キーワードにかなりの比重を置いている人間も居る
わたしはこうって云うだけの話ですが。
なろうで悪役令嬢キーワードついてる作品読んでも悪いことしてない令嬢ばっかりで羊頭狗肉じゃね? キーワードの意味がねえよ悪役しろよ(要約)、というようなエッセイを以前書いたことがある(誹謗中傷にあたると指摘戴いたので現在取り下げ中)。
かなり強い調子だったし汚い言葉もつかって書いたので、指摘されるのは当然だし反省もしているのだけれど、根底の部分の違和感みたいなものはまだ少し残っている。
そもそもどうして「悪役をしない悪役令嬢」がいやなのか、だけれど、それって悪役令嬢だけの話じゃない。昔から、宣伝の文言と実態に乖離のある(ように感じる)作品が嫌いなのだ。
以前視聴していたアニメも、数本、それで見るのをやめた。
そのなかのひとつは、昔のことで内容もなにももううろ覚えだが、主人公が「持たざる者」であることが売りの作品だった。
主人公以外は優秀、特殊な力がある、主人公にはそれがない、でも負けん気が強くて努力していく、それに感化されて仲間ができて……みたいなやつ。
ストーリー自体は面白かった。だから見ていた。
魅力のあるキャラも沢山出てきたし、絵は綺麗だし(当時TVにかじりつくようにしていたわたしの横で、多分内容は理解していない母が、こんなに綺麗な絵は見たことがないと評した程。そもそもわたしも、あ、なんか絵が綺麗なCM、でそのアニメを認識した覚えがある)、声にもなんの不満もない。かなり好きなタイプの作品だった。
でもおそらく序盤の終わり頃(放送期間などから推測)で、主人公がしっかりと「持つ者」になった。
その展開は別にいい。どんでん返しで面白いと思う。それまでのストーリーで、主人公にはそう云った能力は絶対にないというか、つかないものだと思っていたから。
役立たずだと思われてたけれど、才能が開花したのか今までの努力が実ったのか、凄い力を持った。なろうでもよくある、追放ものの主人公みたいな設定だ。
でもそうなった後も、宣伝文句がかわらなかった。
主人公が持たざる者で、持つ者達のなかでひとり頑張るのだ、主人公はこの特殊な世界のなかでひとり我々と同じような立場で感性も近いのだ、というような文言がつかわれ続けた。
ストーリーの続きは気になったけれど、その少し後くらいに脱落した。その作品がしっかり完結したのかしていないのかも知らない。
そのアニメに限らず、主人公がこうである、この作品はこういう趣旨である、と打ち出しておきながら、結局その正反対の展開になるということはままある。
スポーツもので、根性ではなく理論でやっていく、実際にそのスポーツをやっているひとに参考にしてもらいたい、みたいなスタートだったのに、蓋を開ければ主人公が危うく選手生命を絶たれる程の過酷な練習をし、周囲もそれを賞賛する、とか。
ほのぼのとした世界観ではじまったのに、バトルものになって殺伐としていく、とか。
心霊ホラーっぽいタイトルとあらすじなのに観てみたら「結局人間が一番こわい」オチとか。
どうして実態と乖離のある宣伝をするのかがわからない。
スポ根じゃなく理論的にスポーツするっていう文言で見はじめて、最終的にひたすら走り込みだのなんだのをしている主人公達を見るのは楽しくない。それが体を壊しかねないものなら尚更。
スポーツ理論的に理にかなっているというのなら作中でもっと説明してほしい。そういうのなんにもなかったじゃんよ。
最初から「古きよきスポ根ものです」と云われていたら、こんなふうにもやもやしなかった。
或いは、所謂「スポ根」に移行した段階で、宣伝文句がかわっていれば。
持たざる者だった主人公が持つ者になるのも、こっちは、ほかに強いキャラがいっぱいのなかで、主人公が特殊な能力じゃなく知恵と工夫で成り上がるっていうのを期待していた。そういう宣伝文句だったし。
それが、主人公は持つ者になりました、こっから蹂躙していきます! みたいなのになるんだもの。
これに関してもそういう作品だと知っていて見ているなら気にならないし、そうでなかったとしても主人公が「持つ者」になって以降の宣伝文句が「主人公が力を得ました! 無双していきます!」みたいなやつだったらああそういう路線になるのねとそのまま視聴を続けたかもしれない。視聴を辞めるとしても、話が違うじゃねーか、とキレることはなかった。
ほのぼの系から殺伐系になるのは一番訳がわからん。よっぽど視聴率悪かったんかなとか制作側が実験的なものをつくろうとしてたんかなとか色々考える。
だとしても、CMがひきつづきほのぼのっぽいのはどうかと思うけどね。
心霊ホラーの皮を被ったヒト怖は一番はらがたつ。なんなんだよ最後は人間がこわいって。こっちはおばけとかクリーチャーが出てくると思って、そういうものを期待して見てるんだよ。
