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第32話:ルーシーと「それってあなたの感想ですよね」

夏の日差しが窓から差し込む夕方の王立学院。俺は巡回を終え、日課のように生徒会室に立ち寄ることにした。後で稽古するには庭が良いだろうと思っていたが、まずは休憩がてら部屋で水でも飲もうと考えた。


扉を開けると、夏休みで無人のはずの部屋に、また人の気配がある。


深紅のドレスに身を包み、漆黒の長髪が肩から滝のように流れ落ちるルーシーの後ろ姿。彼女は窓辺に立ち、外の景色をぼんやりと見つめていた。その紺碧の瞳には、普段の鋭さは影を潜め、どこか物思いにふける儚さが漂っている。制服以外の彼女を見るのは初めてだが、その美しさに息をのむ。


「ルーシー?」


俺の声に、ルーシーはゆっくりと振り返った。彼女の動きには普段の矜持は見えず、少し疲れたようにも見える。深紅のドレスの裾が優雅に床を撫で、その動きには気品があった。


「ごめん、邪魔したかな」


気配を感じてすぐに出ていこうとする俺を、ルーシーは静かな声で止めた。


「現時点で私は貴方の存在を問題視していないです」


相変わらずの言い回しだが、その声には普段のような鋭さがなかった。どこか儚さを含んだ柔らかな響きに、俺は思わず足を止めた。


「ルーシーは、夏休みだからてっきり実家に帰ってるものだと思ってた」


彼女はため息をつき、深紅のドレスの裾を優雅に整えながら椅子に腰を下ろした。シルクのような生地が光を受けて煌めく。


「予定より早く帰寮しました。実家では毎晩のように社交パーティーが催されるため、騒々しくて集中力を維持するのが困難でした」


彼女は少し顔を伏せ、テーブルに置かれた本を無意識に指でなぞった。


「こちらの生活の方が、はるかに論理的で落ち着いています」


物憂げな様子のルーシーを見て、俺は何か彼女の気を紛らわせることはないかと考えた。彼女の厳密な言語使用を思い出し、ふと思いついた。


「ルーシー、俺の国の『言語ゲーム』をしてみないか?」


彼女の紺碧の瞳が少し輝きを取り戻した。長いまつげが上がり、その瞳には小さな好奇心の火が灯った。


「どのようなルールの言語ゲームなのですか?」


「とても簡単だよ。りんご、ごりら、らっぱ、のように、前の人が言った言葉の最後の文字を最初の文字として、言葉をつないでいくゲームなんだ」


俺の説明に、ルーシーはわずかに上体を起こし、漆黒の髪を整えた。その動きで彼女の首筋が一瞬露わになり、白い肌が夕日に照らされて淡く輝いた。


「承知しました。規則は明確であり、参加可能です」


彼女の声には少し好奇心が混じっていた。黒髪を軽く揺らし、瞳が少し輝いているようにも見える。深紅のドレスの袖を少し直し、姿勢を正す。


「じゃあ、俺から始めるよ。りんご」


ルーシーは即座に応える。その反応の速さに、彼女の鋭い思考力を感じた。


「ゴニオメトリー」


「え、なんだそれ?」


「角度測定法です」


彼女は簡潔に説明した。紺碧の瞳には小さな勝ち誇りが光っている。


「そう...なるほど。じゃあ、りす」


「スコラスティシズム」


「…むぎ」


「ギャラントリー」


俺は頭をひねりながら答えた。ルーシーが使う言葉はどれも難解で、彼女の知識量の豊富さに改めて驚く。


「りょうり」


「リアリズム」


「むら」


「ラティテューディナリアニズム」


そんな長い言葉があるのか。彼女の豊富な語彙に圧倒される。


「む...むし」


「シロジズム」


「また『む』から始まる言葉!...俺の負けだ」


俺は両手を上げて降参のポーズをした。沈黙が支配する。


「つまらない?」


俺の声に、ルーシーの表情が少し和らいだ。彼女の薄い唇の端が、わずかに上がっている。その小さな笑みの兆しは、彼女の美しさをより一層引き立てていた。


