SIDE 茉莉亜 Ⅰ
昔から、何かに巻き込まれることが多かった。
両親は私の考えを常に尊重してくれていたが、私自身には特にやりたいこともなく、流されるように生きてきた。
そのせいで、面倒ごともたくさん経験してきたけれど、そのおかげで、玖人という心から信頼できる幼馴染を得ることができた。
「……私は、どうしたいのだろう?」
もはや日課となっている、校庭裏の花壇の土いじりをしながら思わず呟いた。
医者だなんて、私には無理だって今でも思っている。勉強だってそんなに得意じゃないし、そもそも血を見るのも好きじゃない。父さんが医者だったから、将来は私も医療に携わりたいとは思っていたが、せいぜいなれても看護師くらいだろうと考えていた。
だけど、病院で、管に繋がれて横たわる玖人を目の前にして、初めて自分から何かをしたいと強く願った。
ザクッザクッとスコップで土を耕す。
奥から姿を現してきた焦げ茶色の土は水分を含み、しっとりと柔らかかった。
掘り進めるほどに強くなる土の匂いに、スゥーと深呼吸をする。
……あの日、学校からの帰り道。
いつものように聞かされるギリシャ神話に、正直、またかと思った。
玖人はいつもそうだ。
小学校の図書室でたまたま見つけたギリシャ神話の図説。その壮大さと、神々の人間味あふれる生々しい話に、玖人は一気にのめり込んでいった。
ギリシャ神話がまた、星座だったり、有名なメーカーや製品といった身近なもののルーツになっていたりするから、玖人が話すトリビアに「へー、すごい」なんて誉めてしまったが最後、聞いてもないのに色々教えてくれるようになった。
最初は楽しかったけれど、だんだん聞き飽きてきて、高校生になる頃には少しウザいとさえ思いだした。
……だって、学校での出来事とか話しているのに、玖人ったら、何でもかんでもギリシャ神話に絡めてくるんだもん……
手のひらの中に納まるのは、ピンク色をしたアネモネの花だ。
この花は、発色がとても鮮やかな花びらに見える萼片と、暗色の雄しべと雌しべとのコントラストがとても綺麗で、これから初夏にかけて、道ゆく人々の目を楽しませてくれるだろう。
手に持っていたアネモネの花を、ゆっくりと、穴を開けていた土の上に置いた。
すっぽりと納まった花の鮮やかな色合いに、事故現場の光景を思い出す。
……猫なんて、急に飛び出していっても、何だかんだ上手く車の間をすり抜けていくのだから、ほっておけば良かったのに……
でも……耳を伏せ、尻尾を下げて怯える猫の姿を捉えて、玖人は瞬時に飛び出していってしまった……
苗の根元にふかふかの土を掛けていく。
両手で優しく包み、ポンポンと土を整えて、ふうと息をついた。
……仕方がない。あれが玖人だったのだから。
あんな風に、ちょっとの誤解で孤立してしまった私を救い出してくれた。
……私は花が好きだ。
たとえ大多数の人の目に留まらなくても、時に、踏みつけられるような苦しみがあったとしても、ほんの一人、見つけてくれさえすれば、その瞬間に世界が色めく。
あの日、流され、色を失いかけた私の世界に、再び色を灯してくれた……
玖人に助けられたのは、その時だけじゃない。
何でもないような顔をして、その時、一番欲しい安らぎをくれる。
……うん。
まあ、次は私の番かな。
そう覚悟を決めて、見上げた空は青く澄んでいた。
今日も玖人の病院に、お見舞いに行こう。
お互い、きっと長い戦いになるから……。
この気持ちが、この決意が、いつまでも揺らがないように。
【アネモネ】
この花の名前は、ギリシャ語で「風」を意味する「アネモス」に由来します。
ギリシャ神話において、美しい青年アドニスが狩り中に猪に殺されたとき、アドニスを愛したアフロディーテが彼の死を悲しみ、その血を花に変えたとする伝説があります。
花の命は短く、風が花を咲かせたかと思うと、次の風が花を散らせるので、風の花と名付けられたのだそうで……茉莉亜、しっかりと玖人に影響されているのでした。