19:馬鹿の来訪。
しばらくの間、陛下と抱きしめあっていると、部屋の扉がノックされました。
『陛下、王太子殿下がお見えです』
扉の外からくぐもった男性の声がしました。
殿下が来られたのだと。
「分かった。少し待て」
陛下がバサバサと漆黒のマントとジャケットを脱ぎ、持っていてくれと渡して来られました。
寝室の方に行くように言われ、慌てつつも足音を立てないように走ります。まぁ、とてもふかふかとした絨毯が敷かれているので、そうそう足音は立たないかとは思いますが。
「すまない。聞こえないとは思うが、もし何か聞こえても、我慢してくれ」
「はい」
陛下がすまなそうな困り眉でそう仰って、口先を触れさせるだけのバードキスをして、パタリとドアを閉められました。
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部屋でニコレッタと心を通わせていたのだが、フェルモが来たと外に控えさせていた騎士に言われた。宰相とケネス以外は誰も通すなと言っていたが。まあ、これは仕方がないか。
とりあえずマントとジャケットはニコレッタに預けた。あれらがなければ式典服が葬儀用だとは気付かんだろう。
「父上っ! いつ部屋に戻ったんですか!? ずっと探していたのにっ。ニコレッタが城内から消えたんだ」
「ほう?」
「あ、あのさ、昨晩のこと――――」
一応、言い訳でも聞いてみるか? 間違いなく、殴りたくはなるだろうな。
「昨晩がどうした? 何かあったのか?」
「あの……ヴィオラに誘惑されて」
「あぁ、そのことか。聞いている」
「――――え? 何で知ってるの?」
はぁ。やはり、頭が悪い。
「城内の出来事は直ぐに耳に入る。お前のところに宰相補佐が来ただろうが」
「あ……うん。あ、そうか。父上の指示?」
私が指示しなければ、馬鹿と尻軽の結婚式など誰が許可すると思っているんだ!? 息子はここまで馬鹿だったのか…………。
怒鳴りつけたい衝動をグッと堪える。
「ヴィオラ嬢にはニコレッタのドレスで申し訳ないが、と伝えて採寸と簡単なデザインの変更をさせている」
「え、やっぱりヴィオラと結婚しなきゃなの? ニコレッタはどこ?」
「…………」
息子が何を言っているのか理解が出来ない。ヴィオラと結婚しなきゃ? あれだけのことをやらかしておいて、まさかニコレッタに結婚してもらえるとでも思っているのか?
「ニコレッタは薹が立ちすぎていたからな、気持ちは分かる。ヴィオラ嬢と関係を持ったのなら、もうどうしょうもない。そちらに切り替えろ。招待客には式の遅延と変更を伝えている」
馬鹿のせいで、言いたくもない言葉を言わねばならない。どうか、寝室に聞こえないでいてくれ。
「え…………ニコレッタはどこ?」
「フェルモよ、ニコレッタと話して何になる? 何を話したい?」
「その、私は、嫌われたのかな?って」
「…………」
絶句。
そうとしか言いようのないほどに、言葉が出てこない。
本当に理解不能だ。頭が痛い。
「父上、ニコレッタはどこに?」
「ニコレッタはお前とはもう無理だと言っていた。充分な謝罪と補償をし、希望に沿った新たな身分と住処を用意して和解している」
嘘ではない。
しっかりと謝ったし、希望通りの断罪をする。王妃という新たな身分で、王妃の部屋に住むこととなる。
何も嘘は言っていない。
「そんな……」
「お前が招いたことだ。ヴィオラ嬢と結婚し、責任をとれ」
「……はい」
息子が驚くほどに悲しそうな顔をしている。が、私は怒りしか感じない。
さっきまで感じていた、僅かに残っていた愛情のようなものが消え去るのが分かる。これはもう駄目だ、切り捨てろと本能が叫ぶ。
聞いてはいけないと分かっているのに――――。
「――――フェルモ、お前はニコレッタを愛していたのか?」
「……わかんない。けど、ニコレッタはずっと私といてくれるって思ってたから。何であんなに怒ったのかな……」
「っ――――」
――――我慢しろ!
今はまだ、我慢すべきだ。
沸き上がる怒りで右手が震える。フェルモに見えないよう体の後ろに隠し、左手でフェルモの背中をそっと押した。
「女心は難しいものだな」
部屋の外に誘導し、式の準備をしろと伝えて部屋に戻るよう促した。
これで大丈夫だろう。
深呼吸し、寝室のドアノブに手を掛ける。
どうか先程の会話は聞こえないでいてくれと願いながら。
ゆっくりと開いた扉の向こうには、薄暗闇で穏やかな寝顔をしたニコレッタがいた。
一人掛けのソファで靴を脱ぎ、膝を折り曲げて座り、私のマントを毛布のように体に掛けて、うつらうつらと船を漕いでいる。
ジャケットは、良く見えないが、ソファの背に掛けてあるものだろ。
良かった、聞こえてない。あんな会話は聞こえない方がいい。
この二〇年近く、ニコレッタは頑張り続けた、耐え続けた。
これからは、ずっと笑顔でいさせてやりたい。
――――心から笑うニコレッタが見たい。