こういう愚痴を云うと、「本当にこわい人間を知らないからそういうことを云える」「あなたは平和な世界に生きてる」みたいな的外れなことを云ってくるやつが居るが、人間は壁ぬけしないから錠かけて部屋にたてこもったら平気だわといつも思う。あとそれなりにこわい人間なら見てきたわ。部屋までおしかけられたから説得して帰ってもらったことあるわ。わたし以外にも居るところに凸してくんなと思ったわ。でも人間ならある程度は話が通じるのでそこまでこわくありませんよ。お前が訳わからんこと云うやつに部屋まで凸されてからそれ(本当にこわい人間を知らない云々という暢気な文言)云えよ。
で、論旨はそこじゃない。ヒト怖なら最初からそう云ってくれれば見ないっていう選択もありましたよ、ということなのだ。
ヒト怖系のホラーも面白そう&猛プッシュされたなら見るし、役立たずだと思われてた主人公が実は凄い力を持っていて……みたいなのも多分見てる。ほのぼの楽しい作品だと思ってたら実はこわいというのも見たし、昭和的なスポ根ものも現実ではこんなことしたら故障するとかこのメニューは無理だろうとかそういう無粋なことは考えずに見ている。普通に楽しめる。
それらは最初から、もしくは途中から、そういう作品なんだと思ってみているので、気にならない。
主人公には残念ながらなんの力もありません。でも彼にはかけがえのない仲間が居る。持たざる者が知恵と工夫と努力で成り上がっていく物語!
これ云われたら、主人公が泥臭い努力して、地道に人脈築いたりして、頑張って頑張って成功する、みたいな話を連想すると思う。
でも主人公は、物語のそれなりにはやい段階で、凄くめずらしい力だか凄く強い力だかを手にいれて、下にも置かない扱いをうけるようになる。
実際はこの文言そのままではないが、こういうニュアンスだった。とにかく、「力のない主人公」「恵まれていない主人公」「力がないという異分子である主人公」を前面におしだした宣伝だったのだ。
主人公がしっかりと力を得てからも。
なんていうか、オムライスと思って食べたのに、ハヤシライスにだったみたいな感じ。ハヤシライスもおいしいんだけどわたしが食べたいのはオムライスなんだよ。
いっそ、なんの事前情報もなければ気にせずに見れたのにな、という作品は多い。そうなると、そもそもその作品に気付かずに視聴自体しないか。
そういえば一昔(二昔?)前に、話題になった小説があった。
読んだひと達の評価はまっぷたつで、誉めるひとはめちゃくちゃ誉める、けなすひとはめちゃくちゃけなす、一部で論争になった作品だ。
わたしはどちらかというと後者で、なんじゃこりゃ、が読み終わった後の感想だった。誉めているひとの気持ちがわからなくて、キャラが好きなだけじゃんと思っていた。
のだけれど、それからしばらく経って、友人と会話している時にその小説のことが話題になった。で、しっかり思い出してみたら、別に面白くなかったなんてことはないのである。
文章は読みやすかったし、ストーリーがむちゃくちゃと云うこともなく、起承転結があって、キャラクターも魅力があるし、その行動や展開に設定との矛盾もない。個人的には「ひとにすすめるくらいのいい作品」だった。
どうして当時、「なんじゃこりゃ?」と感じたのか。それを思い返してみると、やっぱり宣伝文句だった。
その小説の内容と宣伝文句に、どうしようもない乖離があったのだ。具体的に書くと特定されそうだからぼかすが、それこそ宣伝で「今までにないオムライス!」とぶちあげたのに内容は「とってもおいしいハヤシライス」だった、くらいの乖離である。
ちなみに、きょうだいのひとりとその友人達が相当はまっていたのだが、「なんじゃこりゃ?」だったわたしが「どこが面白いの」と訊いたところ、「大筋は問題じゃない」「ストーリーはどうでもいい」「キャラが好きだからいい」「○○の活躍が楽しい」「××がでてきたらそれでいい」「絵がいい」「あれはキャラ萌えだからストーリーとか気にしたらだめ」(大意)との返事だった。はまっているひと達ですらそういう認識だったのだ。
当時、批判的なひと達に流されずに「作品」そのものを高く評価したひと達は、早々にその本の帯を捨てたのだろう。そして、宣伝文句も目にしなかった。もしくは単純に、宣伝文句を気にしないだけかもしれない。
わたしは気にする。
商業作品の「帯」や「キャッチフレーズ」は、なろうで云えば「あらすじ」や「キーワード」、「タイトル」だと思う。
そこを「杓子定規に」重視する人間からすると、例えば「非テンプレ男主人公」と書いてあるのに主人公がトラックにはねられて死んで転生してチートで無双してハーレムを築く、みたいなのだと疑問符だらけになる。
