第28話:テオリアと「民主主義の欠陥」
せっかくの女王陛下と話す機会だ。俺は、もう一つ気になることを聞いてみようと思った。
「この国は、女王が統治していますよね。あの…『民主主義』ってご存じですか?」
突然の質問に、テオリアは少し驚いたように目を見開いた。
「もちろんよ。民主主義はあなたの国の発明品ではないわ。何千年も前からあるものよ」
無知であるばかりか、少し上から目線だった自分が恥ずかしくなる。気を取り直す。
「私の国は民主主義で統治されています。女王陛下は、民主主義について、どう思われますか?」
テオリアはため息をついた。彼女の表情には、複雑な思いが浮かんでいるようだった。金色の髪が肩で揺れ、指先が椅子の肘掛けをゆっくりとたどる。
「あなたの国は、民主主義によって上手く統治されていますか?」
その直球の問いに、俺は言葉に窮した。
「民衆は感情や目先の利益に流されやすいの。本当に正しいことを見極める知識がないまま判断することも多いわ。巧みな言葉を使う政治家に煽動される危険性も高いのよ」
テオリアの言葉は鋭く、しかし冷静だった。この分析に反論できる自信がない。確かに俺の国では、多くの人がSNSによって煽動され、SNS映えする言葉を駆使する政治家が台頭している。
「少し、民主主義の将来を予言しておきましょう」
テオリアの声が低く響く。部屋の空気が重くなったように感じた。彼女の紫水晶色の瞳がより深い色合いを帯び、その視線には未来を見通すような鋭さがあった。
「民主主義が悪い方向に進むと、社会の秩序が失われ、混乱が広がります。そこに『自分こそ大衆の味方だ』と名乗る人物が現れる。人々はその人物を支持し、やがてその人物に全ての力が集中して、独裁者へと変わっていくのです」
その言葉に、俺は背筋が寒くなった。これはまさに、今、俺の世界で起ころうとしていることではないか。なぜ、この人は俺の世界を全く知らずにここまで予言できるのだろう。
「まさにその通りです。だから、哲学者が国を治めるべきだと…」
テオリアの瞳が輝いた。彼女は体を少し前に傾け、金色の髪が光に照らされて煌めきながら、情熱的に語り始めた。その瞳には強い信念の光が宿っていた。
「国家には、本当の知識と専門性に基づく統治が必要なの。真の知恵を持つ人による決定が行われれば、感情や個人的な利益ではなく、理性と深い洞察に基づいた政策が可能になるわ」
彼女の声と話し方には、知的な美しさが溢れていた。
「本当に優れた指導者は、自分の欲望を超えて、国全体の幸せを追求できる。すべての人のことを考えた公平な統治ができる。そして、目先の人気や利益だけではなく、将来のことまで考えた判断ができるわ」
テオリアの瞳は輝いていた。彼女は熱を込めて続けた。手が優雅に動き、その仕草は言葉に力を与えているようだった。
彼女の言葉に、俺は次第に説得されていくのを感じた。これまで、俺は民主主義が最善の政治形態としか教えられてこなかった。別の考え方があるというのは衝撃だった。
ただ、俺も民主主義国の国民だ。意を決して反論してみた。
「しかし、あなたのような優秀な女王であっても、その子孫も優秀とは限りません。血筋によって暴君が王の地位に就く可能性はないのですか?」
俺の質問に、テオリアは満足げな表情を浮かべた。彼女の瞳には「良い質問だ」という光が宿り、唇に小さな微笑みが浮かんだ。
「あなたの指摘は的確よ。まさにその問題は、私が考える統治制度の核心部分に関わるわ」
テオリアは立ち上がり、窓際へと歩んだ。光に照らされた彼女の姿は神々しくさえ見え、ドレスがわずかに揺れる様子は絵画のようだった。
