第10話
それじゃ、始めます。
近畿地方のとある病院で仕事をしていた時の話です。自分は医者とか技師、看護師じゃなくて、病院で使う機械の修理やメンテナンスをする仕事をしています。日中は病院の機械がフル稼働しているので緊急のトラブルじゃなければ基本的に夕方から仕事が始まることも珍しくありません。
その日も夕方から病院に入って病院の担当者さんとその日の作業の説明と機械の調子がどうとか、困っていることはないかとか一通り話をしてから作業に入ったんです。作業の間、担当者さんは自分の持ち場で仕事をしていて、自分の作業が終わったら担当者さんのところへ報告に行くのが常です。
機械が置いてある部屋は外来部門で17時も回れば患者さんも日勤の看護師さんも居ません。部屋の前の廊下も警備員さんが巡回したり、夜勤のお医者さん、技師さん、看護師さんが時々通るくらいです。夜の病院って照明は落ちていてほぼ真っ暗な廊下。非常口のピクトグラムだけが煌々と光っててちょっと不気味です。
そんな中、1人で黙々と作業してたんです。結構大掛かりな作業だったので21時までに終われば御の字だなぁ、なんて考えながら作業していたのを思い出します。作業を始めて2時間くらいたったころ、担当者さんが様子を見に来たんです。ありがたいことに缶コーヒーを持ってきてくれて「一息入れたら?」って。「ありがとうございます。いただきます。」ってコーヒー飲んでまた少し、担当者さんと話をしてたら、廊下で何か音というより、ストレッチャーの音がしたんです。担当者さんも『?』っていう顔をしたので部屋のドアを開けて廊下を見たら、部屋からちょっと離れたところの廊下の真ん中に空のストレッチャーがありました。それを見て担当者さんがちょっといやそうな顔をしたのですがその時は特に気に留めませんでした。
そのままに放っておくことはできないので担当者さんはストレッチャーを返してくると言ってその場を離れました。自分も残りの作業があったので作業に没頭し、最後の動作点検をしていたのですが、機械の動きに気になるところがあり、再度点検を始めようとして時間を見るとすでに21時近く、いったん作業が長引きそうだと担当者さんに伝えておこうと思い、廊下に出たんです。そうしたら、さっきと同じところにまたストレッチャーがあるんです。ちょっと首をかしげました。だってさっき担当者さんがストレッチャー押して行ったの見てましたから。
ストレッチャーの傍まで行き、どこのストレッチャーかを見ました。マットレスの上に北6病棟と書かれていてなんとなくですが違和感を感じたんです。でもそれが何の違和感なのかその時は分からず、ストレッチャーを廊下の端に寄せ、担当者さんのところへ向かいました。担当者さんは仕事中でしたが作業が終わったと思ったのでしょう。「早かったね。おつかれさん。」と声をかけてくれました。自分が気になるところがあってもう少し時間がかかる旨を伝えると、「うん。明日動かないと困るからしっかり頼むね。」と嫌な顔もせず言ってくれたのですが、ストレッチャーの話をしたら眉間に皺を寄せて「えぇ?また?嫌になるなぁ。」とあきらかに嫌な顔をされました。
たしかに不気味ですし、そんな悪戯めいたことをする人もいないと思うので何なんだろうとは思いましたが、仕事が残っている方が気がかりでとりあえず担当者の方と機械のある部屋まで戻ったのですが今度は自分がぎょっとしました。廊下の端に寄せたはずのストレッチャーがまた廊下の真ん中にあったんです。思わず「さっき端に移動したのに。」と口に出してしまいました。そうしたら担当者さんも「そうなんだよね。あのストレッチャーおかしいんだよね。」と。
担当者さんから聞いた話では、いつからかは分からないけど夜勤に入った人達の中で変なことに遭うと噂が立っていてそのストレッチャーもその1つだとか。担当者さんはストレッチャーはその時含めて2回目と言ってました。どこかの病棟の何号室かで誰も入院していないのにナースコールが鳴りやまないとか、外来棟を夜中じゅうずっと歩いている人影とかどこにでもある話だと言っていたのが怖かったです。仕事柄、夜の病院で作業が多くて、実際気にしなければそれまでなんでしょうが、やけに物音のする病院や、早く帰りたくなる空気になる病院とかあるんです。
担当者さんは慣れた感じでストレッチャーを返してくると言い、またストレッチャーを押し始めたのですがその時、さっきの違和感の正体が分かったんです。この病院、病棟は東西で南棟が外来なんです。北病棟なんてそもそも無いんです。それで担当者さんに聞きました。「ここの病院って北病棟ないですよね?なんでストレッチャーに北6病棟って?」担当者さんから返ってきた答えは「良く知らないけど、病院の統廃合があったときにこの病院に持ってきたんじゃないかな。備品のシールはここの病院のシールになってるから中古なんだろうね?今は西病棟の備品だよ。」でした。
公立病院じゃ統廃合の時に備品を再配備することがあるみたいで元はどこの病院の備品だったか調べればわかるそうですが、そんなことしても仕方がないからしないそうです。そんな話を聞いてまた作業するのはちょっと怖くなりましたが、仕事は仕事です。気になるところも無事に解消できて担当者さんのところへ作業終了の報告をして、翌日の朝立ち合いの約束をしたのは23時近くでした。
遅くなったなぁって思いながら院内を夜間受付に向かっているとき、西病棟への通路が見えたんです。なんとなく怖いなぁって思いながら通路の奥に目が行ってしまったのは偶然なのか怖いもの見たさだったのか分かりませんが、すぐに見なければよかったと後悔しました。
ストレッチャーがゆるゆる動いていたんです。何かもやもやしたものに押されてるみたいに。まだだいぶ向こうのことでしたが怖くなって一瞬体が硬直しました。でもそれは確実に着実にこちらに向かってくるのが分かり、あとはもう一目散です。早歩きで警備室の夜間受付に行き、退館の署名をしてそそくさと病院を出ました。
夜間出口から駐車場に戻るとき外来棟の廊下が見えるのですが、見なければいいのにまた見てしまったんです。警備員さんがストレッチャーを押していたのですがその警備員さんの腕や足に無数の手のようなもやもやがまとわりついていました。ストレッチャーが戻されるのを引き留めるかの様に…。
翌日、朝一で病院に向かって担当者さんとあいさつして立ち合いを行い、無事に機械が動くことを確認して病院を後にしました。帰り際、担当者さんに「これに懲りないで機械のことよろしくね。」と明るく言われましたがその病院に自分の足が遠のいたのは否めません。
どんとはらい。