フィロソフィア：転生したら俺を好きな娘が全員異常に理屈っぽいんだが。（完全版）

第31話：ジーナと「異世界転生モノの解釈」

夏休みの王立学院は閑散としている。大半の生徒が地方の実家に帰省している中、僅かに残った生徒たちが静かに過ごしている。

俺は久しぶりに生徒会室に足を運んだ。扉を開けると、そこにはジーナの姿があった。彼女は青緑色のマントを椅子にかけ、制服姿で窓際に座って本を読んでいた。銀灰色のショートカットが夏の日差しを受けて神秘的に輝き、整った横顔に陽光が美しい陰影を作り出している。

「ああ、テルか」

俺が入ってくると、ジーナは顔を上げて微笑んだ。本を閉じ、しなやかな指で髪をかき上げながらこちらを見る。夏休みだというのに、彼女の姿勢は完璧だ。

「ジーナ、夏休みなのに生徒会室にいるんだね」

「仕事があるからね。それに、ここは静かで考え事がしやすい」

ジーナは穏やかに答えた。夏の暑さも彼女の冷静さを損なうことはないようだ。

「ところで、ジーナはこの街の人なの？」

俺は聞いてみた。

「そう、生まれも育ちもクロイツベルク。父が王宮で財務官僚をしているからね」

俺は向かいの椅子に腰掛け、昨日のミルとの会話を思い出した。

「昨日、ミルと話していたんだ。彼女の家族や子ども時代の話をしてね」

ジーナの瞳が好奇心で輝いた。彼女は少し身を乗り出し、制服の襟元のリボンが僅かに揺れる。

「どんな話？」

「ミルって、子どもの頃からものすごく勉強させられたらしいんだ。父親が厳格で、いつも勉強、勉強って感じだったみたい」

ジーナは小さく頷き、考え込むように目を閉じた。物思いにふける様子が知的な美しさを漂わせている。

「ミルらしいね。彼女の驚くほどの教養、年齢にしては大人びたところ、でも少し影があるところ。子ども時代の経験は、その後の思考に大きな影響を与えるものだからね」

「だから彼女に言ったんだ。勉強のためには息抜きが必要だって」

俺はミルとケーキ屋に行ったこと、そこでミルと「異世界転生モノ」について語ったことをジーナに話した。ジーナは興味深そうに聞いている。

「ジーナの場合、子ども時代はどんな感じだったの？」

「私はミルと違って、普通に子ども時代はあったよ」

ジーナはそう言って、少し考え込むような表情を見せた。

「私も勉強はしたけど、ミルほどやらされた記憶はないな。彼女はかなり特殊だろうね」

「俺は、全く勉強しろとか言われなかったな。ミルは少し可哀想だ」

そう言うと、ジーナは複雑な表情を浮かべた。彼女の眉がわずかに寄り、長いまつげの下の瞳が俺をじっと見つめる。その視線には何か深い思索が宿っていた。

「ミルが可哀想かどうかは分からないよ」

ジーナの声色が変わった。彼女は椅子の背もたれに深く腰を下ろし、両手を膝の上に優雅に置いた。マントを脱いだ彼女の制服姿は、すっきりとした肩のラインが美しい。しかし、その眼差しは真剣さを増していた。