「哲人王の子どもが必ずしも哲人王の資質を持つとは限らない。だから、私の代では血筋による継承を採用しないの。もっとも、私自身は先代王の急逝を受けて、考える間もなく地位を受け継いだのだけれど」
彼女は振り返り、真摯な表情で続けた。金色の髪が後ろから差し込む光で輝き、その姿は神話の女神を思わせた。
「統治者の選出は血縁ではなく、能力と資質に基づいて行われるべきよ。私が提案した教育システムでは、すべての子どもたちの素質を見極め、最も優れた資質を持つ者だけが統治者階級へと進むの」
テオリアの声には確信が込められていた。その姿勢は威厳に満ち、言葉には力がこもっていた。ジーナやエマ、生徒会のメンバーの顔が脳裏に浮かぶ。
「そして、さらに厳しい教育と選抜を経て、最も優れた知性と徳を持つ者のみが王となるのよ」
俺は感服した。これは歴史の授業で習ってきた王制とは全く別物だ。血統ではなく能力による選抜。まさに理性の国らしい統治形態だった。
俺は、この際、女王に聞いておきたいと思った質問をぶつけた。
「もし、民主主義を前提とするなら、それが機能するために必要なものは何でしょうか?」
テオリアは一瞬考え込むような表情を見せた後、静かに語り始めた。その表情は真剣さを増し、瞳の奥に深い思索の光が宿っていた。
「民主主義を前提とするなら、それが機能するために最も必要なものは、質の高い市民教育と道徳心の育成よ」
彼女はゆっくりと部屋を歩きながら続けた。ドレスの裾が床を滑るように動き、その足取りには優雅さがあった。
「第一に、本当のことを見分ける力を養う教育が必要よ。巧みな言葉に惑わされず、本物の知識と見せかけの知識を区別できる考える力が市民には欠かせないの」
彼女は続けた。
「第二に、自分だけの欲望を超えた、みんなの幸福への理解よ。市民一人ひとりが自分の利益だけでなく、国全体の幸福を考える思いやりの心を持たねばならないわ」
話すにつれて、その表情はさらに凛々しさを増していった。
「第三に、政治参加にふさわしい資格の設定も大切ね。完全な平等ではなく、一定の教育や知識を持つ者だけが重要な決定に参加するような仕組みも必要でしょう」
テオリアは少し悲しげな表情を浮かべると、長いまつげの下の瞳が陰り、最後にこう付け加えた。
「これらの条件がない民主制は、ただの衆愚政治に堕ち、最終的には独裁制へと変化するでしょう。民主制が上手くいくには、市民の質が高いレベルに達していることが大前提なのよ」
俺は打ちひしがれていた。仮にも俺は大学生だ。つまり、少なくとも12年以上は教育を受けている。しかし、その俺が、今、テオリア女王が挙げた知識や見識をどこまで身につけている? 一体、今まで俺が受けていた教育とは何だったのだろうか。
テオリア女王の言葉が部屋に響く中、ドアが開き、執事が恭しく頭を下げた。
「陛下、お時間です」
テオリアは少し残念そうな表情を浮かべた。その瞳には名残惜しそうな光が宿り、唇がかすかに下がる。
「あら、残念ね。また議論しましょう。とても楽しかったわ、テル」
彼女は立ち上がり、俺に手を差し伸べた。その手は柔らかく、温かかった。白い指先に触れる感触は、思いのほか人間味があり、心地よかった。
「ぜひ、またお話ししたいです」
俺は心からそう思った。あまりの器の大きさに衝撃を受けながらも、女王は自分が命をかけるだけの価値を持つ人であるという確信が湧いてきた。王宮を後にするとき、頭の中はテオリアの言葉でいっぱいだった。
王宮の庭の石畳を歩きながら、俺は思った。
「民主主義を実現するためには、民衆の教育が大前提か…」
そして、俺は合同訓練の日に向けて、さらに決意を固めた。理性の国フィロソフィアと、その理想を掲げる女王を守ろうと。