「テンプレ男主人公」の定義があやふやだからと云われても、しっかり納得はしない。だったらあなたの云うテンプレと、こうはなりませんということをあらすじに書いたら? と思う。あらすじという機能があるのだから。そんなことわざわざ云いはしないけど。
まあ実際、わたしはテンプレをあんまり理解していないから、テンプレとか非テンプレをそこまでしっかり認識していないのだけれど、たとえとして。
その作品が面白い・面白くないは勿論重要だけれど、やっぱり「オムライス」として「ハヤシライス」を提供するのはどうなの? と思うのだ。作品が面白いからいいじゃない、とは、わたしはならない。
これは面白くない作品です、と書いてあって、実際面白くなかったら、わたしは高評価すると思う。
くだんの小説は、帯の文言は多分作者が考えたのではないだろうし、友人との会話で「あれ面白かったんじゃん」と気付いてからは、その作品の話題になったら面白いよとすすめるようになっている。
持たざる主人公のアニメに関しても、「途中で主人公がめっちゃ強くなるよ。ストーリーとしては面白いよ」と伝える。ネタバレ? 大丈夫、主人公が「持つ者」になってからのほうが話数(放送期間)あるから。そもそも、完璧に「持つ者」と判断される前から、ピンチに異常な力を発揮したりとか、そういうのは一話目からある。
それで持たざる者だと信じてたわたしが悪いって? TV局だかアニメ制作会社だかは主人公が持たざる者だってCMでずっと云い続けていた。それで勘違いするの、悪いか? というか、それは勘違いだと云えるのか。
これが、「展開」についてだったら、あんまりもやもやしなかったかもしれない。
ざまあとか復讐とかなら、自分が考えているのと違う程度であっても、まあはっきりとどの程度と決まっていないし……と納得する。ハーレムと書いてあって、そのハーレムの人数がどのくらいか、とかも、そう気にはしない。
悪役令嬢に限らず、「ひと」をあらわすやつにはどうにも地雷が多い。「王太子」とキーワードにはいっていて、一行目で廃嫡されてそのまま退場死亡、以降登場なし、みたいなのだと意味がわからない(これは極端な例だが、似たようなものを読まなかった訳ではない)。「剣聖」剣は扱えません、みたいなのも「?」だし、宗教的な裏打ちのない「聖女」も正直うけつけない。悪役令嬢は定義があやふやらしいが、字面からうける印象は「悪いんだろうな」だから、やっぱり「ひたすら常識人で善玉の悪役令嬢」には個人的には違和感がある。
お前の主観だろうと云われたらそれまでだが、気にする人間は気にする。その上で、読む・読まない、評価する・しないを判断している。キーワード自体不要、というひとにはわからないのだろうけれど、こちらとしてはじゃあキーワード設定機能ってなによ? となってしまう。
あらすじを考えたりタイトルをつけるのが得意なひとならキーワードは不要かもしれないが、そういう人間ばかりではない。これは、書く側としての意見だが。
作者の裁量でつけられるんだから自由だろうというのは、それはそう。だからこれはわたしがこう思うっていうエッセイにすぎない。エッセイは自分の意見を書いていいらしいので書いた。それも作者の裁量では。
ただし、「そもそもなろう作品と商業作品を同列に扱うな」という意見は、それはちょっとどうなんだろうと思う。
商業作品と遜色ない小説は沢山投稿されているし、ここから商業進出しようとしているひとは多く居るだろう。と同時に、わたしのようにキーワードを「キャッチフレーズや宣伝文句のようなもの」と重要視している読者もそれなりの数居る筈だ。杓子定規に考えるその分の読者を掴み損ねている、かもしれない。
難しいのがネタバレとの兼ね合いだ。
これに関しては考えはまとまってない。わたしは、ある程度ネタバレになるとしても、キーワードやあらすじに書くようにしている(ただし、BLとGLは別で、つけかたが難しい。少しでもそういった要素があるといやだというひとを避ける為につけるべきか、期待して読んだのにさほどじゃないという事態を避ける為につけずに居るべきか、で迷う)。
ただこれはわたしのやりかたであって、そうせよという話ではない。わたし自身も、どうしてもネタバレしたくない作品ができるかもしれないし。その場合は、多分必須キーワード以外をつけずに投稿すると思う。それが一番安全な気がしてきた。キーワードが不要というのはこういう考えなんだろうか。
なんにせよ、書く場合にも読む(読みたいものをさがす)場合にもキーワードに頼っている人間は居る、ということだ。
展開に関しても「農業が農業じゃない」辺りは地雷だから読まない。
感想返信は多分しないと思います。