「一つ質問があるんだけど」

彼女の青緑色の瞳が、まっすぐ俺を見つめる。

「テルは、主人と奴隷、もし選べるとすれば、どちらを選ぶ？」

「え？」

突然の質問に、俺は戸惑った。しかし、答えは明白だと思った。

「もちろん主人かな」

ジーナの唇が小さく上がった。

「それは当然の反応だね。でも、ちょっと考えてみよう」

彼女は身を乗り出す。

「主人は奴隷を支配して、自分の欲求を満たす。表面的には、主人は自由で強いように見える」

俺は黙ってうなずいた。

「でも実際には、主人は奴隷に依存している。自分では働かず、奴隷の労働に頼るようになる」

「でも、奴隷は強制的に働かされるんだよね」

「そう。しかし、その過程で奴隷は技術を学び、自分自身を鍛え、成長していく」

ジーナの言葉には不思議な力があった。彼女の声が夏の生徒会室に響く。

「時間が経つにつれて、奴隷はますます知識や技術を身につけ、主人は依存によって弱体化する。そして最終的には、関係が逆転する」

ジーナは立ち上がり、窓際に歩み寄った。光に照らされた彼女の姿は、すらりとした体のラインが美しい。

「これが『主人と奴隷の弁証法《べんしょうほう》』。歴史の中で繰り返されてきた逆転の物語だよ」

彼女の言葉に、俺は妙に身につまされる思いがした。確かに、自分は生まれてこの方、勉強らしい勉強をしてこなかった。もちろん、自分なりの努力はしてきたつもりだけど、あくまでも「自分なり」だ。その結果、今、俺には何もない。一方、ミルやジーナたちは、厳しい環境で鍛えられてきた。そして、今、驚くような知性を身につけている。

沈黙が支配した。陽光が作り出すジーナの影が床に長く伸び、彼女の凛とした佇まいをさらに強調していた。

「ところで、テル」

ジーナが沈黙を破る。制服のスカートを軽く整えながら、再び椅子に座り直す。

「さっき君が話してくれた異世界転生の物語、すごく興味深いよ」

「そう？」

俺は意外に思った。ジーナは異世界モノなど鼻にもかけないのではないかと勝手に思っていた。

「実はこれも、ある意味で弁証法的な物語構造を持っていると思うんだ」

ジーナの瞳がさらに輝きを増した。頬が僅かに赤みを帯び、いつもの冷静な表情から感情が溢れ出すように変化していく。

「異世界転生では、主人公が一度死んで、別の世界に生まれ変わることが多いよね。でもその『死』は単なる事故や事件だけでなく、『うまく生きられなかった』とか『生きる意味を見失った』という心の死、あきらめの状態を暗に表しているとも言える」

彼女の分析は鋭く、思わず引き込まれる。

「人は自分を見つけるために、いったん『自分じゃない状態』、つまり否定を経験する必要がある。しかし、そこで止まらず、もう一度『本当の自分』を作り直す——これを『否定の否定』と呼ぶんだ」

ジーナは熱心に説明を続けた。

「つまり、主人公が死んで、新しい世界で自信を持って活躍できるようになることは、『自分を一度失って、そこから本当の自分を見つけなおす』という流れだ。異世界転生は、人間の成長、精神の発展の物語として読むこともできるんだ」

ジーナの分析に、俺は新鮮な驚きを覚えた。

「人はただ生まれただけじゃなく、苦しんだり、他人とぶつかったり、失敗したりしながら、『本当の自分』を見つけていく。これは、異世界でゼロからやり直して、仲間を得て、自信を持って、社会の中で大事な役割を果たしていく主人公の姿とそっくりじゃないか」

彼女の言葉には深い理解と洞察が込められていて、その姿はまるで知性の女神のようだった。

「だから哲学的に見れば、異世界転生は『失われた自己、試練、成長、そして新しい自己の完成』という、人間の成長の物語になっているということだね」

彼女の結論に、俺は思わずうなずいていた。

ジーナが異世界転生ものに食いついてくることに、俺は喜びを感じた。彼女のような理性的で知的な人が、そうした物語に興味を示すなんて。それと同時に、この世界に転生した初日、魔法やゴブリンと口走った俺に向けられた、エマの氷の表情が頭に浮かんだ。

「というか、エマはそういうところは堅いんだよな」

思わず口に出してしまった。ただ、その堅さと俺が知っている可愛い面のギャップがいい。そう思うと、自然と顔がほころんでしまう。

そんな俺の表情を見て、ジーナが少し首をかしげた。澄んだ瞳に好奇心の光が宿る。

「テルが考えていることは、表情に出ている気がするよ」

彼女の指摘に、俺は少し赤面した。

「本当の理解というのは、そういう個人的な考えを言葉にして共有することから生まれるんだ。だから、何を考えて笑っているのか教えてくれない？」

ジーナの言葉には優しさがあった。それは命令ではなく、誘いだった。彼女の青緑色の瞳には純粋な好奇心と友情が宿り、唇には温かな微笑みが浮かんでいた。

「まあ、やっぱり、やめとこうか」

ジーナが俺を見て言った。

なんだか、ジーナとまた仲良くなれた気がして嬉しくなった。彼女の知性と温かさは、この世界での貴重な宝物のように思えた。窓の外では、夏の陽光が王立学院の庭を鮮やかに照らし、遠くから鐘の音が静かに響いていた。