣れてるから」


その表情には冒険者のような自信があった。


「それに、ここは理性の国でしょ?みんな論理的に行動するなら、安全なはずよね」


アンナの言葉には少しも皮肉はなく、笑顔は明るく純粋だった。彼女は手を振りながら階段を降りていった。軽やかな足取りには、まるで風のような自由さがあった。


俺は建物の外に出て、アンナを見送った。夕闇に包まれた石畳の道を、彼女の姿が次第に小さくなっていく。最後に振り返ったアンナの笑顔と、風になびく髪が印象的だった。


部屋に戻ると、エマが窓際に立っていた。彼女の横顔は美しく、その表情には何か思索に沈んだような雰囲気があった。俺が入ってくると、彼女はゆっくりと振り返った。


「あの子...アンナのこと、私、知ってるかもしれません」


エマは少し考え込むように言った。


「どういうこと?」


俺は尋ねた。


「フレデリカという私の友人が文通をしているヘルメニカの少女がいて、確かジョアンナという名前だったと思います」


エマの言葉に、俺は驚いた。この世界で、国を跨いでそんな意外なつながりが見つかるとは。


「私の記憶が確かならば、彼女は大貴族の子女です。詩人であり、画家であり、哲学者でもあるという...才能の塊のような人物です」


「確かに、絵はすごく上手かったよね。あれは素人の描いたものじゃないよ」


アンナのスケッチに宿る生命力を思い出す。


「間違いないです。あの絵は、天才の絵です」


エマの青い瞳が真剣さを増し、銀色の髪が肩で揺れる。


「彼女は、その情熱、行動力から『疾風怒濤』と呼ばれています」


「疾風怒濤...確かにそんな感じだ」


俺は笑みを浮かべた。アンナの明るい笑顔、自由奔放な態度、そして芸術への情熱。すべてが「疾風怒濤」という言葉にぴったりだった。まるで彼女自身が嵐のような存在なのだ。



目的なき合理性:カントの美学において、美しい芸術作品が私たちに与える独特な感覚を説明する概念です。普通、私たちが何かを「良い」と判断するときは明確な目的があります(例:この椅子は座るのに良い、この薬は病気を治すのに良い)。しかし美しい芸術作品を見たとき、私たちは「なぜ美しいのか」「何の役に立つのか」という具体的な目的や理由を説明できないのに、なぜか「良い」と感じます。これがまさに「目的なき合理性」で、芸術作品には明確な実用的目的はないけれど、私たちの心には合理的で秩序だった印象を与える、というカントの美に対する洞察なのです。

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