20:泰平の世。
◇◇◇◇◇
王太子殿下が陛下の私室を訪れられたので、寝室に隠れました。
渡されたジャケットは、とりあえずソファの背もたれに掛けておきましょう。皺になってはいけないので。
マントをどうしようかと悩んだものの、ふわりと陛下の香りがし、手放したくない、と思ってしまいました。
一人掛けのソファに座り、靴を脱いで、膝を折り曲げる。マントを胸元に持ってくると、とても暖かくて落ち着きました。
薄暗い部屋で一人。
陛下はなにか聞こえても……と言われましたが、何も聞こえません。この部屋の防音力、凄いです。
脳裏にチラチラと昨晩この部屋で起きたことが浮かび上がって来ます。頭から追い出さなければ。今考えるべきは、この後の式と殿下の廃嫡の会議の行方。
目をつぶり、ゆっくりと深呼吸――――。
――――んっ?
陛下の匂いが濃くなりました。
柔らかな甘さの奥にある柑橘の爽やかな香り。
「んっ!?」
いつの間にか居眠りをしていたようなのですが、息苦しく感じて目蓋を押し上げると、視点の定まらない位置に陛下のお顔がありました。
――――ち、近い。
クチュッと艶めかしい音を立てて、陛下のお顔と唇が離れて行きました。
「起きたな?」
「あ…………え……あっ! すみま……あ、マント…………」
「っははは!」
陛下が唇を親指で拭いながら、楽しそうに笑われていました。
ソファの背もたれに掛けていたジャケットを着て、マントを羽織る姿に見惚れていると、いつの間にか見つめ返されていました。
「見てて面白いか?」
「え……はい。格好良いなぁと…………」
居眠りのせいか、キスのせいか。
頭がぽぅっとしていて、つい。口から零れ落ちていました。
陛下がニヤリと笑って、また濃厚なキス。
今日一日で、一体何回のキスをしたのでしょうか?
「何回しても足りないかな」
「そう……なのですね」
「ふっ」
陛下がとても楽しそうです。
王太子殿下との会話は大丈夫だったのでしょうか? ナントナク聞かれたくなさそうな雰囲気ですので、陛下が話したくなられたら、傾聴するようにしましょう。
「どのくらい寝てしまっていましたか?」
「ん? ほんの少しの時間だよ。疲れているだろうに、すまないね」
「陛下との未来が掛かっていますので」
陛下が柔らかな笑顔でゆるりと私の頬を撫でます。
その手に自分の手を重ね、陛下を見つめます。
初めて好きになった人。
もう、我慢したくない。
一度手に入れてしまった幸せを手放せるほど、私は強くない。
「陛下、愛しています」
「――――ん、私もだ。私たちの未来のために」
「はい。私たちの未来のために」
もう一度だけ、ゆっくりと唇を重ね、覚悟を決めました。
戦いに備えなければ。
「腹が減っただろう。軽食になるが部屋に運ばせる」
「はい。ありがとう存じます」
食事を取りながら、報告に来られた宰相閣下と『式』の打ち合わせをし、着々と準備が整い始めました。
「そう。ドレスを」
「…………はい。悪趣味ですな」
「まぁ、私たちも大差ないさ」
「ふふふっ、ですわね」
葬儀用の盛装した私たちと、式典用の盛装をした王太子殿下とウエディングドレス姿の義妹。
酷い催しですね。
「は? 殿下が来られたのですか?」
「ああ。しかし、どこで教育を間違えた? 思春期だろうとアレは酷い。確かに乳母と教育係に任せきりにはなっていたが――――」
「陛下。お言葉ですが、王族とは国を護る者。子育ては臣下である私どもの責務。私どもの管理不足が大きな要因です。陛下が幼い頃、亡くなられた先代国王や王太后に直接教育を受けたことはございましたか?」
「…………ほとんどないな」
「そういうことです。誰に何を言われようとも、陛下は胸を張り、国を見よ。とだけおっしゃってください。この泰平の世は、先王でもなく、陛下が作り上げられたものです」
宰相閣下の抑えの利いた落ち着きのある声は、私の中にすとんと落ちてきました。きっと陛下もそうなのでしょう、王太子殿下とお会いになった直後から眉間に寄っていた皺が解れましたから。
できれば私が解したかった。
まだまだですね。