第18話:生徒会と「戦争を回避する方法」
その夜を徹して議論は続いた。大ジャンヌがパンと果物を差し入れてくれ、生徒会室は緊張感と果実の香りが入り混じる独特の空間になっていた。窓の外は完全に暗くなり、星々が夜空に瞬いている。部屋の中では、ランプの柔らかな光が5人の顔を照らしていた。
「マキャベリアの要求に応じるわけにはいきません」
エマはきっぱりと言い切った。銀色の髪が肩で揺れ、青い瞳に決意の色が宿る。繊細な指で制服のリボンを無意識に触りながら、彼女は両手をテーブルに置き、背筋をピンと伸ばした姿勢で続けた。
「もし理性的存在である私たちが、ただ力に屈することを選んだら、それは私たち自身の価値を否定することになります。『力に従え』という行動原則は、誰もが従うべき普遍的な法則にはなり得ません。そんな世界は誰も望まないはずです」
ミルは小さな体で立ち上がり、栗色の髪が揺れた。彼女の青灰色の瞳は真剣さで輝き、幼い顔つきながらも言葉には重みがあった。白いブラウスの胸元には、いつもの四つ葉のブローチが光っている。
「みんなの幸せを最大にするという観点からも、安易な譲歩は問題です。戦争の損失は計り知れません。しかし、譲歩することで一時的に戦争を避けられても、マキャベリアの野心を助長するだけです。結果として、将来、より多くの人々が苦しむことになります」
ルーシーの深紅のリボンがランプの明かりに照らされて色の深さを増す。紅茶のカップを繊細な指先で持ち上げ、一口飲んでから置き、冷静に言った。
「『要求』という言葉の使い方には、隠された脅しが含まれています。このような会話の前提自体が、言葉の正しい使い方のルールから外れています。私たちは別の言葉の枠組みを提案すべきです」
ジーナは沈黙していた。彼女は窓辺に立ち、外の夜空を眺めていた。銀灰色の髪が月光を受けて神秘的に輝き、引き締まった体のラインが影絵のように浮かび上がる。最後に振り返り、鋭い瞳で全員を見渡した。
「君たちの意見は正しい。しかし、理想だけでは現実は動かない。マキャベリア王国の歴史を見れば、彼らは力を敬い、弱さを軽蔑する。私たちは強さを示しながら、対話の道を探るべきだ」
俺は議論を聞きながら、どこか部外者のような感覚に襲われていた。この国の危機に、自分は何ができるだろう。
「少し席を外すよ。トイレに行ってくる」
廊下に出ると、学院は不思議な静けさに包まれていた。月明かりが石畳の廊下を青白く照らし、窓から見える中庭には建物の影が落ちている。
「サンデラ、頼む...」
俺はポケットからスマホを取り出した。バッテリーは6%。今まで聞いた情報を整理して打ち込むと、最後は次のように締めくくった。
『サンデラ、この国は戦争の瀬戸際にあります。神様なら、助けてください』
送信ボタンを押すと、心臓の鼓動が速くなった。サンデラからの返信はあるのだろうか。数分ほど通路の窓辺に立ち、外の夜空を見上げる。風が木々を揺らし、葉のざわめきが聞こえてきた。
突然、通知音とともにスマホが震えた。サンデラからの返信だ。
『あなたに次の言葉を授けますーANAGNARIHS。 S』
さすがは女神だ。危機ではちゃんと俺を助けてくれるのだ。
「ANAGNARIHS...アナグナリス?」
俺は呟いた。意味は分からないが、何か哲学っぽい響きがする。これが重要なヒントなのか?サンデラは仮にも神なのだから、この危機に対する解決策を知っているはずだ。
生徒会室に戻ると、議論はさらに白熱していた。エマの頬は熱を帯び、ルーシーの黒髪は感情を表すように揺れている。ミルは背伸びをするように机に体重をかけ、ジーナのペンを握る指先は、内なる緊張を物語っていた。
「あの...」
俺は思い切って割り込んだ。四人の真剣な視線が一斉に俺に向けられる。
「実は、重要なヒントになるかもしれない言葉がある。アナグナリス。この言葉に心当たりはないかな?」
ジーナが片眉を上げた。エマは首を傾げ、ミルは首を横に振る。ルーシーは唇を噛みながら、思索に沈んだ。
「アナグナリス?そのような言葉は私の知る限り存在しません。ただ、言葉の成り立ちから分析すると...」
ルーシーはさらに言葉を続けようとしたが、俺は軽く手を上げて遮った。
「わかった、ごめん。俺の勘違いだったかもしれない」
恥ずかしさで頬が熱くなるのを感じた。議論は元の流れに戻り、エマがマキャベリアとの外交交渉の可能性について述べ始めた。彼女の銀色の髪が感情の高まりとともに揺れ、青い瞳は昼間の空のように澄んでいた。
俺はエマの声を黙って聞きながら、心の中でその謎の言葉を繰り返していた。
「ANAGNARIHS...ANAGNARIHS...」
パズルを解くように、その意味を考え続ける。ラテン語だろうか?古代ギリシャ語?何かの省略形か?
