第20話:テルと「長い名前」
生徒会の計画案が完成したのは未明だった。皆疲れ果てていたが、その表情は晴れ晴れとしていた。しかし、俺だけは寝不足で死にかけていた。
いつの間にか生徒会室の机に突っ伏して寝てしまった俺は、ジーナの声で目を覚ました。気がつけば正午を過ぎており、日差しが眩しい。
「テル、大ジャンヌが私とテルを連れて、女王陛下に謁見に行くと言っている」
ジーナの銀灰色の髪が日差しを受けて輝き、春の朝の霧のように柔らかく見えた。彼女の青緑色の瞳には緊張の色がにじみ、普段の冷静さの中に少女らしい高揚感が垣間見えた。俺の肩にはいつの間にかシルクのような肩掛けがかけられており、その優しい質感と淡いラベンダーの香りからエマのものだとわかった。
顔を洗って意識をはっきりさせた後、俺たちは馬車で王宮へと向かった。大ジャンヌ、ジーナ、そして俺の三人。緊張で背筋が伸びる。
「テオリア女王とはどんな方なのですか?」
俺は思い切って質問した。大ジャンヌは窓の外を見ながら、穏やかな笑みを浮かべた。その横顔は陽の光を受け、普段の無造作な雰囲気とは違う、若々しさを放っていた。
「テオリアは立派な奴だよ」
大ジャンヌのその親しげな言い方に、ジーナが少し驚いた表情を見せた。
「ああ、ジーナにも言ってなかったかな。私とテオリアは幼なじみなんだ」
大ジャンヌは懐かしそうに微笑んだ。彼女の茶色の髪が肩で揺れ、柔らかな表情になる。普段の無造作な印象とは違い、今日は正装をしていた。丁寧に整えられた上着を着ると、彼女は別人のように美しさが際立つ。
「まあ、何というか、おてんばっていうやつなのか。小さいときから男の子と喧嘩をしても負けたことがなかったね」
「強い人なんですね」
俺が言うと、大ジャンヌは頷いた。彼女の目には、遠い記憶を見つめるような温かさがあった。
「ああ、でも強いだけじゃない。哲学者としても秀でていて、この国を統べるのに相応しい。彼女が女王で本当によかったと私は思う」
大ジャンヌの言葉には深い敬意が込められていた。馬車が揺れる中、ジーナは不安そうに指先でマントの端を弄っていた。青いマントの裾が彼女の細い指の間で揺れ、その動きには緊張が表れていた。
「しかし、テオリア女王陛下が、私たち生徒にこんな重要な議題で打開策の提案を求めていらっしゃるとは...」
ジーナの声は緊張に震えていた。銀灰色の前髪が風で揺れ、彼女の透き通るような額がいつもより更に白く見えた。
大ジャンヌは優しく彼女の肩に手を置いた。その手は頼もしく、安心感を与えるものだった。
「テオリアはもちろん自分の案を持っているよ。でも、若い世代に真剣に考えて欲しかったのだと思うよ。学問とは単に暗唱することじゃない。実際に、自分のこととして知識を使って初めて身になるというものだ」
ジーナの表情が少し沈んだ。青緑色の瞳に影が落ち、長いまつげが下がる。
「では、これは教育目的の宿題だということですか...」
「いや、そういう訳じゃないさ」
大ジャンヌは優しく微笑んだ。その笑顔には、生徒会長を励ます真摯な思いが込められていた。
「テオリアは真の意味での議論を重視する。真理に至るためには議論が欠かせないと。君たちはその相手に選ばれたのだから、何もガッカリすることはない。むしろ、名誉なことだよ」
馬車が大きな門をくぐると、目の前に王宮が広がった。白亜の壁に青い屋根、塔の先端には金色の旗が風に揺れている。中庭には色とりどりの花が咲き誇り、噴水の水音が心地よく響いていた。午後の日差しを受けた王宮は、まるで絵本から抜け出してきたように美しく輝いていた。