「この言語ゲームには一定の娯楽性があり、同時に語彙力の向上にも貢献する教育的側面も存在します。つまり…楽しいです」


深紅のドレスの裾を優雅に整え、姿勢を正す彼女の様子に、何か安堵を感じる。彼女の顔色も良くなり、頬には健康的な薄紅が差していた。


不思議な沈黙が流れる中、俺は話題を変えることにした。


「そういえば、俺の国に、140文字で議論をするっていうSNS...いや、言語ゲームがあるんだけど、どう思う?ルーシーは強そうだけど」


ルーシーはテーブルに両手を置き、真剣な表情で答えた。頭を少し傾け、漆黒の髪が絹のように流れるように肩を滑り落ちる。その仕草には女性らしい優雅さがあり、思わず見とれてしまう。


「言語ゲームの観点からみると、そのような特殊な形式は、厳しい制約のために深い思考に必要な文脈や微妙なニュアンスを排除してしまいます。140文字という限定は言葉の使い方を極端に制限して、誤解を生みやすくします。そのようなルールの下では、本当の議論は難しいと言わざるを得ません」


彼女の分析は鋭く、俺は思わず感心した。言葉の一つ一つが的確で、その思考の明晰さに脱帽する。


「そうだよね。よく考えれば140字で議論するなんてそもそも無茶苦茶だよね」


ルーシーの紺碧の瞳が、わずかに自信に満ちた光を宿らせた。その表情が少しずつ活気を取り戻していくのを見るのは、不思議と嬉しい気持ちになる。


「他にも気になる言語使用はありますか?」


ルーシーが訪ねる。俺は思いついて、もう一つ質問した。


「あと、何か言われたときに、『それってあなたの感想ですよね』という反論が俺の国で流行ってて困るんだけど、ルーシーならなんて言い返す?」


その質問に、ルーシーの表情が一変した。深紅のドレスをきちんと整え、背筋を伸ばし、まるで講義をするような姿勢で答え始めた。その変化は劇的で、先ほどまでの憂いを帯びた少女から、知的な論客へと姿を変えた。


「私なら次のように言います」


ルーシーの視線が俺の目を捉える。


「『それってあなたの感想ですよね』という発言は、奇妙な自己矛盾を含んでいます。なぜなら、その判断自体があなたの感想だからです」


漆黒の髪が感情の高まりとともに揺れ、紺碧の瞳には鋭い知性が宿っていた。彼女の声は次第に力強さを増し、細い指がテーブルをリズミカルに叩く。


「もし全ての主張が単なる『感想』に還元されるなら、あなたの今の発言も同様に無効になります。このような言い方は、対話を不可能にする循環論法であり、言葉の意味を都合よく操作するものです」


俺は思わず見入ってしまった。ルーシーは、憂いを忘れ、本領を発揮していた。深紅のドレスが彼女の情熱を映し出すかのように輝き、頬は熱を帯びて薄紅色に染まっている。


「議論を続けたいのであれば、具体的な反論を示してください…と私なら答えます」


ルーシーの分析が終わると、部屋には短い沈黙が流れた。夕日が彼女の横顔を照らす様子は絵画のように美しかった。その佇まいには、知性と気品が漂っている。


「…というのを140字で言うと?」


俺が問いかけると、ルーシーが瞬時に答える。


「『それはあなたの感想ですよね』という言葉は自己矛盾しています。その判断こそあなたの感想だからです。全ての主張が感想に還元されるなら、対話自体が不可能になります。言葉の意味を操作する循環論法をやめて、具体的な反論を提示してください」


「凄い。やっぱり俺はルーシーが好きだ」


俺は思わずその言葉を口にした。ルーシーの頬がわずかに赤みを帯びる。彼女は軽く咳払いをし、目線をそらした。長いまつげがはためき、漆黒の髪が頬を隠すように揺れる。


「その発言は曖昧性を含んでいるので、真意を理解することは困難です」


窓から見える夕日が、生徒会室を赤く染めていく。ルーシーは誤解されがちだが、俺は好きだ。ルーシーの魅力を、他人に言葉で伝えることが難しいのがもどかしいのだけれど。

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