ふと思い立った。俺は机の上のペンをとって、その言葉を紙に書いた。逆さまから読んでみよう——
SHIRANGANA...シランガナ...しらんがな!
「知らんがな!」
思わず声に出してしまった。その瞬間、四人の視線が再び俺に向けられた。怒りで顔が赤くなっているのが自分でも分かる。
「どうしたの、テル?」
エマが心配そうな顔で尋ねた。
「いや、何でもない」
俺は気持ちを落ち着けようと深呼吸をした。
なんという女神だ。こんな大事な時に、何も力を貸してくれないどころか、ふざけている。だが、そういうつもりなら仕方がない。自分で考えるしかないのだ。
改めて議論に耳を傾ける。ミルが財政問題について話していた。小さな手でメモに数字を書きながら、彼女は戦争のコストと交渉のコストを比較していた。栗色の髪が額にかかり、時折それをかき上げる。
「現実的に考えると、マキャベリアの要求を全面的に拒絶するのは危険です。かと言って、全て受け入れることも長期的には問題を生みます。私は、第三の道を探るべきだと思います」
ルーシーは優雅に頷いた。深紅のリボンが揺れる。
「言葉の枠組みを作り直すこと、つまり『要求の応酬』ではなく『お互いの利益を追求する』という形に会話を変えることが望ましいと思われます」
ジーナはゆっくりと椅子から立ち上がった。全員の視線が自然と彼女に集まる。テーブルに両手をつき、前に身を乗り出した彼女の佇まいには年齢を超えた威厳が漂う。
「私は、ミルとルーシーの意見に賛成だ。しかし、エマの言う理性的対話の可能性も無視できない。我々は、力と対話、原則と妥協の間で道を見つけなければならない」
そこで、ジーナは俺の方を向いた。彼女の瞳は、何かを期待しているように見えた。
「テル、君は先ほどから何か考えているようだけど」
突然の問いかけに、思わず体が硬直した。俺は自分の考えをまとめようと、一度深呼吸をした。
「実は、さっきから皆の意見を聞いていて思ったんだけど、それぞれが正しいんじゃないかな」
四人の表情に疑問が浮かんだ。エマは瞬きを忘れたように見つめ、ルーシーは口元に指を当てた。ミルは椅子の端に腰掛け、身を乗り出している。ジーナは腕を組み、鋭い視線で俺の言葉を待っていた。
「エマの言う理性的対話、ミルの言う実利的な計算、ルーシーの言う言葉の枠組み、そしてジーナの言う力と対話のバランス。どれも正しい」
俺は立ち上がり、言葉を続けた。
「ジーナが言っていた『止揚』という考え方があったよね。対立するものを、より高い次元で統合する方法。それを今こそ使うべきじゃないかな」
ジーナの瞳が輝いた。彼女は微かに微笑み、銀灰色の髪が神秘的な光を放った。
「例えば、マキャベリアに対して、強い姿勢を示しながらも対話の道を探る。ローレンティアの完全な譲渡は拒否しつつも、共同開発や利益分配の可能性を提案する。つまり、『拒絶も譲歩もしない』という新しい道を切り開くんだ」
俺の言葉に、エマが立ち上がり、瞳を輝かせる。
「テルの言う通りです。私たちは対立ではなく、意見の統合を目指すべきなのです」
ミルも背筋を伸ばし、賛同する。
「そのアプローチがみんなの幸せを最大にします」
ルーシーはわずかに微笑んでいる。
「それは新たな言葉の枠組みを作ることであり、対話の可能性を広げます」
最後にジーナが発言する。凛とした佇まいに確信がにじんでいた。
「対立する考えを高い次元で統合する。我々は女王陛下に、この方向性で解決策を提案しよう」
テーブルに広げられた地図には、ローレンティアの小さな町が描かれている。窓の外では、夜空の星々がさらに輝きを増しているように見えた。
ジーナはテーブルに戻り、紙に何かを書き始めた。彼女の手元には、昼からの議論の跡が残る多くのメモが並べられていた。
「私たちの提案をまとめよう。フィロソフィアが理性の国であり続けるために、今、私たちができることを」
俺はエマを見た。彼女は小さく微笑んだ。
『知らんがな』というサンデラのふざけたメッセージが、皮肉にも思わぬきっかけになったのかもしれない。神頼みではなく己の力で考え、乗り越えることの大切さ。それが彼女の本当に伝えたかったことなのだろうか。いや、考えすぎだ。
それでも俺は、窓から見える夜空に向かって、心の中で小さく感謝の言葉を呟いた。
止揚(アウフヘーベン):ヘーゲル(1770-1831)の弁証法の中心概念で、ドイツ語の「aufheben」に由来し、「廃棄する」と「保存する」と「高める」という三つの意味を同時に持ちます。対立する二つの考え方が、単に一方が勝つのではなく、両方の良いところを取り入れた新しい考え方へと発展することです。例えば、厳しいルールと自由な発想という対立が、「自主性を重んじつつも秩序ある」という形で統合されるようなイメージです。