30:救い、だと思うしかない。
陛下がついてくるかは私が決めていいと仰いました。
理由は――――。
「ヴィオラが、死んだ」
「え?」
「フェルモが…………殺したらしい」
意味が分からず、何度も聞き返してしまいました。
フェルモ様が、ヴィオラを? なぜ? 愛していたんじゃないの?
二人は隔離棟に入れられていました。
陛下が影を付けて監視していたそうです。その影からの報告では、暫くの間はヴィオラが甲高い声で叫び倒したり、私を罵ったりしていただけで、フェルモ様は『うん』や『そうだね』といった相づちを打っていただけだったそうです。
ところが、その罵詈雑言が三十分を超えたあたりで、フェルモ様が無言で立ち上がり、近くに置いてあった花瓶でヴィオラの頭を殴り始めたとのことでした。
「……」
「監視が慌てて止めに入ったが、ヴィオラは既に事切れていたそうだ」
運がいいことにたぶん一撃目でだろう、とのことでした。
そして、フェルモ様は止めても止まらず、花瓶が粉々になるまで何度何度も殴り続けていたそうです。
「っ…………今は?」
「フェルモは現在手の治療をされているが、放心状態かつ妄言を呟いているらしい。ヴィオラには一応布がかけられている」
「わかり、ました。行きます」
「ん」
陛下がスッと立ち上がり手を差し伸べてくださいます。こんな時でも、エスコートをしてくださいます。
ギュッと握り、出来るだけ早く駆けました。陛下は何も言わず私に合わせて早歩きしてくださっています。
惨状。
この一言に尽きます。
部屋中に血飛沫が散り、床に敷かれた薄茶色の絨毯は、ヴィオラの遺体の頭であろう場所が濃い色になっていました。
布が掛かっていますが、体格的に間違いなくヴィオラなのでしょう。流石に、死に顔を見る勇気は出ませんでした。
「……フェルモ」
陛下がフェルモ様の前に片膝を突いてしゃがみ、話しかけましたが、フェルモ様は床に座り込んで、血みどろの手を見つめながら呟いているだけで、ほぼ無反応です。
「お猿さん煩いなぁ。面倒くさいなぁ。視界の邪魔だなぁ。お猿さん煩いなぁ。ずっと叫んでる。黙らせようかなぁ。あれ? 静かになった? なら、いいや。…………お猿さん煩いなぁ。面倒くさいなぁ。視界の邪魔だなぁ………………あれ? 静かになった? ならいいや。……お猿さん…………」
意味は分かりませんが、ずっと同じことを呟いています。
側に控えている騎士いわく、お猿さんはヴィオラのことなのだとか。キーキーと叫び続けていたからだと言います。だとしても、何故このようなことに……。
「っ………………フェルモ様?」
陛下の横で床に両膝を突いて座り、フェルモ様のお顔を覗き込みました。
焦点の合っていなかった水色の瞳が、ゆったりと動き、私を捉えたように見えました。
「フェルモ様――――」
「ニコレッタ!」
フェルモ様がほにゃりと子供のように笑って、私の方へ血塗れの両手を伸ばして来ました。その瞬間、陛下と騎士様が間に入られ、フェルモ様を止めたのですが、フェルモ様はジタバタと暴れて私の名前を叫ぶばかりです。
「フェルモ様、落ち着かれて下さい! 深呼吸を!」
「ニコレッタ! ニコレッタ! ねえ、なんで助けてくれないの!? お猿さんが、ずっと煩いんだ! ずっと叫ぶんだ! ニコレッタ、助けて!」
「っ――――!?」
まるで、五歳児のようなフェルモ様。
暫くの間、助けてと叫び続けていたのですが、急に「眠くなっちゃった」と言うと、床で丸まって眠ってしまわれました。
「いったい、これは…………」
「……分からん」
陛下も騎士たちも、もちろん私もお手上げ状態でした。
その後、教皇様を呼び出してフェルモ様のオーラの確認をお願いしました。そこで判明したのは、茶色と濃灰の斑とのことでした。
「茶色、ですか?」
「全く以て嫌な色だよ。依存心なのだよね、茶色は」
「依存心…………」
以前フェルモ様にあった茶色は、色がかなり薄めで好ましくはないものの、普通の身分であれば問題視しなくても良い程度だったそうです。
「なぜ、急にこんなに変化するんだろうねぇ。女神様――――ってあぁ、ここには像がないのか」
教会に行き、女神様に確認することとなりました。
フェルモ様は別の隔離棟の別の階に移し、騎士四人体制で常に室内に見張りを置くこととなりました。
そして、ヴィオラの遺体は、安置室へと連れて行かれました。
流石に、このような悲惨な最期になるとは思ってもみませんでした。
彼女自身もそうだったでしょう。彼女を庇う気にも、可哀想に思うこともありませんが、苦しまずに旅立てたことだけは、救いだったかもしれません。