ジーナが緊張した様子で、小さな声で呟いている。コバルトブルーのマントを整え、時折銀灰色の髪を耳にかける仕草は、いつもの堂々とした生徒会長の彼女とは違っていた。
「ジョルジーナ・フレデリカ・ヘンデルと申します。本日、陛下の御前に伺う栄誉を賜り…」
彼女は自分の名を何度も繰り返し、正式な挨拶の練習をしているようだった。唇が小さく震え、青緑色の瞳には緊張の色が浮かんでいる。
俺は急に冷や汗をかいてきた。自分にはこの世界風の名前がないことに気がついたのだ。東方から来たと言っても、名前に違和感がありすぎると、違う世界の人間だとバレる可能性があるのでは、と。
人目を避けてポケットからスマホを取り出し、サンデラにメッセージを打った。画面に向かう指先が少し震えている。
『この世界風の名前を考えて。今すぐ』
祈るような気持ちで送信ボタンを押す。すると、すぐに返信が来た。
『ナオテル・イフォンシス・デカペンテ S』
やれやれ、今度はちゃんと答えてくれたか…。俺は初めてサンデラに感謝した。
王宮の正面玄関から入ると、赤い絨毯が敷かれた広い廊下が続いていた。壁には歴代の王の肖像画が飾られ、その厳かな目線が俺たちを見守っているようだった。天井からは精巧なシャンデリアが下がり、その煌びやかな光が絨毯の上に金色の水玉模様を作り出していた。侍従が三人を案内し、やがて巨大な扉の前に立った。
「女王陛下のお部屋です」
扉が開くと、そこには思ったよりも質素な謁見の間があった。部屋は広いものの、必要最低限の調度品しかなく、壁には世界地図と天体図が飾られているだけだった。陽の光が大きな窓から差し込み、部屋全体を明るく照らしていた。
中央に座る女性が立ち上がった。
長い金髪を優雅に結い上げ、知的な雰囲気を漂わせる女性。テオリア女王だ。真珠のように白い光沢を放つドレスは派手さはないが、気品に満ちていた。肩から伸びるドレスのラインは彼女の凛とした佇まいを引き立て、薄いシルバーの刺繍が施された裾は陽の光を受けて柔らかく輝いていた。紫水晶色の瞳は澄み渡り、その視線には優しさと知性が共存していた。顔立ちは整っているが、どこか親しみやすい雰囲気があり、唇には微笑みが浮かんでいた。
「よく来てくれたわね、ジャンヌ、そして王立学院の皆さん」
テオリア女王の声は思いのほか優しく、温かみがあった。
大ジャンヌが一歩前に出て、丁寧に頭を下げる。
「陛下、例の件について、王立学院の生徒会からの提案を持ってまいりました」
テオリア女王は微笑むと、ジーナに視線を向けた。その紫水晶色の瞳には、優しい期待の色が浮かんでいた。
「あなたが生徒会長のジョルジーナさんね。以前からお噂は伺っていたわ」
ジーナは緊張した面持ちで一歩前に出た。青緑のマントが彼女の動きに合わせて優雅に揺れ、銀灰色の髪が陽の光を浴びて輝いていた。
「ジョルジーナ・フレデリカ・ヘンデルと申します。本日、陛下の御前に伺う栄誉を賜り、心より感謝申し上げます。本日、この身に余る大役をお任せいただき、身の引き締まる思いでございます」
女王は次に俺を見た。優しくも鋭い紫水晶の瞳が、まっすぐに俺のほうを見ている。俺は一歩前に出て、深々と頭を下げた。
「ナオテル・イフォンシス・デカペンテと申します。お世話になっております。何卒よろしくお願いいたします」
ビジネスメールのような言葉しか出てこない。恥ずかしさで体が熱くなる。
「なるほど、デカペンテということは、ナオテルは15代目にもなる名家の出身ということですね」
女王は微笑みながら言った。その表情には知的な好奇心が満ちていた。俺はその意味が分からなかったが、とりあえず頷いておいた。胸がドキドキするのを感じながら、冷静を装った。




